元東洋太平洋チャンピオン・井上浩樹現役復帰インタビュー 前編 ボクシングの元日本、WBOアジア・パシフィック・スーパーライト級王者、井上浩樹がリングに戻ってくる。 2020年7月に日本同級タイトル戦でプロ初黒星となる7回TKO負け。王座から…

元東洋太平洋チャンピオン・井上浩樹
現役復帰インタビュー 前編

 ボクシングの元日本、WBOアジア・パシフィック・スーパーライト級王者、井上浩樹がリングに戻ってくる。

 2020年7月に日本同級タイトル戦でプロ初黒星となる7回TKO負け。王座から陥落し、引退を表明した。しかし、1年7カ月が経った2022年2月に復帰に向けて練習を再開。世界バンタム級3団体統一王者"モンスター"井上尚弥、その弟で元WBC同級暫定王者の拓真のいとこにあたる浩樹は、マンガやアニメ好きで自らが描いたエッセイ漫画『闘え!コウキくん』を出版するほどの才能を持つ。

 最強の遺伝子を持つ自称"オタクボクサー"は、何を求めてリングへと戻るのか?その胸の内を伺った。



今年2月に現役復帰を決意した井上尚弥のいとこ、浩樹

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復帰へ最後のひと押しはアニメ

――まずは復帰を決めた経緯から聞かせてください。

「『もう一度戦う姿が観たい』と言ってくれる人たちがいたからですね。尚弥もそうで、ことあるごとに復帰について声を掛けてもらっていました。それでも迷っていて、ボクシングを離れている間は小説家・中村航さんの出版社に勤めながらマンガを描いていたんですが、その中村先生にも『マンガを描きながら、ボクシングに復帰してほしい』とずっと言われていました。

 中村先生は『BanG Dream! バンドリ』というアニメのストーリー原案を務めているんですが、ある日、先生から『今度、バンドリの映画があるから観に行かないか』と誘われて。それで、映画を見たその日の夜に、『(ボクシングを)やらなきゃダメだな』と思ったんです」

――尚弥選手からずっと復帰を促されながら、最後に背中を押したのは......。

「『バンドリ』でしたね(笑)」

――"オタクボクサー"を自称する浩樹さんですが、これまでもマンガが道しるべになってきたんですか?

「けっこう影響されやすくて、マンガに出てくる名言をそのまま受け入れちゃったりします。例えば、すごく好きなマンガ『バガボンド』で、沢庵和尚が武蔵に放った『一枚の葉にとらわれては 木は見えん。一本の樹にとらわれては 森は見えん』という言葉から、『確かに対戦相手、特定のパンチなどを意識しすぎると全体が見えなくなるかもしれない』と思ったり(笑)」

――現役時代は、『バンドリ』の曲を入場曲にしていましたね。

「2020年7月に負けて引退したあとに、『バンドリ』のライブに行った時には涙が出ちゃいました。その後は、現役時代を思い出してしまうこともあって、1年ほど作品に触れていなかったんです。

 でも、映画を観に行って『オレは何をしていたんだろう』と。映画の題材が『Save the Dream』、夢を守るという内容だったんですが、自分も夢を持っていたのに何も達成できてないことに気づいたんです。それで、映画を観たあとは走って帰りました」

――やる気に火がついたわけですね。復帰を決めたことを、尚弥選手に伝えた時の反応はどうでしたか?

「『俺がさんざん説得してたのに、アニメを観て復帰って......アホか!』と言われました(笑)。ずっと『明日にでも復帰しよう』と言い続けてくれていましたから、その反応も仕方ないです。

 拓真は、そもそも復帰を信じてくれませんでしたね(笑)。ある日、3人で走っている時に尚弥が『浩樹、復帰するらしいよ』と拓真に言ったんですが、『いや、絶対しないよ』と。僕は拓真と話している時に、思いついたことをパッと口にしてしまうことがあるんです。それで"狼少年"じゃないですけど、信じてもらえるまで時間がかかりました」



浩樹選手が描きおろした、尚弥選手に復帰を伝えた時の反応

――それにしても、尚弥選手にずっと復帰を望まれるのはすごいことですね。浩樹選手は一度引退したあとに尚弥選手のサポートもしていましたが、そこで昂るものもあったんじゃないですか?

「それもありますね。ラスベガスでの試合もサポートするうちに、『こういう舞台でやってみたい』という気持ちが高まっていたことは間違いありません。

 復帰することを伝えたあと、尚弥には『じゃあ明日、大橋秀行会長に言おうよ』と言われたんですが......会長から『今さら無理でしょ』と言われたらどうしよう、と怖くなって2週間くらい言えずにいました。それで少しイラついたんでしょうね。尚弥がTwitterで『早く復帰してくれねーかなー、、いつまで待たせるのかなー、、』(2022年2月17日)という"匂わせ"ツイートをしたんですよ」

――尚弥選手が引っ張り上げてくれたんですね。

「『会長に言いやすくしてくれたな』と思いましたよ(笑)。そのあと、尚弥の練習についていった時に意を決して伝えたら、大橋会長は『待ってたよ』と快く受け入れてくれました」

――大橋会長も気持ちがわかっていたのか、浩樹選手の引退届をコミッションに提出していなかったそうですね?

「それもうれしかったですね。なので、『少し休んだ』という形になりました」

――浩樹選手はかなりケガも抱えていたそうですが、それは回復したんですか?

「ケガは昔から多くて、腰をはじめ、体全体で悪いところがたくさんありました。でも、休養している間に『体のメンテナンスをさせてください』と名乗り出てくれた方がいて、1年くらい診てもらっています。

 それ以前は、ケガをしない体作りができていなかった。試合で頑張るために合宿に行くのに、そこでケガをしてしまって試合がうまくいかないこともあったり。その繰り返しだったのが、復帰後は合宿でかなり追い込んでもケガをしなくなりました」

――休養期間を経て、ボクシングとの向き合い方は変わりましたか?

「以前は、本当に自分のことしか考えてなかったな、と思いました。引退前の最後の試合はコロナ禍の影響で無観客でしたし、応援してくれていた方たちに対しても『それで終わりなのは失礼なのかな』と。あらためて恩返しがしたいですし、モチベーションも上がってます」

以前は闘争心ではなく、逃走心があった

――休養期間、ボクシングからは完全に離れていたんですか?

「いえ、完全に離れていたわけではありません。僕はサウスポーなので、尚弥と拓真がサウスポーの選手と試合が決まった時には、いきなり12ラウンドのマススパーリング(軽く攻撃を当てる程度のスパーリング)をやらされた時もありました(笑)。尚弥の昨年6月の試合、マイケル・ダスマリナス戦も相手がサウスポーだったので、ラスベガスの練習場でもずっとマスの相手を務めました」

――浩樹選手は現役時代、尚弥選手や拓真選手も含めて「1番才能がある」「井上家の最終兵器」などと言われていましたが、そのプレッシャーはありましたか?

「いえ、まったくありませんでした。その言葉をまったく信じていませんでしたから(笑)。『おちょくられているのか?』と思っていたんですが、10年くらい言われ続けたので、『ウソにしては長いな』とも思うようになって。尚弥もいまだに『才能があることに気づいたらもっと強くなるよ』と言ってくれるので、本当に才能があると思い込むことにしました」

――大橋会長や、尚弥選手と拓真選手のお父さんでトレーナーの真吾さんも、浩樹さんが「1番」と明言されていますね。

「ただ、ボクサーとして大事な部分が欠けていたことは自分でもわかっています。それは心技体の『心』の部分。最後に勝負を分けるのは、『絶対に敗けない』という精神力だと思うんですが、尚弥や拓真はぶっちぎって心が強い。ボクシングから一度離れて2人の戦いを見た時に、それを再認識しました」

――浩樹選手にも、闘争心はあるんじゃないですか?

「闘争本能はあまりないかもしれません(笑)。『闘争心』ではなく『逃走心』という感じで、勝てそうな試合だと逃げきることを狙うような試合もありました。ベルトがかかっている試合や、相手によっては気持ちが盛り上がる時もあったんですが......波があるかな、と自分でも思います」

――復帰後はボクシングのスタイルも変わりそうですか?

「勇気と頑張りを感じてもらえるボクシングがしたいです。以前は、負けることが怖くて安全な距離で戦っていました。そのスタイルを捨てて、打ち合ったり、ここぞというところで前に出られるようにしたい。そして観ている人に楽しんでもらいたいです」

――復帰戦の入場曲はもう決めていますか?

「やっぱり『バンドリ』の曲でいきます!」

(後編:いとこの浩樹だからこそ知る井上尚弥の素顔。ドネアとの再戦秘話、珍しい出来事を明かした>>)

【プロフィール】

◆大橋ボクシングジム: