連載第1回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち証言者・岩本勉(1) イップス――これまで普通にやれていたこ…
連載第1回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・岩本勉(1)
イップス――これまで普通にやれていたことが突然できなくなってしまう。野球界においても例外ではなく、なかでも自分の投げ方を忘れてしまう"送球イップス"に苦しむ選手は多い。ある者はポジションを追われ、ある者は選手生命にピリオドを打たざるを得なくなった。まさに野球選手にとって"イップス"は地獄のような言葉である。その"地獄のイップス"を経験したことのあるプロ野球選手、関係者の証言から、イップスの深刻な症状や改善策を探っていきたいと思う。最初に登場いただくのは、かつて日本ハムのエースとして一時代を築いた岩本勉氏。

小学生の頃からイップスに苦しんでいたと明かす岩本勉氏
背中越しに舌打ちが聞こえてきた。
マウンドから後ろを振り返る。二軍に落ちてきたばかりの内野手が、敵意をむき出しにして「おい、お前何回走らすねん」とすごんできた。
簡単な練習のはずだった。バント守備のフォーメンションプレー。手加減したボールを投げて、打者にバントさせる。ただそれだけのことだった。しかし、その簡単なはずの力加減がわからない。力をセーブして確実にストライクを取ることは、全力投球でストライクを取ることよりもはるかに難しく感じられた。
投げては「ボール」の宣告を受ける、その繰り返し。先輩内野手の舌打ちは執拗に続いた。いつしか練習に加わっていた投手陣全体に制球難は広がり、最後にはストライクを取れる投手がひとりもいなくなってしまった。
「イップスっていうのは、猛毒の伝染病ですからね」
25年前の記憶を掘り起こしながら、岩本勉は冗談めかして笑った。
16年間の現役生活でプロ通算63勝を挙げた日本ハムの元エース。ヒーローインタビューで「まいど!」と絶叫する定番のパフォーマンスで、全国区の知名度を誇っていた。
そんな明るいキャラクターの岩本の野球人生には、常に「イップス」という影がつきまとっていた。
野球における「イップス」とは、主に投げる動作について使われる言葉だ。症状は個人差があるが、もともとボールをコントロールできていたプレーヤーが、自分の思うように投げられなくなってしまうことを指す。症状が悪化すると、投球動作そのものが変質してしまうケースもある。もともとはゴルフ競技で使われていた言葉だったが、今やイップスの存在は野球やほかのスポーツでも市民権を得た感がある。
アマチュアはもちろん、最高峰の技術を持ったプロの世界でもイップスに苦しむ選手は多い。現在は野球解説者として各球団の現場を回る岩本は先日、ある球団のレギュラー内野手にこう切り出したという。
「(右手の人差し指と中指を揃えて、親指にちょんちょんとつける仕草をして)『お前、持ってるやろ?』って聞いたら、『そうなんです』って答えてね。僕らはこのサインで(イップスかどうかを)確認するんです」
プレーヤーの選手生命を蝕(むしば)む悪魔――。それがイップスなのだ。だからこそ、彼らはイップスに侵されているかどうかを「持ってる?」という言葉で確認するのだろう。
研究者や指導者のなかには、イップスのことを「技術的な問題」と語る人間もいれば、「心因性のもの」と語る人間もいる。いずれにしても、はっきりとした原因は解明されていない。たとえイップスの気(け)があったとしても、引退するまで公言したくないという選手も多い。インタビュー中に「イップスのことは書かないでください」と懇願してきたドラフト候補もいた。そして岩本は野球界の恐るべき実態を明かす。
「プロ野球選手がやめる原因の8割はイップスですよ」
最初は岩本らしいリップサービスなのかと思ったが、本人の目は真剣そのものだった。イップスによって地獄の底まで叩き落とされた男だからこそ、この言葉は重かった。
岩本がイップスを発症したのは、プロ入り後の若手時代だったと多くの文献に書かれている。だが、本人に聞くと「小学生の頃から、ずっと(イップスを)持っていました」と言う。
「プロに入るまで『イップス』なんて言葉は知りませんでしたから、自分に何が起きているのかわからないんですよ。リトルリーグの頃から球審の『プレイボール』の声が掛かって、滑り出しでうまくストライクが入る日と、そうでない日があった。スパッと入れたらいいんやけど、悪い日は腕が縮こまってストライクが入らない。滑り出しで入れない日はすぐに交代させられていましたね。だから試合の前の日はいつも眠る前に祈っていましたよ。『明日はストライクが入る日でありますように』ってね(笑)」
野球界には「ノーコン」という隠語もある。しかし、本稿では本来は正常にコントロールできる技術を持ちながら、突如制御不能になる症状のことを「イップス」として、「ノーコン」とは分けて話を進めていきたい。
岩本は小学校、中学校、高校と上がるにつれて、症状が治まった時期もあった。また、キャリアを重ねるなかで、イップスを隠しながらある程度の範囲に投げられる術(すべ)も身につけていった。岩本の高校時代には「イップス」ではなく、「カンナシ」という言葉が使われていたという。
「『感覚なし男(お)』で、略して『カンナシ』。たとえば中継プレーでファーストがホームに向かって投げるとき、自分の目の前にバーン! ってバウンドするような球を投げたりしたら、『ああ、アイツ、カンナシやで』って言っていましたね」
自身もそんな「カンナシ」であることを自覚しながらも、岩本は1989年のドラフト会議で2位指名を受け、日本ハムに入団する。そして迎えたプロ3年目。冒頭のバント守備練習中に、再び地獄の入口へと一歩足を踏み入れることになる。
岩本は言う。
「自分の1球で、周りの選手たちの生活も変わります。その周りの選手たちの、家族の生活も変わります。見ているファンの人たちの気持ちも変わりますし、球団の人気も変わっていきます......そうやって考えれば考えるほど、神経質な人間ほど、なります。イップスは......」
(つづく)