日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画「日本サッカーの過去・現在、そして未来」楢﨑正剛インタビュー(後編)>>楢﨑…
日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
楢﨑正剛インタビュー(後編)
>>楢﨑正剛(前編)はこちら>>トルシエ監督の第一印象「腹立たしく思うことは結構あった」
2002年6月4日----。日本中の期待を一身に背負って始まった日韓ワールドカップ初戦、ベルギーとの一戦は前半から一進一退の攻防が続いた。しかし、スコアレスで試合を折り返したものの、楢﨑正剛(名古屋グランパスエイト/当時、以下同)は後半立ち上がりの57分に鮮やかなオーバーヘッドから先制点を奪われてしまう。
「その時はいいシナリオしかイメージしていなかったので、まさかの失点という感覚でした。やっぱり先に点を取られてしまうと苦しくなるので、チーム内にもちょっとまずいなという雰囲気は多少ありました」
ところが、その時間はわずかだった。失点から2分後、小野伸二(フェイエノールト)のパスに抜け出した鈴木隆行(鹿島アントラーズ)が執念の"つま先シュート"で同点ゴールを決めると、8分後には稲本潤一(アーセナル)が豪快な攻め上がりから逆転ゴールを奪取する。

雨の降る宮城スタジアムでトルコ戦後の楢﨑正剛
「同点に追いついた時の声援が本当にすごくて、ワールドカップで点が入るとこうなるんだなって。日本を後押しするような雰囲気が急激に高まったので、一気に行けるような感覚がありました」
しかし75分に同点ゴールを許し、日本は初戦を2−2の引き分けで終えることになる。ワールドカップ初の勝ち点を手にした一方で、逃げきれなかったという課題も残る一戦となった。
「ああいう守り方をするなかで、カバーしなくてはいけないところで失点してしまったのは悔いが残ります。2点目はカバーの意識を徹底していたなかで、どちらかといえば自分の対応のほうが遅れてしまいましたね」
楢﨑の言う「ああいう守り方」とは、フィリップ・トルシエ監督のサッカーの肝とも言える「フラット3」を指す。
3バックがフラットの陣形を保ち、積極的にラインを上げる守り方は、相手FWの動きを制限できる一方で、背後のスペースを与えてしまうリスクも備わる。その分、GKはゴールを守るだけではなく、最終ラインの背後のスペースをカバーする仕事も求められた。
自分たちが歴史を作っていく
「GKとしても役割が多かったんですけど、求められるものははっきりしていました。チーム全体での統一した考え方があったので、個人的にはすごくやりやすかったですね」
しかし、そのカバーの意識の強さがベルギー戦では逆にマイナスに働いてしまったと、楢﨑は受け止めている。
「カバーを意識するあまり、セービングすることや、止めるということに関して遅れを取ってしまったというのは、失点した瞬間も感じましたし、終わってからも反省しました」
試合後のミーティングでも、トルシエ監督にこっぴどく怒られたという。
「よくやった、という雰囲気ではまったくなかったですね(笑)。でも、自分のなかではワールドカップの舞台に立って喜んでいる場合じゃないという意識がより強くなったので、ケチョンケチョンに言われましたけど、逆にあそこで怒られてよかったなと思います」
その叱咤の影響か、楢﨑は続くロシア戦で完封勝利を演じると、続くチュニジア戦も無失点。日本の初勝利、初のグループステージ突破に多大なる貢献を果たした。
「自分たちが歴史を作っていく、という想いで戦っていました。勝ち点を取ることもそうだし、勝利して、最低でも決勝トーナメントに行くこと。それを目標にしていたので、達成できた時の喜びはすごく大きかったです。
ワールドカップで勝つというのはこういうことなのかと、日本のファンとスタジアム全体で分かち合えたこともうれしかったですね。日本中の期待感がプレッシャーにもなっていたのは事実ですが、重圧を跳ね返せたという意味も含めて、達成感はありました」
あの時、たしかに日本には勢いがあった。自国開催の雰囲気も、代表戦士を後押ししていた。
しかし、終焉は突如、訪れる。ベスト8進出をかけた決勝トーナメント1回戦、雨の宮城スタジアムで日本はいいところなく、トルコに0−1で敗れた。
「単純に消化不良ですね。もっと上に行けると思っていましたから。試合中ももどかしさを感じていましたし、韓国が勝ち進んでいたのもあって、終わってからもモヤモヤとした感覚はありました。悔しいというよりも、納得がいかない終わり方でした」
2002年がベストではなかった
トルコにやられた感覚はあまりなかった。ただ、悔やまれるのはCKから奪われた失点シーンである。
「今振り返ると、宮城への移動があって、雨も降っていて、雰囲気的にちょっと緩い感じはあったのかなと。
もちろん、ワールドカップの決勝トーナメントという緊張感は変わらずあったんですけど、ミスからCKになって、CK自体も守りきれるはずだったのに、簡単にやられてしまった。役割は明確だったし、4年間積み上げてきたものがあったはずなのに、あの場面ではそれをうまく発揮できなかったと思います」
いい流れで突破したにもかかわらず、あの試合ではグループステージでほぼ固定されていたメンバーとフォーメーションが変更されていた。試合後、CKからの失点はその影響があったのでは、という指摘もあった。
「勝てば"マジック"ってなるし、負ければそういうふうに言われてしまうのはしょうがないこと。監督としては大きな賭けだったかもしれないですけど、リスクを負ってでも、勝つための策を取ったんだと思います。
反面、『うまくいっていたのにな......』という気持ちも、もちろんあったんですけど、そこに対して言い訳にすることはあの時もなかったですし、今もありません」
4年前に叶わなかったワールドカップのピッチに立つという夢を実現させた楢﨑は、2006年、2010年のワールドカップメンバーにも選出された。しかし、4大会連続のメンバー入りという偉業を成し遂げたものの、結果的にピッチに立ったのは2002年のみだった。
現役を退いた今、あの日韓大会は楢﨑のキャリアにどのような影響を与えたのだろうか。
「サッカーをしている人からしてみれば、最高峰の舞台ですし、誰もがそこを目指してやっていると思います。その景色を見られたことはすごくうれしかったですけど、足りないものを感じた大会でもありました。いろんなものが見つかって、そこから先に向けてまた頑張ろうと思えたのは、大きかったと思います。
ただ、本当は1回と言わず、2回、3回とそのピッチに立ちたかったんですが、それが叶わなかったというのは、心残りですね。自分のキャリアを振り返った時、2002年が決してベストというわけじゃなかったと思うので。
一番成熟したなかでワールドカップに出るというのは、願っていたところではあるんですけどね。そう考えると、うまくいったように見えて、うまくいかなかったことのほうが多かったなって。もう、後悔だらけですよ(笑)」
カタールW杯はファン目線
あれから20年が経ち、楢﨑は指導者として後進の育成にあたっている。
この20年でGKというポジションは、劇的な変化を遂げている。チーム内での重要度が増す一方で、世界で活躍できる日本人GKがいまだ生まれていない現実もある。
「僕が現役の頃と比べても、求められるものが多いですし、VARもあってちょっとしたことも見逃されない。大変な時代だなとは思います。でも、そういう時代だからこそしっかりと育成していかなければいけないと思っています。
世界の大会で活躍しないと認められることはないと思うので、ワールドカップのような大きな舞台でチームを勝たせる、勝利に導くプレーを見せるGKが出てきてほしいですし、それがゆくゆくは日本のGK界の発展につながっていくと思います」
今年開催されるカタールワールドカップは、日本のGKが世界にアピールできるチャンスだと楢﨑は考えている。
「ドイツ、スペインと対戦相手にワールドクラスのGKがいますからね。そういう選手と対峙しても、日本のGKが遜色ないと思われるようなプレーを見せてほしいですね。もちろん、ワールドクラスの壁をぶち破ってゴールを奪うアタッカーにも、いちファンとして期待しています」
---- ワールドカップは指導者目線ではなく、ファン目線で見る感じですか?
「もう、完全にファン目線ですね(笑)。関わっていればプレッシャーしかないですから。そのプレッシャーの大きさはわかってはいるので、余計なことは言いません。
今は評論家もそうだし、元選手でもいろんなことを簡単に言っちゃうような風潮がありますけど、結局、中のことは中にいる人しかわからないし、中の人のほうが絶対考えていますから。その成果を結果として示してほしいですし、だからこそ、僕はポジティブに応援したいなと思っています」
【profile】
楢﨑正剛(ならざき・せいごう)
1976年4月15日生まれ、奈良県香芝市出身。1995年、奈良育英高校から横浜フリューゲルスに加入。プロ1年目から正GKとして出場し、クラブ消滅の翌年に名古屋グランパスエイトに移籍する。2000年から14年間キャプテンを務めるなどチームの顔として活躍し、2010年にはGK初のJリーグMVPを受賞。2018年シーズン限りで現役引退。J1通算631試合出場は歴代2位。日本代表として1998年から2010年まで77試合に出場し、4度のワールドカップを経験。ポジション=GK。187cm、80kg。