9月3日(土)、埼玉県さいたま市の大宮けんぽグラウンドで「第28回 ゼット杯争奪 関東甲信越身体障害者野球大会」が開催された。 2019年以来、3年ぶりに関東甲信越から5チームが一同に会し各試合で熱戦が繰り広げられた。千葉ドリームスターは…

9月3日(土)、埼玉県さいたま市の大宮けんぽグラウンドで「第28回 ゼット杯争奪 関東甲信越身体障害者野球大会」が開催された。

2019年以来、3年ぶりに関東甲信越から5チームが一同に会し各試合で熱戦が繰り広げられた。千葉ドリームスターは昨年に続き2連覇をかけてこの大会へと臨んだ。

(取材協力:千葉ドリームスター、取材 / 文:白石怜平)

3年ぶり、5チームでの開催に

本大会は、関東甲信越エリアに拠点を置く7チーム(※)の頂点を競う大会。

例年8月下旬から9月上旬に行われ、優勝チームは同年11月に行われる「全国身体障害者野球選手権(以下、秋の選手権)」の参加および翌年5月の「全国身体障害者野球大会(以下、選抜大会)」、準優勝チームは選抜大会の出場権を獲得できる。

※東京ブルーサンダース、東京ジャイアンツ、千葉ドリームスター、埼玉ウィーズ、群馬アトム、信濃レッドスターズ、栃木エンジェルス(順不同)

昨年は、加盟チームで協議のうえ2チームであっても開催する方向で合意。千葉ドリームスターと東京ジャイアンツの2チームが名乗りを挙げ、大会開催の実績をつくった。

今年に入り再開を本格再開するチームも増え、本大会では19年以来3年ぶりに5チームでの開催が実現した。

【参加チーム】

東京ブルーサンダース、東京ジャイアンツ、千葉ドリームスター、埼玉ウィーズ、群馬アトム(順不同)

千葉ドリームスターは連覇をかけた戦いに

大会連覇を目指す千葉ドリームスターは2011年に発足した千葉県唯一の身体障害者野球チーム。千葉県出身で、現在は読売巨人軍の2軍打撃コーチを務める小笠原道大氏が「夢を持って野球を楽しもう」という想いを込めて創設したチームである。

14年に日本身体障害者野球連盟に加盟して以降、17年から19年まで3年連続で関東甲信越大会準優勝・19年には選抜大会で全国ベスト4に進出。

発足10周年となった昨年は関東甲信越大会を初制覇、選手権への初進出を果たすとともに、今年5月も選抜大会へ3年ぶりに参加した。

(20年の大会は全て中止、21年は緊急事態宣言中により選抜参加は辞退)

昨年は初の選手権大会出場を果たした

コロナ禍の2年間、チームは中断せずに感染対策を行いながら活動継続をしてきた。

グラウンドを各自で確保し毎週1日3~4時間の練習を行うとともに、昨年からは健常者チームのリーグにも参加。練習と実戦を通じて現有戦力の底上げを図ってきた。また、今シーズンからは宮内隆行を新主将とし、体制を一新し臨んだ。

今シーズンより主将に就任した宮内隆行

初戦は関東王者・群馬アトムとの対戦に

ドリームスターの初戦の相手は群馬アトム。03年に発足し、20年目を迎えた群馬県唯一の身体障害者野球チームである。

全国大会の常連チームで、春の選抜では準優勝3回・選手権も準優勝2回の成績を残している。昨年の大会はコロナ禍の状況を鑑みて、出場を辞退したため3年ぶりの大会参加となった。

一方ドリームスターは、上述の通り関東甲信越大会で準優勝(17年~19年)を果たしているが、いずれも決勝で群馬アトムに敗れており、優勝に向けた最大の壁として立ちはだかってきた。

今回は真の関東甲信越No1を決める大会として、厚き壁と言える群馬と初戦で相まみえることになった。苦手意識も少なからずある中、チームを鼓舞し平常心へと持って行ったのは今シーズン主将に就任した宮内だった。

宮内は小学生時代までは少年野球チームに所属し、中学から陸上に転向。5000mの選手として活躍していたが、21歳の時の交通事故により左上肢全廃の障害を持ち、15年にドリームスターへ入団した。

野球を再開後は主に外野手、一塁手として主に右手を使いプレーしている。

対戦相手が決まってから大会までの約2ヶ月間、選手たちには

「練習は、どこよりもやってるのだから負ける訳がない」

と伝え続け、活動を継続してきた自信を徹底して意識づけた。円陣でも輪の中心に入り、大声で活気をチームに呼び込んだ。

主将として”自信”をナインに植え付けた宮内(提供:東京ジャイアンツ)

試合は12時にプレーボール。先発のエース・山岸英樹がマウンドに上がった。群馬と対戦した過去3度の関東甲信越大会決勝は必ず先発マウンドには背番号13の姿があった。

左半身まひの障害をもち、走幅跳で再来年のパリパラリンピックを目指す34歳。「後ろに城(武尊)くんがいるので初回から飛ばした」と語った通り、躍動感あふれるフォームから放たれる力強い投球で群馬打線に向かっていく。

巧みに変化球を操り、強力打線からゴロの山を築く。遊撃の土屋来夢を中心とした内野陣が鉄壁の守りでアウトを重ねていった。

2試合ともに先発したドリームスターの山岸(提供:東京ジャイアンツ)

打撃陣も初回からつながりを見せる。2死ながら2塁と得点圏に走者を置くと4番の梶本祐介、5番の中䑓陵大(なかだい・りょうた)のクリーンアップが連打で還し2点を先制。

2回にも2点を追加し、4-0とドリームスターが試合の主導権を握った。守りでは3回表、1死1・2塁となったところで投手を山岸から城武尊にスイッチ。城は三振と投ゴロに切って取り、ピンチの芽を摘んだ。

そして4-1で迎えた4回の最終回。大会ルール上、100分を迎えるとその場面でゲームセットとなるためこの回がラストイニングとなった。ここでもドリームスターは攻撃の手を緩めず、1死1塁から1番・土屋大輔からの3連打で3点を追加。

7-1となったところで時間を迎えゲームセット。ドリームスターにとって長年の目標であった群馬アトムからの初勝利をついに手にしたのだ。

試合中もチームをけん引した宮内は大会後、「決勝があるので、余韻に浸る余裕はなかったです、勝った時はチームが強くなっているんだ...と実感しました」と語り、練習の成果を体感した瞬間だった。

ただ、ここで終わりではない。決勝戦も全国大会出場経験が豊富なチームとの闘いが待っていた。

”盟友兼ライバル” 絆の試合を制し大会連覇

続いて決勝戦。ドリームスターの相手は今回の大会の主管でもある「東京ブルーサンダース」。

ブルーサンダースは、1997年に設立した歴史あるチーム。関東甲信越大会優勝9回、秋の選手権大会準優勝3回を誇る名門で、身体障害者野球を題材にした平山譲著「4アウト」のモデルにもなっている。

実は、両者は同地区で覇権を争うライバルであるとともに10年来の絆がある”盟友”でもある。

11年にドリームスターが本格始動した当初、野球経験がない選手が多く在籍していた。

そこで、Webで選手募集記事を見たブルーサンダースが「千葉でチームを立ち上げるのなら私達も手伝います!」と初練習に駆けつけた。

キャッチボールから片手で捕りそのままグラブからボールに持ち替えて投げる“ワンハンドキャッチ・ワンハンドスロー”、そして片手でのバッティングといった、身体障害者野球ならではの技術をドリームスターの選手たちに伝授した。

合同練習で技術を教わったことがきっかけだったという土屋大輔(7月撮影)

当時、ちょうど初めてドリームスターの練習に参加し、本大会ではリードオフマンを務めた土屋大輔も

「『絶対自分にはできないな』って思うプレーを見せられてとても衝撃を受けましたが、同じ障害を持っている人のいいお手本を見て刺激になったのでやってみようと思いました」

と野球を始めるきっかけになるなど、同じ関東地区で産声を上げたチームにとって大きな存在となっていた。

そして11年の時が経ち、その間17年にドリームスターが関東甲信越大会でブルーサンダースに初勝利を収めると、19年も同点からのタイブレークで勝利するなど両者はライバルの関係へと成長していった。

11年経ち、決勝で戦うこととなった(写真は19年時)

決勝戦は14:48にプレーボール。3年ぶりの真剣勝負は、関東甲信越の覇者を争う試合として幕を開けた。

先発は初戦に引き続き山岸がマウンドに立つ。初回を3人で抑え上々の立ち上がりを見せる。

裏の攻撃では、ドリームスターが初回から打線の繋がりを見せた。2番の城から5連打で2点を先制、前の試合の勢いそのままにここでも主導権を握った。

山岸はその後も安定した投球を見せ、3回まで無失点に抑え、味方の更なる援護を呼び込む。

先頭5番の中䑓が出塁すると、打撃陣はボールを慎重に見極め押し出しなどで3点を追加した。3アウトとなったところで規定の100分を迎えたため5-0でゲームセット。

千葉ドリームスターが昨年に続き本大会を制覇した。苦節11年、大会連覇であるとともに全国大会常連チームを相手に勝ち抜いて初の”完全優勝”となった。

ドリームスターが初の完全制覇を達成した(提供:東京ジャイアンツ)

この2試合、富田寅蔵スコアラーが「全員野球でした」と語り、選手個々の能力を引き出した監督の采配も光った大会でもあった。

ドリームスターを率いたのは小笠原一彦監督。日本身体障害者野球連盟に加盟前の13年に就任し、現在まで指揮を執っている。

翌年の連盟加盟後から17年の本大会準優勝、昨年の初優勝そして選手権初参加とチームが強くなる過程を肌で感じてきた一人である。

この大会で好投した山岸が「連戦になるので、2試合とも監督がいいタイミングで代えてくれた」と語るなど、選手のコンディションや試合の状況を的確に見極め、選手たちを送り込んだ。

優勝決定後、監督の胴上げが行われた

小笠原監督はこの大会での勝因を振り返った。

 

「自分たちの野球=『活気ある雰囲気とミスをしない堅実な野球』が出来た事です。ただ、力量としては両チームを追い越せたと思っていないです。平常心でチャンスを取りこぼさなかったのが、勝利に繋がったと思います」

全員野球の采配でチームを勝利に導いた小笠原監督(写真右、7月撮影)

次は11月に神戸で行われる秋の選手権大会。それぞれ、両者は

「ミスをしない確実なプレーを心がけるよう、準備したいです。健常者チームとの試合や練習を通じて繰り返し反復させます。各自の能力は高いので、主将として、結束したチームにしていきたいです」(宮内主将)

「選手権も、集まったメンバーが最高のパフォーマンスを出せるようにしていきたいと思います。皆さんを、”あ!”っと言わせるような楽しい試合をしたいです」(小笠原監督)

と意気込みを語った。昨年は初戦のタイブレークで7チーム中5位と悔しい結果に終わった。その雪辱の舞台が早くも訪れようとしている。