ブライアント氏は1989年、西武との天王山でVに近づく4打数連発 7月31日の阪神戦(甲子園)から8月2日の中日戦(神宮…
ブライアント氏は1989年、西武との天王山でVに近づく4打数連発
7月31日の阪神戦(甲子園)から8月2日の中日戦(神宮)にかけてプロ野球新記録の5打席連続本塁打を達成し、17日現在で本塁打王争い独走の今季42本塁打を量産しているヤクルト・村上宗隆内野手を、かつて伝説の4打数連続本塁打を放った近鉄バファローズの主砲、ラルフ・ブライアント氏はどう見ているのだろうか。独立リーグの北海道フロンティアリーグ・士別サムライブレイズの監督に今年就任し、日本プロ野球外国人OB選手会の理事も務めるブライアント氏に聞いた。これまで村上の打撃をチェックしたことはないと言うが、一方で「縁を感じる」と感慨深げに語る。
1995年限りで近鉄を退団後、今年士別の監督に就任するまで、日本を拠点にしたのはオリックスの打撃コーチを務めた2005年の1年間のみ。米国暮らしが長いとあって、村上については「全く知らない」と言う。
5打席連続本塁打の動画を見てもらうと、「すごくいいパワーをしている。彼は何歳なの? 22歳!? 僕が日本で現役だった頃、彼はまだ生まれてもいなかったということか」と目を丸くして驚いた。さらに「今季は何本ホームランを打っているの? 24-25本かな?」と質問。42本だと知ると「オーマイガッ! 彼の未来は明るいよ」と豪快に笑い飛ばす。
ブライアント氏は近鉄時代の1989年、西武、オリックスと三つ巴の激烈な優勝争いを繰り広げていた最中の10月12日、敵地・西武球場(現ベルーナドーム)で行われた西武とのダブルヘッダーで、2試合にまたがり敬遠四球1個を挟んだ4打数連続本塁打を放った。最終的に、チームが9年ぶりのリーグ優勝をもぎ取る原動力となった。
村上は昨季MVPと本塁打王を獲得し、今季も本塁打と打点の両部門でタイトル争いを独走中。ブライアント氏は近鉄に在籍した8年間で、MVP1度、本塁打王3度、打点王3度を誇った。2人の共通点は、突出したパワーの他にもう1つある。三振が抜群に多いことだ。
33年の時を超え、2人のスラッガーを結びつける人物とは…
レギュラー1年目の2019年、村上は36本塁打を量産する一方で、セ・リーグ新記録のシーズン184三振を喫した。184三振はパ・リーグを含めると歴代4位にあたり、プロ野球記録は1993年のブライアント氏の204三振。歴代2位も90年のブライアント氏の198、3位も89年のブライアント氏の187、5位も92年のブライアント氏の176で、2人で“ワースト5”を独占している。
「村上選手は今まで日本にいなかったタイプの打者ではないか?」とブライアント氏。「われわれ外国人選手のほとんどは、シングルヒットを打つために日本に呼ばれたわけではないので、私も心の中では常に本塁打を狙ってバットを振り、結果的に三振が増えた。対照的に日本人選手は、ボールに当てるのがうまく、なかなか三振をしない印象だから」と話す。
そして「村上選手が184三振しても、出場させ続けたチームが素晴らしい。彼はその中で自信をつけていったのだと思う」と指摘。2019年、当時の小川淳司監督(現GM)は、打率が既定打席以上でリーグ最下位(30位)の.231、守っては15失策の村上を辛抱強く起用し続けた。その1年がなければ、今季の快挙達成もなかったかもしれない。
ブライアント氏は「私が日本で長年活躍できたのは、近鉄に入団した当時、仰木彬監督と中西太コーチがいたから。2人は『大丈夫。いくら三振しても、ホームランさえ打ってくれればいい』と言い続けてくれた。自分のことを理解し、味方になってくれる人がいなかったら、ここまで長い間プレーできたとは思えない」と振り返る。
実は、村上を指導しているヤクルトの杉村繁打撃コーチも現役時代、中西氏に師事していた。いわば、村上は中西氏の“孫弟子”にあたるわけだ。ブライアント氏は「私がプレーしていた時代と、村上選手がプレーしている現在との間には、だいぶ時間がたっているが、村上選手が中西さんにつながっていると聞くと、縁を感じます」とうなずいた。33年の時を超え、果敢にバットを振り続け、アーチを固め打ちする2人の左の大砲。共通する打撃理論が流れているのかもしれない。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)