引退から3年。坪井慶介インタビュー 後編前編「オールドルーキーになった時のこと」はこちら>>ドラマ『オールドルーキー』の…
引退から3年。坪井慶介インタビュー 後編
前編「オールドルーキーになった時のこと」はこちら>>
ドラマ『オールドルーキー』の初回にも出演した元日本代表の坪井慶介氏。ここでは3年前の現役引退時からここまでの、オールドルーキーのリアルを語ってもらった。
◆ ◆ ◆

現在は解説業など、タレントとして幅広い活動をしている坪井慶介さん(写真提供:株式会社SARCLE)
厳しい評価を受け入れられないのが難しい
――ドラマではオファーが一つもないという厳しい現実から引退を余儀なくされます。プロ選手であればそういった可能性は誰しもあることですが、クラブから厳しい評価を受けた時、選手はどんな思いなのでしょうか?
「選手としては一番難しく、一番受け入れられない部分だと思います。選手というのは、クラブや監督からキャリアのなかで一番いい時のプレーを求められるわけです。ただ、残念ながら年齢を重ねていくにつれ、体力やスピードは落ちていくもので、自分では動けていると思っていても、周りから見るとパフォーマンスが落ちていると評価されることが多々あります。でも選手はそんなの受け入れられないんですよ。だから難しい」
――ドラマの新町さんもまったく受け入れられていなかったですね。
「全然受け入れられてなかったですね(笑)。でもあれがリアルな話だと思います。だから脚本を書いた人はすごいと思いました。新町さんはまた日本代表に返り咲くんだと言っていましたが、選手は常に上を目指していかなきゃいけないわけです。でも年齢を重ねると、向上していくのも難しくなっていく。その現実と自分のなかでの評価とのバランスを取るのは、周りが思っている以上に難しいものです」
――クラブから厳しい評価を受ければ、退団・移籍、あるいは引退という選択肢になるわけですが、新たに評価してくれたクラブに対して、選手はどんな思いなのでしょうか?
「湘南にしても山口にしても拾ってもらったと思っているので、すごく感謝しています。私の場合は、浦和と湘南から契約満了の提示をもらいました。それを見た時はかなりショックでしたね。もう必要としていないという評価を現実として目の前に突きつけられたわけですから。選手は『俺はもう価値がないんだ』と思って当然です。だからこそ、次に必要としてくれるクラブがあると、本当に感謝するんですよね。もう一度、ピッチで競争する権利を与えてもらったという思いです」
この先どうなってしまうんだろうという不安
――退団リリース時にサポーターやクラブにメッセージを残すことがありますが、その時も複雑な思いを抱えているものですか?
「浦和や湘南でもそうでしたけど、行った先のクラブで骨を埋める思いでやってきたので、それが叶わなかったという切なさや悲しさ、複雑な思いはありましたね。とくに湘南ではJ2から昇格して、来季はまたJ1で自分の力を証明しようと思っていたところで契約満了をいただいて、もうJ1は厳しいのかと。自分があの舞台に立つことはもうないんだろうなと思った時、すごく寂しさを感じました。本当にオールドルーキーの世界ですね(笑)」
――そういった時、坪井さんにとって代理人はどんな存在でした?
「自分ではわからないことや客観的な意見を教えてくれる貴重な存在で、すごく感謝していましたね。湘南や山口へ移籍する際もクラブに提示された厳しい評価を代理人から事前に聞いていて、現実的に受け入れなければいけないと話してくれていました。クラブとの交渉だけでなく、そういったことも代理人の大きな役割でした」
――仕事とはいえ、選手に一番伝えづらいところですよね。
「そうですね。自分では納得するパフォーマンスをしているのに年俸が上がらない、評価されない。つい『なんでだよ!』と思う時にも、私の代理人は『クラブの評価はそうじゃないんだよ』と率直に伝えてくれる人で、それは30代後半からのサッカー人生、人間形成において本当に助けになりましたね」
――セカンドキャリアのスタートはどうだったんですか?
「引退後、一旦サッカーの現場からは離れることは決めていました。ただ、すぐにコロナ禍になって全然仕事がない時期がありました。だからこの先どうなってしまうんだろうという不安はすごくありましたね。
そのなかでもずっと考えていたのは、どんな仕事でも前向きに取り組もうということ。引退してから1年目の意識でいたので、どんな仕事でも一生懸命コツコツと積み重ねていく。やるべきことを全力で、謙虚に取り組んでいく。そこは、プロサッカー選手になった当初の初心と変わらないと思っていました。それがあったから、セカンドキャリアにもスムーズに入っていけたと思います」
解説業をようやく楽しめるようになった
――引退後に仕事をしていくなかで、一般的なスキルの部分で困ったことはありました?
「やっぱりパソコンですね。解説の準備をする時もメモは手書き派です(笑)。選手時代は映像をiPadやPCで見るぐらいはありましたけど、仕事のやりとりをPCでするなんてまずないですからね。映像の編集スキルなんて当然ないし、文字を打ち込むのだってドラマの新町さんのように異常に遅いです(笑)。でもそういうことにも順応していかなければいけないですよね」
――解説業などメディアに出る仕事をメインに活動されていますが、選手時代とは違う現場に戸惑いなどはありませんでしたか?
「解説やリポーターなどをやる時に、選手としていろんな経験をしてきているので緊張には強いほうだと思ったんですけど、現場で生中継で流れるとなった時に頭が真っ白になったことがありますね(笑)。立場が変わって言葉でなにかを伝えなきゃいけないとなって『こんなにも緊張するんだ』というのを最初のほうに経験できたのは大きかったですね」
――中継での解説ではどんな準備をされていますか?
「選手の背景や前所属など、そういったことは実況の方がやってくれるので、各選手がどういったプレーをし、どんな特徴があるかは最低限勉強しておく必要がありますね。例えば過去3試合はさかのぼって、それが両クラブなので1度の中継の準備として最低限6試合は見ています。この準備の部分が一番大変だと思いますけど、それは現役の頃も同じですね。長くサッカーを続けるなかで、試合に対しての練習、準備、その後のケアをしっかりやり続けることがいい結果を生むし、長く続ける秘訣だと思っています」
――解説業は楽しめていますか?
「最近はようやく楽しめるようになってきましたね。今だから言えますけど、引退後すぐに解説の仕事が来た時は『無理、無理、俺には解説なんて無理だから』と言っていたんですよ(笑)」
――そうだったんですね(笑)。実際、最初の解説はどうだったんですか?
「まず声が小さい。マイクの感覚がわからなくて、あまり大きな声で話すと試合の邪魔になってしまうんじゃないかとか考えてしまって、小さめの声になっていたんですよ。あと気を使って『あ、今しゃべらないほうがいいかも』と思って逆にしゃべらなすぎて、実況の方が話を振ってくれないとあまり話さない感じでしたね(笑)」
普及活動にやりがいを感じている
――では最後に今後のキャリアについて考えていることを教えてください。
「今後もサッカーに関わる仕事を続けていくのはもちろんですが、サッカー以外のいろんなメディアでも活動していければと思っています。
あとはサッカーの普及活動ですね。イベントなどで、これからサッカーを始めるかどうか、運動を始めるかどうかくらいの子どもたちと接する機会が多いんです。そうして子どもたちと一緒にボールを蹴って『楽しかった』と帰ってもらう姿にすごくやりがいを感じています。
Jリーグという国内のトップレベルでの解説も大事ですが、そういった草の根的なところでの普及活動もこれからの日本サッカーの発展においてとても大事だと思っています」
(おわり)
坪井慶介
つぼい・けいすけ/1979年9月16日生まれ。東京都出身。四日市中央工業高校、福岡大学を経て、2002年に浦和レッズ入り。俊足を生かしたDFとしてチームの数々のタイトル獲得に貢献した。日本代表としても国際Aマッチ40試合出場。その後、湘南ベルマーレ、レノファ山口FCでプレーし、2019シーズンを最後に現役引退。現在は解説業のほか、タレントとして幅広い活動をしている。