取材をすれば、さまざまな人に出会う。時には、思いもしない出会いもまっているものだ。蹴球放浪家・後藤健生が出向いた韓国に…
取材をすれば、さまざまな人に出会う。時には、思いもしない出会いもまっているものだ。蹴球放浪家・後藤健生が出向いた韓国には、世が世ならば出会えなかったであろう人物が「働いて」いた。
■いまだに残る王族の集まり
朝鮮国は独立国でしたが、名目的には中国の属国でした。「朝鮮」という国名も明朝の洪武帝に選んでもらったものでしたし、年号も中国の王朝のものを使っており、国王は形式的には中国皇帝の臣下ということになっていました。しかし、17世紀以降中国を支配していた清国が日清戦争で敗れた後の1897年に、朝鮮国は中国からの完全独立を宣言して「大韓帝国」となり、第26代国王の高宗は皇帝となりました。しかし、1910年に朝鮮が日本の植民地となってしまったので皇帝の純宗も退位しました。
その後、1945年に日本が第2次世界大戦で敗れて韓国は独立の地位を取り戻しましたが、大統領制の共和国(大韓民国)となったので王制が復活することはなく、かつて李家の人々は今では一般人として暮らしていますが、それでも年に一度は歴代国王の位牌が安置されているソウルの宗廟(チョンミョ)に集まって祖先をお祀りする行事を行っています。
その王家の一員である李(リ)さんが目の前にいたのです。
もちろん、王家の一族は非常に数が多いので目の前にいる李さんが本家からどの程度の距離にいるのか分かりませんが、世が世なら僕たち庶民が簡単にお目通りすることも難しい王族だったのかもしれません。
■韓国では当たり前の取材後の風景
これは、2001年に『サッカー批評』の取材で韓国を訪問した時の話なのですが、『サッカー批評』第9号の誌面を見ると、たかが弘報部長のくせに(!)李鎬昇さんの写真は金浩(キム・ホ)監督と並んで使用されています。当時の編集者が「王家」ということで敬意を表したのかもしれません。
もちろん、「王家」の一員といっても、実際に目の前にいる李鎬昇さんは普通の若いサラリーマンでした。大学では電子工学を専攻して三星電子に就職したのに、系列企業であるブルーウィングスに配属されて弘報の仕事をしていると言っていました。
そして、李鎬昇さんは実に気さくな人で、取材を終えると近くのカフェに行ってランチをおごってくれました。
もっとも、食事をおごってくれるというのは、当時の韓国では普通のことでした(最近はどうなっているんでしょう?)。取材に行くとクラブ側が記者に食事をおごってくれるのです。水原三星の取材は昼だったのでランチでしたが、この後に行った浦項スティーラーズの取材は夜だったので、取材後は焼肉屋に連れて行ってくれました。夜の食事で焼肉となれば、当然焼酎(ソジュ)も出てきます。
貧乏なフリーランスの記者や編集者にとっては、大変にありがたい風習です。
■Jリーグが変えた取材の常識
弘報担当者だけではありません。選手や監督もおごってくれます。
コーヒーを飲みながら、あるいは食事をしながらインタビューをすれば、飲食代は必ず彼らが払ってくれます。高麗大学の金鍾夫(キム・ジョンブ)監督(元韓国代表)を取材した時は、監督行きつけの饅頭(マントゥ=水餃子)屋に連れて行ってもらったのですが、冬の寒い日だったので熱々の饅頭がとても美味しかったのを覚えています。
Jリーグが開幕した1990年代、日本ではJリーガーが映画スター並みに扱われた時代があり、インタビューをするのに高額の謝礼が必要になっていました。また、ヨーロッパの選手や監督のインタビューをする時にも日本のメディアが高額の謝礼を払ったので、ヨーロッパでも日本からの取材だというと謝礼を要求するようになっていました。
そんな時代に、韓国のサッカー界には「取材に来てくれた記者に対して食事や酒をおごってくれる」という大変に麗しい風習がまだ残っていたのです。「食事代が浮く」というのもありがたいですが、食事や酒を共にすることで意思疎通が図れ、オフレコでいろいろ面白い(非公式の)話を聞けるというメリットもあります。
もっとも、本当を言えば(建前を言えば)、取材者と取材対象者が親しくなりすぎて、いわゆるズブズブの関係になるのは望ましいことではありません。取材者と取材対象の距離感というのは、なかなか難しいものなのです。