オリックスなどでプレーした前田耕司氏、40歳で“社会人”に 阪神、西武、広島、オリックスの4球団でプレーした元左腕の前田…
オリックスなどでプレーした前田耕司氏、40歳で“社会人”に
阪神、西武、広島、オリックスの4球団でプレーした元左腕の前田耕司氏は、40歳でスポーツマネジメントの世界に転身した。大手事務所で多くのプロ野球選手と契約するなど大きく貢献。関西支社長をへて独立し、2018年1月に自身の会社を設立した。元広島監督の緒方孝市氏、元阪神の関本賢太郎氏らを抱えながら、さらなるスポーツ界の発展に向けて走り続けている。【山口真司】
駆け出しは苦労した会社員生活も、軌道に乗れば持ち前の人脈が生きた。株式会社スポーツビズ時代を振り返る。「契約する選手が増えていくにつれて、喜んでもらえることを探し出すのが面白くなってきたんです。たとえば、こんなインナーが出てきたとか、この水はいいよとか、風呂にこういうものを入れれば、疲れがとれるよとか……。先回りしてやったことにありがとうっていわれるのがうれしくて、ありがとうと競争している感じだった」。オリックスの打撃投手時代、イチロー氏を公私に渡ってサポートした感覚が、より専門的になった。
そして、独立。株式会社プロアスリートを立ち上げた。お世話になっている大阪府箕面市・命教寺の住職から勧められて決めたという。「プロアスリートは整骨院も経営しています。プロのスポーツ選手にとって一番防がなければいけないのはやはり怪我。それが原因で現役をやめなければいけなくなった例は多いですからね。情報を与えるのはどこの事務所でもできると思う。だから整骨院を考えました」と言葉に力を込める。
目指すゴールはまだ先「僕の下心は『前田さんやりおったな』って言われたいこと」
現役時代、プロ通算成績は5勝2敗だった前田氏だが、4球団を渡り歩き、運のいいことに8回も優勝を経験。「野球のおかげで膨大な人脈ができました」という。オリックスではイチロー氏と出会い、スポーツマネジメントの関係者とも知り合い、伊原監督の監督付広報を経て、転身。まさに運と縁に恵まれて、ここまできたが、加えて今は亡き父のおかげとも思っている。
「プロに入るとき、親父に言われたんです。『わしはプロのことはわからんけど、おそらく名刺はないはずや。顔が名刺の世界だから、ごちそうになったりとか、物を贈ってもらったりとか、おもてなしをされたときには必ず一筆を書きなさい、かばんの中には官製はがきを10枚か20枚、いつも持っておくように』って」。前田氏はそれを実行していた。「僕は義という言葉が好き。何かそういうことを大切にできる男でありたいなと思っています。これも親父の影響ですね」と感謝している。
もちろん、ゴールはまだまだ先だ。「僕の下心は『前田さんやりおったな』って言われたいことなんです」と笑う。「そのためにも、人に喜んでもらえる僕じゃないといけないし、僕のところに人が集まるようにしなければいけない。『困ったら前田さんならなんとかしてくれるよ、関西にはプロアスリートがあるよ』といわれるようになりたいんです。もっといろんな人に会いたいと思っています」。前田氏の目が輝いた。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)