伊藤隼太は四国アイランドリーグplusの愛媛で昨季からプレー 昨季から四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレ…

伊藤隼太は四国アイランドリーグplusの愛媛で昨季からプレー

 昨季から四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに所属し、NPB復帰を目指している元阪神・伊藤隼太外野手は9月17日、後期優勝マジック1を点灯させている徳島インディゴソックスとの首位攻防戦に挑んだ。「4番・DH」で4試合ぶりのフルイニング出場を果たし、臨んだ4打席。バッターボックスに立つ伊藤からは、今までにないほど勝利への執念が伝わってきた。

 愛媛マンダリンパイレーツは5番・堀川優斗三塁手の適時打で貴重な1点を先制するも、6回に2点を取られ逆転を許してしまう。すぐに7回の先頭、伊藤が右越え二塁打を放って同点機をつくったが、徳島のドラフト注目右腕・白川恵翔投手の好投で打線がつながらず、得点できなかった。伊藤は9回一死1塁の場面でも右前打でチャンスを拡大。しかし、後続が併殺に倒れて1-2で敗れた。

 勝利に強くこだわったのには、逆転優勝の他にも理由があった。伊藤は試合後、「自分の中で最後だと思いながら、いろいろ思うとこのある試合だったので。まだ決めてはないですけど、プレーヤーとしてどこまでできるかっていう中では、1つの区切りかなと思っています」と穏やかな口調で語った。

昨年10月に右肩手術「最後はボールを思い切り投げて終わりたかった」

 故障に苦しんだ2年間だった。選手兼任コーチとして愛媛に入団した後、開幕戦で帰塁時に右肩を負傷。関節脱臼および関節唇損傷と診断された。同個所の故障は3度目で、完治には手術と1年間のリハビリが必要だと明かしていた。NPBへの早期復帰を望んでいた伊藤は、一旦は手術ではなく保存療法とリハビリによる回復を試みたが、昨年10月、手術に踏み切った。

「リハビリの過程で、最後は野球選手として守備についてボールを思い切り投げて終わりたい気持ちがあった」というが、現在はボールを投げることすら困難な状態だ。今季は前期26試合と後期17試合(9月18日時点)に出場するも、指名打者もしくは代打のみ。さらに、この日の第2打席のスイング直後、手術した箇所を左手で抑えるなどの仕草も見られた。

「僕の中では限界かなっていうのは正直ある。その中でこうやって優勝がかかっている戦いで、ガチンコで勝負してくれて、(4打数2安打の)結果が出たので、今まで一生懸命やってきてよかったなと思います」。練習をすればするほど痛む右肩。できる限りのベストプレーを最優先とし、試合前の打撃練習を行わないこともあった。弓岡敬二郎監督の理解あってこその1年だった。

ドラ1入団、阪神での日々は「自分の中でかけがえのない財産」

 愛媛入団当初からSNSなどを通して、チームの情報を積極的に発信してきた伊藤。さらには、昨年のハロウィンに縦縞のユニフォームを着用した「コスプレ」を披露し、2軍の春季キャンプへ足を運ぶなど、古巣・阪神への想いも強い。今年6月には甲子園で1軍の試合を観戦。たった2年前まで一緒に練習していた選手たちが、とても輝いて見え、距離感すら抱いてしまったという。「いつぶりですかね、(甲子園で)プレーしたのは……」と在りし日を思い出していた。

 伝統の縦縞に袖を通し、ドラフト1位の重圧を背負った9年間は、ファンから厳しい言葉で叱咤激励を受けることも多く、「グラウンドに出るのが嫌だって時もありました」と当時の心境を吐露。しかし、独立リーグに身を投じたことで考え方も変わった。

「ファンの方たちが支えてくれて、ああいう(選手が輝く)場を作ってくれてると感じられた。(NPBにいた時は)そういう感謝の気持は感じられなかったですけど、今はやっぱりありがたい空間、環境でやらせてもらってたんだなって。自分の中でかけがえのない財産になっていますし、とても良い経験でした」と阪神ファンへ感謝を口にした。

 現役引退については「うーん。でも、まだ分かんないですよ。気持ちが変わるかもしれないので」と明言を避けた。ユニフォームを脱ぐかは未定だが、NPB復帰への苦難の道のりには、一度、終止符を打つ。(喜岡桜 / Sakura Kioka)