阪神・秋山拓巳が変わった。いや、”変わった”というより、”元に戻った”という表現の方がしっくりくる。 5月16日、秋山は中日打線を6安打、1失点に抑えて完投。12三振を奪って、今季3勝目…

 阪神・秋山拓巳が変わった。いや、”変わった”というより、”元に戻った”という表現の方がしっくりくる。

 5月16日、秋山は中日打線を6安打、1失点に抑えて完投。12三振を奪って、今季3勝目を挙げた。

 すでに今シーズン、秋山は先発で7試合(48イニング)を投げて防御率2.44と抜群の安定感を見せている。さらに驚くのは、四球がわずか3つという制球力のよさだ。この中日戦も無四球での完投勝利だった。



5月16日の中日戦で今季初完投勝利を飾った秋山拓巳 秋山については、個人的に忘れられない思い出がある。それは、彼が西条高校(愛媛)3年の秋のことだ。

 ある雑誌の取材で、私は秋山の全力投球を受けた。この年、秋山は春のセンバツ、夏の選手権と2度の甲子園に出場し、実力を遺憾なく発揮していた。当然、ドラフト候補として注目され、知名度もグッと上昇していた時期だった。

 高校通算48本塁打のバッティングも、高校生のレベルをはるかに超えていたが、本人はあくまで「投手」に強いこだわりを持っていた。

 184センチ、90キロという堂々とした体躯(たいく)から投げ下ろしてくるのだから、てっきり豪快なパワーピッチャーだと思っていたら、しなやかな身のこなしと腕の振りから1球1球、丁寧に投げ込んでくるピッチングスタイルだったことにまず驚いた。

 カーブは落差が大きく、鋭くタテに曲がってからさらに加速するので、まさに空振りを奪える必殺兵器。ストレートも両サイドにきっちり投げ分け、構えたミットをほとんど外さない。

 30球ほど投げてもらい、仕上げにどこに投げてもらおうかと思い秋山に聞いたら、「アウトローのストレートをお願いします。自分の生命線なんで」と間髪いれずに返してきた。

 その”アウトロー”のストレートが素晴らしかった。右腕の軌道が頭に近く、リリースポイントも顔の前に見えた。その位置でボールを離すことができれば、「そりゃ、ここに来るよな……」と納得の1球。おまけに半身でどっしりと踏み込み、一気に鋭く体を切り換えるからボールに勢いがつく。見事なまでにタテの角度がついた快速球が、右打者のアウトローに決まった。

「このベストボール、何球続けられるかやってみよう!」

 マウンド上で秋山がニヤッとしたように見えた。

「さあ来い、ここだ! 勝負だ!」

 そこからの秋山がすごかった。それまでにこやかに投げ続けてきた表情が一変し、怒っているようにも見えた。

 立て続けに9球、アウトローに構えたミットにズバズバと決まった。スピードは140キロ前後だったが、1球も垂れることがなかった。

「自分、アウトローだったら、いつでもストライクが取れるんですよ」

 そんな秋山がプロに入ってからは、どんどん”力任せ”になっていたから心配していた。

 プロ1年目からいきなり4勝を挙げたが、周りを見れば、自分よりスピードのあるボールを投げる投手ばかり。プロに進んだほとんどの投手がそうであるように、秋山も追い立てられるように”スピード”を欲しがったのだろう。

 見るたびに、フォームにしなやかさが失われ、ファームで2安打完封したかと思ったら、次の試合では3イニングもたずにKO。力に頼って投げる投手特有の「投げてみないとわからない」というピッチングが何年も続いていた。

 そんな秋山が、今年は速い球を投げようとしていない。モーションを起こすと、その刺激で全身の連動が自然に始まり、体が勝手に反応して腕の振りへとつながっていく。自らの意思で力を入れようとしていないから、全身の関節が自由に、そして存分に回転して、見ていても「楽そうだなぁ……」と思うフォームができあがった。

 体幹の強さを存分に生かした腕の振りから、145キロ前後のストレートがホームベース上でも勢いを失うことなく打者のスイングを圧倒する。間違いなく投げるコツをつかみ始めている。

 秋山が育った西条は、静かな佇まいの古い町だ。駅前の広場には、澄んだ清水がこんとんと湧き出て、秋山が腕を磨いた高校は掘割をめぐらせた陣屋跡のなかにある。そんな穏やかな町で悠々と育った。

 食欲旺盛なあまり、ウエイトオーバーに苦しんでいた高校時代、秋山は夕食前に大きなボウルいっぱいのキャベツを食べ、カロリーの過剰摂取を懸命に抑えていた。当時、秋山がこんなことを言っていた。

「毎日キャベツだと飽きるじゃないですか。それをお母さんが毎日、ドレッシングを工夫してくれて、そのおかげで体重が維持できている。プロに入って、その恩返しをしたいんです」

 一点の曇りもないような笑顔で話す秋山を見て、本当は「プロに向いていないんじゃないか」と心配したこともあった。実際、精神的にきつかった時期があったと聞く。

 8年目の今季、遠回りをして、ようやく高校時代の”よかったもの”だけを取り戻したように思う。「大器晩成」とは、彼のような青年のことを言うのだろう。