本田武史が語る羽生結弦(後) 前編「本田武史が語る『羽生結弦がプロのスケーターになることの意味』とは」はこちら>> あらためて羽生結弦選手がどんなスケーターかと言えば、世界のフィギュアスケート界のレベルを1ランク、2ランクぐらいアップさせた…

本田武史が語る羽生結弦(後) 
前編「本田武史が語る『羽生結弦がプロのスケーターになることの意味』とは」はこちら>>

 あらためて羽生結弦選手がどんなスケーターかと言えば、世界のフィギュアスケート界のレベルを1ランク、2ランクぐらいアップさせたひとりではないかと思います。

 4回転のトウループとサルコウの成功率が高く、他の4回転(ループ)も成功させたうえで、4回転アクセルにこだわった北京五輪までの1年間は、本当に他の人ではなかなか考えられない競技生活でした。

 4回転アクセルについて言えば、12.50点という基礎点だけを考えたら、たぶん挑戦するということにはならなかったと思います。そこはオリンピックで2連覇していたからこその、その先の目標をどこに設定しようかと悩んでたどり着いた挑戦かなとは思います。



競技会への最後の出場となった北京五輪の羽生結弦

 これまでいろいろな試合を解説者の立場で見ていた時に感じたことですが、会場全体の空気を引き締める羽生選手の存在感というのは、昔のエフゲニー・プルシェンコやアレクセイ・ヤグディンを彷彿とさせるものがありました。それぐらいのオーラがある選手だなと思いました。

 羽生選手の勝負強さは抜群で、これまで何度もそんな試合を見てきました。自己分析がすごくできる選手だったとも思います。調子がいい時も悪い時も、自分がどういう状態になっているかを理解しながら、練習の時の調整の部分からやっているということがよくわかりました。そんな時は、本番での集中力の高さというのがマッチして、すごくいい演技が続いたと思います。

 グランプリ(GP)シリーズの1戦目は比較的スロースタートなのですが、そこからGPファイナル、世界選手権に向けて調子のピークを合わせていくというところは、常人の域を超えていました。そこは本番での強さにおいて非常に大事なことだと思います。GPシリーズがよくても、世界選手権でよくなかったら意味がないですから。

 金メダルを獲得したソチ五輪、平昌五輪もそうでしたが、試合本番の日に合わせていくメンタルの強さは格別のものがありました。平昌の時は、万全な状態ではなかったなかでのショートプログラム(SP)であったり、フリーまでの短い時間のなかでの集中力の高さだったり、ちょっとすごいなと思うぐらいの雰囲気を作っており、やはりそういう能力を持っている選手なんだなと思いました。

早朝から120%の練習をしていた

 それは今までの経験というのが生かされて身につけられたものなのではないかと思います。東日本大震災でスケートを滑れなかった時に、いろいろなリンクを点々としながら練習していたことなど、さまざまな苦労も成長を促した要因のひとつだったかもしれません。そういう経験をしたからこそ、スケートにかける思いの強さという部分がすごく伝わってくるのかなと思います。

 3度目の出場となった北京五輪では完全に追われる身だったと思います。追われる身より追う身のほうがラクなのは確かなんですが、そんな状況のなかでも、大きな目標を掲げて、それを達成させるだけのものをしっかりと持っていたからこそ、あれだけの演技ができたのだろうと思います。

 コロナ禍になったここ数年間は本当に試合数も少なかったですし、ケガの影響とかもあったでしょう。そんな状況下にあってもしっかりと準備ができていたわけで、そういった環境においても自己分析ができる能力は彼のすごさのひとつだと思います。練習拠点のカナダに行けなかったなかで、ひとりで練習して、ひとりで調整しなければならなかった。やっぱり調子がいい日もあれば、悪い日もかなりあったはずですけど、そんなつらい状況を乗り越えられる精神力の強さを身につけていた。そういうところが演技にも出てくるのかなと思いました。

 メンタルの強さを垣間見せた一例を言うと、アイスショーで一緒に滑る機会があった時に、羽生選手は朝早くの練習から120パーセントに近い練習をしていました。すごくストイックなんです。

 羽生選手の競技人生を振り返ると、逆境に強いという感じもあると思いますが、精神的なところで「勝つぞ」という気持ちが人一倍強かったと思います。もちろんマイナスのことを考えることもあると思うんですけど、それを上回っている部分がすごくあったなと思います。目標までの具体化というところがものすごく細かいのかなと思います。たぶん、ものすごく負けず嫌いなんでしょうね。

ポスト羽生結弦のフィギュア界

 さて、世界を席巻した羽生結弦とネイサン・チェンがいない今季の男子は、宇野昌磨選手と鍵山優真選手が金メダル争いを繰り広げると思います。そんななか、米国の新鋭、イリア・マリニンが4回転アクセルを成功させるかどうかも興味深いところです。世界ジュニア王者のマリニンは昨シーズンの世界選手権で衝撃的なデビュー(SPで100.16点をマークして4位発進だったが、フリーで11位に沈んで総合9位だった)を飾っているので、彼がどういうふうに成長してくるかというところも見どころのひとつになってきます。

 過去の歴史を振り返ると、オリンピックの翌シーズンは、ジュニアからシニアに上がってきたニューフェイスや、今まではそこまで知られていなかった選手が、パッと上位に食い込んでくるということがありました。そういう可能性はゼロではないと思います。ただ、宇野選手と鍵山選手に関しては、今、持っている能力もそうですし、安定感という部分を考えると、やはりメダル争いの中心になると思います。

 どの選手も絶対に経験する世代交代の節目というのがあります。僕が世界に出ていった時代は、ちょうどエルビス・ストイコ(1994年リレハンメル、98年長野の両五輪で銀メダル獲得)やトッド・エルドリッジ(96年世界王者)が第一線から抜ける時でした。その後、アレクセイ・ウルマノフ(リレハンメル五輪金メダリスト)からイリヤ・クーリック(長野五輪金メダリスト)と時代は流れて、彼らが引退したあとの世代としてトップに上がってきた自分が世界選手権(2002年と03年)で銅メダルを獲るようになりました。そして僕のあとに続く選手とし、髙橋大輔選手らが出現してきました。

 フィギュアスケートという競技において、羽生選手という大きな存在がなくなったことについては、慣れるしかありません。選手であれば誰もが世代交代の流れを経験することになるので、置かれる立場に一喜一憂するのではなく、自分がどういう演技をしていくかが重要になると思います。

今季の男子の見どころは?

 オリンピックの翌シーズンは、ルール改正に対応しながら取り組むシーズンとなります。次の2026年五輪に向けた4年間を考えると、新しいジャンルのプログラムだったり、新しい曲調だったりに挑戦できるのは、今季と来季の2シーズン。3シーズン目にはオリンピックを視野に入れたプログラム作りをして、五輪シーズンには勝負の曲で五輪仕様のプログラムを完成させるということになります。

 ですから、この1、2シーズンはおそらく新鮮なプログラムが多く見られると思います。そんななかで、今季の宇野選手のSP(『グラビティ』)は、ジャケットにパンツという衣装で男らしい雰囲気で滑っていて、これまでとは違った新鮮味があると思います。また、鍵山選手に関しては、SPを初めてシェイリーン・ボーンさんが振り付けて、すごく運動量の多いプログラムになっています。このふたりのプログラムは楽しみですね。

 過去2年間はコロナ禍で海外での振り付けができなかったですが、今季は海外に行って振り付けができるようになったこともあり、選手たちにとっては、振付師が作るプログラムを、感性やフィーリングの部分でよりしっかりと表現できるはずです。それは大きくプラスに働く部分だと思うので、どんなプログラムを見せてくれるのかは、今季の面白いところだと思います。

Profile
本田武史(ほんだ・たけし)
1981年3月23日、福島県生まれ。現役時代は全日本選手権優勝6回。長野五輪、ソルトレークシティー五輪出場。2002年、03年世界選手権3位。現在はアイスショーで華麗な演技を披露するかたわら、コーチ、解説者として活動する。