今後はプロアスリートして歩むことを宣言した羽生結弦ファン、メディアへの感謝の言葉から始まった、羽生結弦らしさにあふれた「決意表明」会見。新たなスタートをきった彼は、これからどんな姿を見せてくれるのか? 羽生結弦を10年以上取材してきたスポー…



今後はプロアスリートして歩むことを宣言した羽生結弦

ファン、メディアへの感謝の言葉から始まった、羽生結弦らしさにあふれた「決意表明」会見。新たなスタートをきった彼は、これからどんな姿を見せてくれるのか? 羽生結弦を10年以上取材してきたスポーツジャーナリスト・折山淑美が、期待を込めて綴る。

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 7月19日に「羽生結弦の決意を表明する場」として開催された記者会見。今後は競技会には出場しないと明言した彼の、「これからはプロのアスリートとして活動していく」という言葉に強い決意を感じた。

「これからは競技者として、他のスケーターと比べ続けられることはなくなりました。ただこれからは、自分のことを認めつつ、また自分の弱さや過去の自分とも戦い続けながら滑っていきたいと思います。4回転半もより一層取り組んで、皆さんの前で成功させられることを強く考えながら頑張っていきたい。戦い続ける姿をこれからも応援していただけたら嬉しいです」

 プロスケーターではなく、プロアスリートと明言する彼にとっては、滑る場所が変わっても、意識のなかではフィギュアスケートはスポーツであり続けるということだ。より高いレベルの演技を追い求め続けると。

 18年平昌五輪で連覇を果たしたあと、羽生は「これで獲るべきものはすべて獲ったと思っている」と、何度も口にしていた。

「17歳くらいの時のインタビューで、『平昌で2連覇したらどうするんですか』と聞かれた時に、本当にそういう気持ちで『そこからがスタートです』と答えていたが、今もそういう気持ちでいます」と話す羽生。平昌のあとに引退して、プロのアスリートとしてスタートしようという気持ちを持っていた。だが4回転アクセルや、四大陸選手権を含めて金メダルを獲っていない試合があっため、それを獲りたいと思って続けた。

 そして18年にはGP初戦の初勝利を挙げ、19年には2位3回だったスケートカナダで優勝し、20年2月には四大陸選手権も初制覇して、男子初のスーパースラムも達成した。

「結果として4回転半にこだわり続けたから北京五輪というところまで続けていたけど、今の自分の考えとしたら、別に競技会で(4回転アクセルを)降りなくてもいいんじゃないかと思ってしまっています。これから先、自分が努力したい方向作りや、自分が理想としているフィギュアスケートの形だったりとか......。そういったものに打ち込めるのは、競技会じゃなくてもできるなって。そして競技会じゃないほうが、みなさんにも見ていただけるんじゃないかなと思って、こういう決断をしました。これからも4回転半を含めて、よりアスリートらしく頑張っていきたいなと思います」

 フィギュアスケートにはルールがあり競技会で勝つことを目指すためには、ジャンプ構成などもそれに即した形にしなければならない。だが羽生は平昌五輪以降、そこから少し自由になろうとした。「もう勝ち負けにこだわる必要はないのでは」という思いが心のなかにあったからだ。

 フリーの『Origin』で、シークエンスになってそれぞれの基礎点合計の8掛けの得点となる4回転トーループ+トリプルアクセルをプログラムのなかに入れたのは、「それは今の自分ができる、最高難度のコンビネーションジャンプだ」という思いが強かったから入れたものだった。

 またSPの『秋によせて』でも、シーズン初戦のオータムクラシックでは、3本目のジャンプが演技の後半に入っておらず、1.1倍のボーナス点はつかなかった。だがそれは、静かな曲調の前半に3本のジャンプをすべて入れ、曲が盛り上がる後半はスピンとステップで自分の感情を音に合わせて、存分に表現したいという意図があったからだ。結局次戦からは連続ジャンプを少しうしろにずらす構成に変更したが、本人はその作業にも「かなり苦労した」と話していたように、本意ではなかったのだろう。

 フィギュアスケートのルールは毎年少しずつ変更されている。今年もシークエンスジャンプが8掛けから10割の得点になり、スピンやステップのレベル獲得条件が変わった。また演技構成点も、これまでの5項目から3項目に変更され、選手たちも実際に試合が始まらなければどのくらいの得点になるかわからない状況だ。

 そういう外的要因に振り回されるのではなく、そんな制約から解き放たれて自由になってこそ、自由な発想で高難度ジャンプの構成も考えられる。そして、自分自身が作り上げたいプログラムを、理想とするフィギュアスケートを追求できるのではないかと考えたのだろう。だからこその、プロアスリート宣言なのだ。

「平昌五輪が終わったあとは毎試合、毎試合、新しいスタートをきりたいと思っていました。大会が終わる度に、『この努力の方向は間違っているのかな』とか、『本当に頑張れているのかな』などと考えながら競技をしていました。

 最終的な決断に至ったのは北京五輪から帰り、足が痛くて滑れなかった期間です。そこで『もう、このステージにいつまでもいる必要はないのかな』と考え、『よりうまくなりたい、より強くなりたい』と思って決断をしました。またアマチュアスケーターとして最後に滑らせてもらった"ファンタジー・オン・アイス"でも、改めて『より高いステージに立ちたい』『より、努力したことが皆さんに伝わるステージに立ちたいな』と思いました」

 そんな羽生は、現在も4回転アクセルの練習は常にやっているとも話した。「北京五輪前には4回転アクセルのためだけに努力していたと言っても過言ではない」とまで追い詰めた経験もあることで、現段階でも「もっとこうすればいいのでは」とか、「こうもできるな」という発想も浮かんで手応えを感じていると。またアイスショー出演中でも、「こういう視点があったんだな」というような発見が毎日のようにあって学べていて、自分への期待とワクワク感もあり、自分の伸びしろの大きさも感じている状態だと話す。

 羽生が今回決断したのは引退ではなく、自分のなかの、フィギュアスケーターとしてさらなる進化を求めるために、挑戦し続けようという思いに正直になることだった。そんな彼がこれから、どんな舞台でどんな演技を見せてくれるかと、見ている側も期待が膨らむ。

 彼に見せてもらいたいものはいっぱいある。音や表現のなかに高難度ジャンプを溶け込ませるような、シームレスな演技。さらにはその演技のなかで4回転アクセルが着氷するのも見たいし、北京五輪で予定しながらできなかったトリプルアクセル+3回転ループや、4回転フリップも演技のなかで見てみたい。

 そんな願いを彼が叶えてくれる日は、きっとくるはずだ。

Profile
折山淑美(おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて16回の大会をリポートしている。フィギュアスケートの取材は90年代初頭からスタートし、2010年代からはシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。