ランの追求はスプリントコーチとの出会いがもたらしたうれしい副産物「ラン検定」の公式ページには、「“ラン検定”とはラン(走…
ランの追求はスプリントコーチとの出会いがもたらしたうれしい副産物
「ラン検定」の公式ページには、「“ラン検定”とはラン(走り)についてさまざまな角度から学ぶことであり、ランの理解が深まれば、目的に応じた適切なトレーニングを行うことが可能となり、パフォーマンスアップやケガ予防に役立つ」と記載されている。元陸上のトップアスリートが立ち上げたこのラン検定で1級を取得したJリーガーがいる。彼はなぜ、サッカー選手でありながら、走りを学んでいるのか。その理由を探った。(文=藤井 雅彦)
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今季からヴィッセル神戸でプレーしている槙野智章は“走り”の世界に魅せられたひとりだ。
そもそもの動機は至ってシンプル。
「誰よりも速く走りたい」
足が速ければ、それだけでスターになれる。幼少期における絶対常識で、誰しも足の速さに憧れたはず。
槙野も例に漏れなかった。アスリートが心身ともに充実期を迎えると言われる20代半ば過ぎに所属するマネジメント会社を介してスプリントコーチの秋本真吾氏に出会った時も、その思いは依然として強かった。
オフシーズンを利用して八丈島で3泊4日のスプリント合宿を実施。秋本氏とはその初日が初対面で、トレーニングの詳細すら知らないまま臨んだというのだから、いかに手探り状態でのスタートだったかが分かる。
それでも当時のチームメイトである宇賀神友弥(現・FC岐阜)らと参加した初めてのキャンプは発見の連続だった。
最初に痛感したのは、走りに対する知識と理解の不足だ。
「ある程度、自信を持っていたスプリントなのに、実際は何も理解できていませんでした。走りの世界を追求すればするほどうれしい喜びと、同時に何もできていない悔しさが入り混じった感情になったことを鮮明に覚えています。仲間もみんなゼロからのスタートでしたけど、横にいる選手が吸収し、成長していく姿を目の当たりにして焦りました。そうやって切磋琢磨する環境が良かったのだと思います」
秋本氏の分析によると、槙野は「決して器用ではないけれど、コツコツと努力できるタイプ」。選手によってはたった一度のアドバイスで大変身を遂げる場合もあるが、信じて続けられることも重要な能力のひとつ。“継続は力なり”で槙野は自身の走りと考えが変わっていったことを明かす。
「最初は足が速くなりたいと思って取り組み始めましたが、トレーニングを重ねるごとに変化が生まれてきました。ケガをしない体作りを兼ねていて、僕自身は筋肉系の負傷が圧倒的に減ったことが大きかった。そして90分間体力を持たせながらハイパフォーマンスを発揮できるようになったんです」
明確な手応えを得た瞬間があった。
センターバックを主戦場とする槙野は、ディフェンスラインの背後に出されたボールを処理するために反転し、スプリントを開始した。それまでなら全力疾走で相手よりも一歩先を行こうと無我夢中になっていたはず。でも、その瞬間は違った。
「100%のエネルギーでガムシャラに走っているよりも、7~8割の力で走ったほうが速いことに気付きました。100%だと、どうしても姿勢が悪くなってしまい、足の接地や腕の振りも安定しません。90分間の試合を通して7~8割の力でプレーできれば、全体の強度が上がり、パフォーマンスも安定し、体力的な余裕も生まれました」
正しく走ることの意味を知った今は「新しい景色」を見せてくれる
パフォーマンスの向上はチームの結果にも表れた。所属する浦和レッズは2015年と2016年にJ1リーグのステージタイトルを獲得。同時期にはJリーグYBCルヴァンカップや天皇杯、AFCチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げ、槙野自身はベストイレブンに選出されると同時に日本代表の常連としてプレーした。
35歳になった現在も第一線で活躍するトップアスリートだが、人間は年齢に抗えない部分もある。それは誰よりも本人が感じていることで「スプリントトレーニングに取り組み始めた頃に比べると落ちた部分はあるかもしれない」と潔く認められる懐の深さは槙野の大きな魅力だ。
しかし、だからこそ正しく走ることには大きな意味がある。
「最初は、言われたことを理解できても体を動かせませんでした。何度も何度も自分が走っている映像を見返して、矯正していきました。このトレーニングはコンスタントに続けなければ意味がなくて、どうしても悪い癖が出てきてしまう。それがパフォーマンスの低下やケガにつながってしまうんです。ただ速く走ることを目指してスタートしたことが、今では新しい景色を見せてくれています。ここ数年はいろいろな選手が走りに注目するようになってきていると感じますが、僕は10年近く前から秋本さんに重要性を説いてもらっています。年齢を重ねても賢くプレーできるようになったのは、正しい走りを追求したからです」
体に染みついた動作は、もちろん頭の中で整理されている。その成果がラン検定1級の一発合格だろう。
「これまでに受けてきた指導を復習する意味で、あらためて勉強になりました。たくさんの選手に興味を持ってもらいたいですし、子どもや指導者にとっても有意義なはず。最近、周りの選手の走りを見て、いろいろ分析してしまうんですよ。『この選手、もっと速く走れそう』とか、『ケガをしないか心配だな』とか。自分だけでなく走りに対する興味が湧いてきて、トレーニングメニューやそのタイミングも考えるようになりました」
体力や筋力を維持するためにも、走りのトレーニングは重要度が増している。
2022シーズンから秋本氏がいわきFC(J3)のスプリントコーチに就任したように、今後は各クラブが走りに特化したコーチを配する時代がやってくるかもしれない。すでにパーソナルトレーニングの枠組みにとどまらない勢いがある。
老若男女問わず、生きていれば走る機会は自然と生まれる。勝負の世界の生きるアスリートはもちろんのこと、健康のためにもランは欠かせない。
槙野が夢中になっている走りは、世の中を大きく変えていく力を持っている。
■槙野 智章 / Tomoaki Makino
1987年5月11日生まれ、広島県出身。2000年に地元・広島のJリーグクラブ、サンフレッチェ広島の育成組織であるジュニアユースに加入し、ユースを経て、2006年にトップチームに昇格。翌年カナダで開催されたU-20ワールドユース(現U-20W杯)では激しいパフォーマンスなどで勝ち進むごとに注目を集め、“調子乗り世代”と呼ばれた。その後、2010年にドイツに渡りケルンで2シーズンプレー後に帰国し、浦和レッズに加入。2度のステージ優勝とAFCチャンピオンズリーグでアジア制覇を成し遂げた。日本代表としても活躍し、2018年のロシアW杯に出場している。今季からヴィッセル神戸に移籍している。(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)