青森山田は女子団体15年ぶり出場、主将の松山が自身の成長明かす 柔道の全国高校総体(インターハイ)は8日、競技3日目が行われた。青森山田は15年ぶりに女子団体に出場。3年生3人で掴んだインターハイは初戦敗退で、涙を流した。主将の松山実憂(3…

青森山田は女子団体15年ぶり出場、主将の松山が自身の成長明かす

 柔道の全国高校総体(インターハイ)は8日、競技3日目が行われた。青森山田は15年ぶりに女子団体に出場。3年生3人で掴んだインターハイは初戦敗退で、涙を流した。主将の松山実憂(3年)は「すれ違いもたくさんしたけれど、一番近くにいてくれた」とチームメートに感謝を口にした。

 目標だった女子団体でのインターハイ出場。初戦の相手・新潟第一に力を出しきれず敗れた。先鋒の鈴木稚菜、中堅の藤井優希がともに一本負け。大将として臨んだ松山は「1つでも取りたい」と意気込んだが、63キロ級の自身とは体重が40キロ近く違う相手に払い腰で敗れた。

 試合前は鈴木、藤井の緊張をほぐそうと笑顔を見せていたが、「何もできなかった」と涙を堪えることはできなかった。それでも女子団体では15年ぶりのインターハイ出場。青森県大会では強豪・木造を代表戦までもつれる接戦の末に破り、全国の切符を掴んだ。

 松山は小学生の頃の自分を「やんちゃで、悪戯好きな子だった」と表現する。トイレットペーパーを詰まらせて先生に言えず、警察を出動させてしまったこともあるお転婆な少女だったが、柔道に出会って少しずつ変わっていった。

 小学1年生の夏、父の誘いで少年団の練習に参加。その日のうちに「勝手に団員に入れられた」と笑いながら振り返る。中学までの練習は厳しく、怒られるのが苦手で何度も辞めたくなったが、そのうち負けず嫌いな性格に火がついていた。「高校で結果が出たのは、小中の厳しい指導もあってのこと」と感謝している。

 野辺地中から青森山田高に進学し、本当の意味で柔道が楽しくなった。日体大で古賀稔彦さんと同級生だった生田勝幸総監督らの指導を受けてさらに成長。県内外から選手が集まり、男女ともに仲が良い部活の雰囲気も新鮮で、競技を楽しむ心を初めて持てた。

 今大会で柔道は引退する予定。将来の夢は、生まれ育った青森で救急救命士になることだ。「柔道でも怪我の際には救急車を使うこともありますし、病院まで無事に繋げる役割を果たしたい」。そう語った松山の表情は、涙から天真爛漫な笑顔に変わっていた。(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)