進撃の京大野球部〜秀才軍団に何が起きたのか(前編) 近年、関西の大学野球界で「異変」が起きている。かつては最下位が定位置だった京都大がめきめきと力をつけ、今や関西学生リーグのダークホースになっているのだ。スポーツ推薦すらない西の最難関校は、…

進撃の京大野球部〜秀才軍団に何が起きたのか(前編)

 近年、関西の大学野球界で「異変」が起きている。かつては最下位が定位置だった京都大がめきめきと力をつけ、今や関西学生リーグのダークホースになっているのだ。スポーツ推薦すらない西の最難関校は、いかにして強豪私学と渡り合っているのか。大躍進を見せた今春の戦いぶりを、関係者の証言をもとに振り返ってみたい。



春のリーグ戦で5勝を挙げた京大野球部。左から2人目が近田怜王監督

プロ注目の強肩捕手から3試合10盗塁

「今年は足を使った野球をしよう」

 新チーム結成時にそう提案したのは、主将に就任したばかりの出口諒(栄光学園)だった。出口は身長185センチの大型選手ながら、チーム一番の俊足。提案の背景には「今年は平均値より足の速い選手が多いから」という根拠があった。

 神奈川の進学校・栄光学園の出身で、チームメイトから「かたくなに関西弁に染まろうとしない」と評されるように標準語を貫く。高校では軟式野球部でプレーしたが、「OBの辻居新平さんが東大のキャプテンで活躍していたので、僕もいけるかな」と気後れはなかった。

 出口の提案から京大は走塁練習を増やしたものの、彼らが戦う関西学生野球連盟のレベルは生半可ではない。近畿大、同志社大、関西大、関西学院大、立命館大と歴史のあるエリート校がひしめく。

 とくに開幕節で対戦する関西大は前年秋のリーグ優勝チームであり、強肩捕手の有馬諒(3年)を擁していた。有馬は近江高時代から甲子園で活躍し、ドラフト候補と名を馳せた逸材である。京大監督の近田怜王は有馬の二塁送球タイムや関大投手陣のクイックモーションのタイムを目にして、「これは無理だ」とため息をついた。

 それでも、選手たちにひるみはなかった。秋のリーグ戦も残っているため現時点では詳らかにはできないが、選手間に「行ける時は行こう」という共通認識があった。関西大との3試合でなんと10個もの盗塁を成功させる。主将の出口は4個の盗塁を決め、チームに勢いをもたらした。

 ただ足でかき回すだけではない。第1戦は2対1とリードした8回裏に、主砲・山縣薫(天王寺)のレフトオーバーの2点適時打でダメ押し点を奪っている。山縣は京大に進学後、急成長した選手だった。

「高校野球では強豪私学に阻まれて、うれしい気持ちになったことがないんです」

 山縣はそう打ち明ける。高校時代は身長176センチ、体重65キロの非力な外野手だった。

 前監督であり今は総監督の青木孝守氏は、京大の選手たちに「大学の3〜4年で私学との差を縮めよう」と発破をかけてきた。山縣は大学で筋力トレーニングに本格的に取り組むようになり、身長177センチ、体重77キロのたくましい肉体を獲得した。走攻守に高い身体能力が生きるようになり、今では不動のレギュラーに君臨している。センターからの強肩はリーグトップクラスと言っていいだろう。



野球未経験ながら投手コーチを務める三原大知(写真右)

野球未経験の投手コーチ

 関西大との開幕戦に4対2と勝利した京大は、第2戦こそ2対4で落としたものの、勝ち点獲得をかけて第3戦を迎える。ここで京大は意外な投手起用を見せる。正捕手の愛澤祐亮(宇都宮)を投手として先発起用したのだ。

「奇策ととらえられてしまうんですけど、ピッチャーとしての実力順でいえば愛澤だなと。奇をてらったわけではありません」

 そう語るのは、学生コーチの三原大知(灘)である。三原は大学4年生ながら投手コーチを務めており、監督の近田から投手起用の権限を委任されている。

 なお、三原には野球のプレーヤー経験はない。高校では生物部に所属していた。「文化祭でいかに効率よくカエルを解剖できるかを考えていた」という、体育会の匂いのしない青年である。

 だが、高校時代からMLBのデータサイトを閲覧するなど、三原は筋金入りの野球マニアだった。投手の投げるボールの回転数、回転軸、回転効率といったデータに着目し、趣味として知見を深めていた。

 3年前、京大野球部で弾道測定器・ラプソードを導入することになり、学生のアナリストを募集することになった。そこで入部したのが三原だった。元から投球成分の基礎知識があった三原は、即戦力として重宝がられた。三原は涼しげに言う。



アンダースロー投手も務める正捕手の愛澤祐亮

「先輩方が興味を持って接してくださったので、野球経験はなくてもコンプレックスを感じたことはなくて。やりにくいこともなく、受け入れてもらってきました」

 4年春のリーグ戦を戦ううえで、三原は「投手がもうひとりほしい」と考えていた。そこで浮かんだのが、愛澤だった。

 愛澤は高校時代、二塁手と投手を兼任していた。身長169センチと小柄ながら、柔らかい身のこなしと強いリストを生かしたアンダースローだった。

 栃木県出身ながら、「学校の東大至上主義の風潮への反抗心があった」と京大へ。野球部では珍しく文学部に在学し、「高貴な人でも結局ゴシップに興味があって、そんな人間っぽいところが好き」と『伊勢物語』を愛読している。

 オープン戦でのテスト登板を経て、愛澤の先発起用は決まった。常時130キロ弱のストレートとアンダースロー特有の浮き上がるようなカーブを生かし、愛澤は立ち上がりから0を重ねた。4回まで0点に抑えたところで、2番手の徳田聡(北野)にスイッチ。愛澤は本職の捕手に回ったが、「せっかくなら5回まで投げて勝ち投手になりたかった」と苦笑する。

 試合は4対2で京大が勝ち、幸先よく勝ち点1を奪取した。だが、京大の選手たちに満足感はなかった。彼らの目標は「リーグ優勝」だったからだ。

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