アームレスリング世界一小寺弘士&山田よう子インタビュー 前編 誰もが一度はやったことがあるだろう腕相撲。対戦相手と手を組み、肘をつき、相手の腕を押し倒せば勝ちというシンプルなルールだ。その腕相撲を、正式な台の使用や世界共通のルール設定、体重…

アームレスリング世界一
小寺弘士&山田よう子インタビュー 前編

 誰もが一度はやったことがあるだろう腕相撲。対戦相手と手を組み、肘をつき、相手の腕を押し倒せば勝ちというシンプルなルールだ。その腕相撲を、正式な台の使用や世界共通のルール設定、体重によるクラス分けなどスポーツ化したものがアームレスリングとなる。

 この競技で世界の頂点を極めた男女がいる。全日本選手権6階級優勝、世界大会-55kg級優勝、W杯2019で日本人初優勝を成し遂げた小寺弘士と、全日本選手権13連覇、世界大会-45kg級、-52㎏級で優勝という快挙を果たした山田よう子。そのふたりが、アームレスリングの世界に入ったきっかけやトレーニング方法、世界一までの道のりを語った。



ともにアームレスリング世界一になった山田よう子(左)と小寺弘士

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最初の大会でいきなり優勝

――まずは小寺さんから、アームレスリングを始めたきっかけを教えてください。

小寺 子どもの頃から腕相撲が好きで、友達同士でよくやっていました。本格的にやるようになったのは20歳くらいの頃からです。当時、空手を習っていたんですが、道場の全員と腕相撲をやったことがあって。僕の体重は55kgくらいだったんですけど、体重100kgくらいの、ベンチプレスで200kgを上げる人にも勝ってしまったんです(笑)。

――それが本格的にやるきっかけになった?

小寺 そのあと、筋トレをしていたジムでは、レスリングをやっている体重140kgくらいの人にも勝てたんですよ。そうしたらジムの先生から「アームレスリングをやったら世界チャンピオンになれるから、1度大会に出てみたら?」と言われて。アームレスリングの世界に足を踏み入れたのはそこからです。

―― 一方の山田さんは、もともと女優をやられていたとのことですね。叔母が大女優・南田洋子さんということで、周囲からも注目されていたと思います。

山田 ただ、「南田洋子の姪っ子」という肩書がついて回ることは嫌でした。私は出演2本目の舞台で主役に選ばれたんですが、"七光り"と見られているのがわかっていた。だから、バックレちゃったんです。当然、連絡はものすごくきましたよ。洋子おばちゃんからの電話もありましたが、それにも出ず。それが20歳くらいの時でした。

――当時は、芸能界で活躍することを目指していたんですよね?

山田 そうですね。小学6年生からアイドルをやっていて、堀越高校に行ってからも芸能活動は続けて、舞台やバラエティ番組に出たり。ゆくゆくは「洋子おばちゃんのような女優になれたらいいな」と思ってやらせてもらっていたんですけど......。先ほどの肩書の件もそうですが、楽屋でイジメを受けたりすることも多くて、それに耐えられなくなったんです。でも、洋子おばちゃんからするとこれほど迷惑な話はないでしょうし、本当に申し訳ないことをしました。

――そこから、どのようにしてアームレスリングの道に?

山田 そこから3年間くらい遊ぶ日々を過ごすなかで、飲み屋でタンクトップを着たムッキムキの男性に会ったんです。「何をやってるんですか?」と聞いたら、アームレスリングの世界チャンピオンだったんですよ。

 その男性から「君もやる?」って聞かれたのでなんとなく始めてみたんです。それが1999年、23歳の時ですかね。そうしたら2カ月後の都大会で2位、その2カ月後の全日本で2位、さらに2カ月後に世界大会で2位になって。半年で世界2位まで行けて、「意外と世界は小さい」と感じたのと、「自分は人間じゃないんじゃないか」とも思いました(笑)。

――小寺さんのアームレスリングの最初の大会は?

小寺 本格的に始める少し前ですから、20歳の時ですかね。地元の和歌山県にはアームレスリングの大会がなかったので、大阪の大会に出場したら優勝できて。4、5回勝てば優勝できる小さい大会でしたけど(笑)。

――その優勝で、「アームレスリングでやっていける」となったんですか?

小寺 その時はまだやる気がなかったんですが、大会後に練習会があって、そこで自分より体の線が細い人に簡単に負けたんです。1ミリも動かなくて一瞬でバーンとやられてしまい、靭帯も伸ばしてしまった。「こんなに強い人がいるんや」と思いましたし、負けた悔しさもあって、靭帯のケガが治ったあとに本格的にやり始めました。

――アームレスリングをやる前のスポーツ経験は?

小寺 特に何もやっていませんでした。学生時代は部活もやっていなかったですし、習っていた空手も2、3カ月で辞めていたので。でも、小さい頃から運動神経はよくて、スポーツはなんでも得意でした。

 ただ、力は弱かったですね。クラス内で腕相撲をすると、上から4番目くらい。それが成長期で体が大きくなっていった15、16歳頃から強くなって、誰にも負けなくなりました。

――山田さんは何かスポーツはやっていたんですか?

山田 私も部活でやっていたわけではないですが、子供の頃は短距離、相撲、バドミントンなど、どんな運動も男の子にも負けませんでした。

――おふたりとも子供の頃から身体能力が非常に高かったんですね。アームレスリングの強さは、フィジカルによるところが大きいのでしょうか?

山田 どのスポーツでもそうでしょうが、アームレスリングも"よーいドン"で差が出ます。今、私が指導している生徒さんもそうですが、身体能力が高い人が経験のある人にいきなり勝ってしまうことも多いです。

――山田さんはアームレスリングと出会って、その魅力にハマったんですか?

山田 魅力に取り憑かれたわけではないですね(笑)。単純に、何でもいいから世界一になりたかった。たまたま自分に合っていたのがアームレスリングだっただけで、「これに人生を賭ける!」と意気込んでいたわけではありません。「とりあえず1回は世界一を獲ろう」という感じでした。

――念願の世界一になったのはいつですか?

山田 2005年なので、アームレスリングを始めてから6年後ですかね。前年の2004年にカナダ大会で世界4位、南アフリカ大会で世界3位になりましたが、それまでは海外の大会に参加することができなくて、練習もあまりできていませんでした。

 でも、南アフリカ大会後のVTRが残っているんですが、そこで私は「来年、必ず世界一を獲ります」と宣言しているんです。そこからは、本当にがっつり練習をするようになって、翌年に有言実行することができました。

限界を超えるトレーニング方法

――具体的に、トレーニングはどのようなことをするのでしょうか?

山田 私は、腕の皮膚の感覚がなくなるまで追い込みます。

――「皮膚の感覚がなくなる」とは?

山田 男性と腕を引っ張り合う感じで前腕を鍛えるんですけど、トレーニングが終わったあとに手のひらを開くことができなくなるまでやるんです。反対の手で、指を1本ずつ開いていくような感じ。そうなった時に前腕の皮膚を触ってみて、感覚がなかったらその日の練習は終わり。それを週2回やっています。

――それ以外の練習は?

山田 あとは毎日、秘密のトレーニングをやっています。たぶん、他の選手たちは誰もやっていないんじゃないかな。それを30分間くらい。私は2019年にも世界一になりましたが、すごくきついので毎日苦痛でしたよ(笑)。

――ちなみに、小寺さんもそのトレーニングをやったことはありますか?

小寺 はい、勧められて自分もやってみたんですけど......全然続けられないというか、僕には合っていないのかもしれません。

――マシンを使ったトレーニングはしますか?

山田 私は一切使わないですね。

小寺 僕はマシンばかりです。

――世界チャンピオン同士でも、トレーニング方法は違うんですね。

小寺 全然違いますね。僕は世界大会に出るとなったら、1年前からどんなトレーニングをするのか計画を立てます。

山田 小寺くんは、めちゃくちゃ細かいんですよ。ノートに呪文のような感じで、彼しかわからないオリジナルの言葉でいろいろ書いてます(笑)。

――何が書かれているんですか?

小寺 トレーニング内容を細かく書きます。今日は何キロの負荷で、何回やったとか。他にはトレーニングの反省点、動きのイメージなどもメモします。そのノートが何冊あるかは数えたことがないですが......もう20年以上いろいろ書いてますから膨大な量になってますね。

――ノートを見返すこともあるんですか?

小寺 ありますね。けっこういいことが書いてあるんですよ。でも、書いてあることと同じことをやろうとしても、今ではできないことが多いんです。1年前のことでも同じようにはできないですね。年齢とともに体が変わるから、といったフィジカルが原因ではなくて、神経系というか感覚の問題ですかね。

 僕が思う自分の一番いい時のイメージは2003年の頃。だからそれを再現したいんですが、できないのでその時の最適なものを探っていく。アームレスリングは細かくて、小さい動きでまったく変わるから余計に難しいんですよ。肩の角度にしても、何十通りもありますから。

――フィジカルトレーニングのほかに、技術、テクニカルな練習もされるのでしょうか?

小寺 僕は昔からウエイトトレーニングとテクニックを磨く練習を両方やってきたんですけど、ある頃から「テクニックはもう十分かな」と思うようになって、ウエイトトレーニング中心に切り替えました。ウエイトトレーニングは数値が明確に出るので、それがちょっとずつ上がっていけば強くなっていることを実感できますしね。

山田 私はウエイトトレーニングの数値とアームレスリングがどう結びつくのか、というところには懐疑的なんです。会場で相手と向き合ったら、何も考えずに倒すだけ。野生というか、直感ですね(笑)。逆に考えたらダメなタイプだと思います。

――自分の感覚を大切にしているんですね。

山田 そうですね。結局、何が正解ということはないということだと思います。私は41歳で双子を産んでいるんですが、先ほど話したトレーニング方法で2019年に世界一になった。この先、おばあちゃんになってからでも世界を獲れる気がします(笑)。

――出産の前と後で、パフォーマンスに変化はありましたか?

山田 双子を産んだあとも、練習を再開すれば体も問題なく戻りましたし、「2階級制覇もできるんじゃないか」とも思っていました。ただ、そのあとに5人目を帝王切開で産んでからは大きく変わりましたね。お腹に力が入らなくなってしまって。

――今はアームレスリングに必要なパワーが出ない?

山田 出ないですけど......それでも追い込めば、また世界が獲れると思っています。今はケガもしているので来年に間に合うかどうかも微妙ですが、もう1回獲りたい。いや、獲ります。

(後編:無差別級への挑戦、倒れるほどの減量>>)