元ヤクルト・久古健太郎氏は高校2年で甲子園出場、中学で“異例”の硬式選択 進路選びの基準は松坂世代への憧れだった。ヤクル…
元ヤクルト・久古健太郎氏は高校2年で甲子園出場、中学で“異例”の硬式選択
進路選びの基準は松坂世代への憧れだった。ヤクルトで中継ぎとして活躍した久古健太郎さんは当時の地元では珍しく、中学で硬式野球のクラブチームに進んだ。異例の決断を下したのは、レギュラーではなくても甲子園を直接目にしたい思いからだった。進路選びのサポートは保護者の役目でもあるが、最終的に自分自身で決定することが、その先の成長につながると説く。
ヤクルトで貴重な左腕として勝利の方程式の一角を担った久古さんは、2018年に現役を引退した。大学、社会人を経て2010年にドラフト5位でヤクルトに入団。8年間の現役生活を「プロ野球選手になれたのは、おまけみたいなものです」と笑顔で振り返る。
東京・豊島区で生まれ育った久古さんは、小学1年の時に野球を始めた。野球人生で最初の大きな決断は、中学で硬式野球のクラブチームに入ったことだった。当時、地元では少年野球チームから中学校の部活に進んで、軟式野球を続けるのが自然な流れだったという。
「松坂世代を甲子園で見た時から、甲子園に絶対に出たいという憧れがありました」
松坂大輔さんを擁する横浜高が甲子園で春夏連覇を果たした1998年、小学6年生だった久古さんの目標は決まった。甲子園に出場できる可能性が高い高校に入学するためには、中学から硬式を始める方が良いと考えた。内申点で高校の選択肢を狭めないよう、勉強も怠らなかった。
聖地を夢見て練習した久古さんは、中学3年の時には10校以上の高校から声がかかる選手となった。その中から選んだのが、国士舘高だった。特待生として入学し、学費は免除された。甲子園を狙う高校は当然、レギュラー争いが激しくなる。だが、最優先したのは甲子園出場校への進学。たとえプレーできなくても、憧れの舞台を一目でも見たかった。
現在は1児の父、子どもにレールを敷き過ぎる保護者に警鐘
久古さんは高校2年生の春に夢を実現させた。2003年選抜高校野球大会に出場。しかも、先発のマウンドに立った。初戦で愛工大名電高に0-1で敗れたものの、6回2安打1失点と好投した。高校の進路を自分で選んだのは、今振り返るとすごく大きな経験でした。将来と向き合って、大事な選択しました」。
現役を引退し、今は1児の父として小学生の娘を育てている久古さん。保護者の役割を改めて考える時がある。「進路だけではなく、習い事なども含めて、子どもの将来を心配してレールを敷き過ぎるケースがあります。でも、子どもが自ら選択する機会を持たずに大人になってしまうと、他に良い選択肢があった時にレールを外れることを恐れて挑戦できなくなると感じています」。
あくまで最終的に決断するのは子どもであって、保護者は選択肢や選択の基準を示すのが役割だと考える。成長には失敗や苦い経験も必要で、大人になった時に財産となるからだ。そして、父親としての自分にも言い聞かせるように話す。
「子どもが好きなこと、得意なことを見つける手助けをするのが親の役目かなと思っています。『あなたは、こう生きなさい』と伝えるのが一番のリスクです。子どもには子どもの人生があります。大人は子どもに期待しすぎてしまいます。自分も親になって気持ちが分かるので難しいところです」(新保友映 / Tomoe Shinbo)