6月24日、立ち技打撃格闘技イベント「RISE 159」(東京・後楽園ホール)で、"元120円Jリーガー"で、2020年末に格闘家へ転向した安彦考真(44/Executive Fight武士道)がYO UEDA(49/TARGET SHI…

 6月24日、立ち技打撃格闘技イベント「RISE 159」(東京・後楽園ホール)で、"元120円Jリーガー"で、2020年末に格闘家へ転向した安彦考真(44/Executive Fight武士道)がYO UEDA(49/TARGET SHIBUYA)に2ラウンド51秒のKO勝ち。プロデビューから2連勝を飾った。



格闘技でプロデビューから2連勝を飾った安彦考真

 対戦相手のYO UEDAは、今年5月の40歳以上限定のアマチュア大会「RISE VOA」で1ラウンドKO勝ちを収めると、試合後のマイクパフォーマンスで自身の「40代最強」をアピールし、安彦との対戦を要求していた。安彦がこれを受ける形で40代同士の対戦が実現したが、アマチュア時代を含めればこれまで5戦5勝の安彦が上手だった。

 安彦は序盤から得意のひざ蹴りで相手に効果的にダメージを与えると、最後は得意の左ひざ蹴り。プロデビュー戦となった2月16日の「RISE FIGHT CLUB」で、元プロ野球投手の相内誠(27/K26)をKOしたシーンを再現するかのような一発で、YO UEDAをマットに沈めた。

 試合後、安彦は安堵の表情を見せ、こう振り返った。

「40代同士の対戦で、おっさんのじゃれあいと思われたくなかったし、年齢が上の相手に負けるわけにはいかなかった。(相手は)もっと飛び込んで来ると思ったが、意外と来なかったので、近づいてきた時にひざ蹴りが有効だと思った。最後は左ひざが相手のおでこに入った。多少打たれたけど、相手が疲れているのもわかっていたし、Jリーガーになる前は学校の講師などをしていたこともあったので、相手の表情を見て冷静に戦えた。そういう意味ではいろんな経験が生きました」

 年齢は重ねてきたが、トレーニングに一切妥協はない。2月のプロデビュー戦後も、師と仰ぐ元K-1日本王者の小比類巻貴之氏の道場で、練習パートナーの京介(RISEスーパーフライ級5位)とともに毎日約3時間のトレーニングを行ない、ときにはその前後に自主トレを入れて1日5時間近く体を動かしてきた。

「正直、サッカーをやっていた時より練習はキツいし、何度も逃げ出したくなりました。プロになってみて、防具も何もなく自分の肉体以外に頼れるものがないし、怖さがないと言ったら嘘になります。でも、そのぶん、刺激的で生きている感じがするんです。サッカーの試合は負けても翌週には次の試合がありますが、格闘技は死と隣り合わせで、次があるかはわからないですから。

 これでアマチュアを含め、6連勝となりましたが、1戦1戦の積み重ねでしかない。これからも自分にできることをひとつひとつ積み重ねていくだけだと思っています」

41歳でJリーグデビュー

 職業、挑戦者――。

 安彦はそもそも39歳だった2017年夏の時点では、選手のマネジメントや通信制高校の講師などとして働き、約1000万円の年収を手にしていた。だが、一度すべての仕事をやめて、無謀とも思えたJリーガーになるという夢を叶えた。そして、18年からJ2の水戸ホーリーホックで1年、J3のYSCC横浜で2年間プレー。19年3月には41歳1カ月9日で、Jリーグ最年長初出場記録を更新する。そして20年12月のシーズン最終戦後、格闘家への転向を公言し、再び周囲を驚かせた。

 JリーガーとしてはJ3で13試合に出場し、無得点。だが、安彦にとってそんな数字は大きな意味はない。

 Jリーガー時代は、その年齢とともに、クラブからほぼ年俸をもらわなかったことで"年俸120円Jリーガー"として話題を呼んだ。人気バラエティ番組『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)にも出演を果たすなど、その生き方はまさしく?激レア"だ。

「Jリーガーを目指したのは、10代の頃に憧れた『プロサッカー選手になる』という人生の後悔を取り戻したいという思いからでした。3年やって、試合に出た試合はほとんど終盤の途中出場で、1点もとれませんでした。それでも、自分なりにやりきった思いはありました。

 格闘家へ転向したのは、誰かと闘いたいとかではなく、社会の停滞感やどんよりとした世の中を打ち壊したいという思いからです。僕の売りはハートや魂で、それを表現するにはサッカーでは限界がありましたし、格闘技ならより表現できると思ったから。実際にリングに上がると、逃げも隠れもできず、そこでオマエに何ができるんだって問われている気がするんです」

 高校卒業後は、カズ(三浦知良)に憧れ、単身ブラジルに渡った。帰国後はJクラブのテストに挑んだが、結果は不合格。選手としての道を断念して、03年から05年にかけては大宮アルディージャでポルトガル語の通訳を務めたこともあった。

 サッカーの聖地・国立競技場には選手としては立てなかった。だが、格闘家に転身し、格闘技の聖地・後楽園ホールのリングに上がる日がきたのだから不思議なものだ。

なぜ無謀な挑戦を続けるのか

「通訳として国立のピッチに立ったことはあったんですけどね。人生、何があるかわからない(笑)。でも、会場の雰囲気に呑まれることはなかったし、緊張感よりも高揚感のほうを強く感じました」

 格闘家に転身後は、毎年12月31日にさいたまスーパーアリーナで行なわれるのが恒例の「RIZIN」(総合格闘技イベント)への出場を目標にしてきたが、この日は新たにYA-MAN(26/TARGET SHIBUYA)とオープンフィンガーグローブで戦いたいと挑戦を表明した。YA-MANは昨年末の「RIZIN」でも皇治(33=TEAM ONE)を下すなど、いま勢いに乗っている注目のキックボクサーとして知られる。

「勝てるわけがないと思われる無謀なことに挑むのが職業・挑戦者。『ふざけんな、どうせ売名行為だろ! 炎上商法』と言われるかもしれない。向こうにメリットがないことは百も承知で、言った瞬間に自分自身が怖くなりましたし、世の中にバカにされることはわかっています。でも、Jリーガーを目指すと言った時も、格闘家になると言った時も、笑われながら実現してきた。だったら、もう1回笑われようかな、と。

 中途半端でこんなことは言えないし、ストリート上がりのYA-MAN選手におっさんの僕が本気でぶつかっていって日本を元気にしたい。周りからは絶対無理だって言われましたが、やれるかどうかは別にして、言うのはタダ(笑)。挑戦者ならびびっていないで、勝負するしかないじゃないですか」

 試合をすれば、当然、勝ち負けがつく。ただ、安彦は世界チャンピオンを目指しているわけではないし、勝ち負け以上にその過程や経過が大事だと思っているからこそ、無謀な挑戦にも怯むことなく挑むことができるのだろう。

「大事なのは、仮に負けたとしても自分の戦いを喜んでもらえるかどうか。自分をとことん追い込んでいれば、仮に負けたとしても拍手をもらえるでしょうし、感動を与えられる気がする。それが僕の目指すべき道ですから」

 決して色物ではないし、そこに冗談はないのだ。

「うまい、強いはほかの選手に任せます。僕は生き様で勝負したい。『コイツ、ふざけたこと言ってるけど、なんかスゲェな』『勇気をもらえた』。そんなふうに誰かの活力になれたらそれでいいんです」

 目先の勝利よりも、狙うのは人生のジャイアントキリング。挑戦者、安彦の戦いはどこまで続くのか。