森井和美さんは92年のオリックス入団テストに挑戦、後に女子代表として活躍した ルール上、性別に関係なくプロ野球選手になれ…

森井和美さんは92年のオリックス入団テストに挑戦、後に女子代表として活躍した

 ルール上、性別に関係なくプロ野球選手になれることをご存知だろうか。1991年に日本野球機構(NPB)は男女平等に合わないとして野球協約を改訂し、「医学上男子でないものを認めない」という条項を撤廃した。改訂された翌92年、オリックスは実際に17歳以上の男女へ門戸を開放。3人の女性が入団テストに挑戦した。

 そのうちの1人である森井和美さんはのちに1999年結成の初代女子野球日本代表に名を連ねるなど、7年連続で代表に選出された実力を誇る。入団テスト参加から30年。女子野球のパイオニア的存在は「こんな話は久しぶりにしますね。しばらく話題になったんですよ」と当時の記憶を遡る。

 当時24歳だった森井さんは、地元の女子軟式野球チーム「オール兵庫」でプレー。オリックスの入団テスト挑戦は軽い気持ちで決めたというが、さすがに当日は違った。「緊張のような、わくわくしていたような」と胸を膨らませる一方で、「もし合格したらどうしよう」とも考えた。

「もしかしたら(男性参加者から)『なんだこいつ』って目で見られていたかもしれませんね。嫌な気がしたかもしれません。でも、周りの目を気にするより『わぁ、すごいな』って胸がいっぱいでしたよ」と目を輝かせる。プロへの挑戦、他の参加者の高い能力を目の当たりにするなど、初めての体験がいくつも重なり興奮しっぱなしだったという。

1次テストで不合格も「女が野球をしている姿を見せたい気持ちがあった」

 驚くことに、硬式ボールを握るのも初めてだった。「小さい頃からプロ野球は好きでしたけど、ボールが違うとか細かいことは全然知らなかったんです。(硬球を持った時に)『なんだこれ、重いな』と思いました」と打ち明ける。入団テスト受験は“ぶっつけ本番”だった。

 初めて握った硬球で挑んだ遠投は60メートルを記録し、50メートル走は7秒3をマーク。だが、男性挑戦者と同じ基準である合格ライン「90メートル以上、6.5秒以内」には届かず、女性挑戦者は全員1次テストで姿を消した。

 結果は残念だったが、森井さんは清々しい気持ちで球場を去った。それはこの挑戦に対するもう1つの“野望”が達成できたからかもしれない。「女が野球をしている姿を見せたいという気持ちもあったかもしれませんね」と当時の心情をおぼろげに思い出す。多くの報道陣に囲まれ、一躍話題の人に。この報道をきっかけに女子野球という存在を世に知らしめることができたのだ。

 森井さんは55歳になった現在も現役として軟式野球チーム「モンスターズ」に所属する。ランニングを週3度行うなど、身体作りも欠かさない。2020年以降、NPBの球団名を冠した女子チームが多く誕生しているが、もしオリックスが女子チームを創るなら―――。

「もちろんメンバーにしてもらえるなら、今でもなりたいです」と言い切る。「指導者よりは選手がいいですね。こんな歳になってしまいましたけど、まだまだ動けますよ」と即戦力を宣言。その表情は日本の女子野球界を切り開いてきたレジェンドとしての自信に満ちていた。(喜岡桜 / Sakura Kioka)