連載「元世界王者のボクシング解体新書」:相手が気づかないうちにもらう驚異のパンチ ボクシングの元WBC世界ライトフライ級チャンピオンである木村悠氏が、ボクサー視点から競技の魅力や奥深さを伝える連載「元世界王者のボクシング解体新書」。今回は、…

連載「元世界王者のボクシング解体新書」:相手が気づかないうちにもらう驚異のパンチ

 ボクシングの元WBC世界ライトフライ級チャンピオンである木村悠氏が、ボクサー視点から競技の魅力や奥深さを伝える連載「元世界王者のボクシング解体新書」。今回は、ボクシングのWBAスーパー&IBF&WBC世界バンタム級3団体統一王者となった井上尚弥(大橋)の凄さについて。7日のノニト・ドネア(フィリピン)戦は開始わずか264秒、2回TKO勝ちという圧倒的な強さを見せたが、そこには井上のどんな技術が隠されていたのか。元世界王者は“見えないパンチ”を生み出す「当て勘」こそが、井上の突出した能力だと称えている。

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 7日に行われたバンタム級3団体統一戦で、井上尚弥が元世界5階級制覇王者のノニト・ドネアに2ラウンドTKOの圧勝を収めた。筆者も井上のKO勝利を予想していたが、まさか2ラウンドで決着がつくとは思ってもみなかった。井上の強さは一撃で相手をノックアウトするパンチ力と思われがちだが、それだけではない。スピード、スタミナ、テクニック、ディフェンスなど総合力の高さと、穴のない完璧なボクシングこそ彼の強みだ。

 そのなかでも突出している能力を挙げるならば、「当て勘」だろう。ボクシングでは必ずしも速いパンチが当たるわけではない。打つタイミングを気づかれてしまえば、相手にガードされてしまう。

 しかし、井上のパンチは非常にコンパクトでタイミングが読みづらく、相手は気づかないうちにパンチをもらってしまう、いわゆる「ノーモーション」というものだ。特に軽量級でKOの多い選手は、このパンチに特化している。

 バンタム級で12回の王座防衛を果たした山中慎介氏も、“神の左”という見えないパンチを持っていた。対戦相手からは「左が武器と分かっていても、タイミングが分からないので気づいたら倒れていた」という話も聞く。

 今回、井上が1回目にダウンを奪ったパンチも驚くべきものだった。ドネアが先にパンチを放ったにもかかわらず、井上のパンチのほうが先に到達していたのだ。試合中、同様のケースが多々あった。

 このように気づいたらもらっているような、“見えないパンチ”が相手に与える影響は大きい。ドネアは試合後に自身のYouTubeチャンネルで「完全に意識が飛んで、過去にもらったなかで一番強烈なパンチだった」と語っている。

 相手の打つ気配を感じ取り、体が反射的にパンチを打ったのだろう。打つ時に余計な予備動作がないのも、そのためだ。井上のパンチはスムーズで、力みがないのに強烈なのが特長だ。

徹底した反復練習で磨いた技術

 この動きは井上の才能でもあるが、何よりも徹底した反復練習の賜物だろう。幼い頃から父親の井上真吾トレーナーと徹底的に基礎練習を行い、何千、何万回と徹底して基礎を反復することで技術が磨かれてきた。天才と言われる井上だが、その根底にあるのは努力の積み重ねだ。世界王者になるのに必要なのは努力か才能、どちらかと言われることが多いが、徹底してトレーニングを続ける努力も才能の一つだ。

 私も帝拳ジムで世界王者になるような選手を何人も見てきたが、強い選手は徹底して基礎練習を積み重ねていた。練習で徹底的に動きの無駄をなくしていくことで、感覚が体に染み込み、試合でも自然に打つことができる。

 今後、井上が目指すのはバンタム級での4団体統一だ。一部報道では、WBO王者のポール・バトラーもこの試合に乗り気で、今年の秋頃の開催を目処に交渉を進めていくようだ。井上は「4団体統一を年内にやるならバンタム級で戦う。それが叶わなければスーパーバンタム級に上げて新たなステージで戦いたい」と話していたが、今のところはバンタム級の統一へと進んでいくことになるだろう。

 しかし、フィジカルを考えればバンタム級での限界も近い。減量では10キロ以上体重を落としているとの話もある。肉体的にも精神的にも、バンタム級ではあと1試合が限度だろう。ライトフライ級からスタートした井上は、すでにバンタム級までの3階級を制覇している。ドネア戦のパフォーマンスを見ると、5階級目となるフェザー級あたりまで難なく進めるだろう。

 全世界が井上に注目し、多くの現役王者からも尊敬を集めている。今後も井上の躍進に期待したい。(木村 悠 / Yu Kimura)

木村 悠
1983年生まれ。大学卒業後の2006年にプロデビューし、商社に勤めながら戦う異色の「商社マンボクサー」として注目を集める。2014年に日本ライトフライ級王座を獲得すると、2015年11月には世界初挑戦で第35代WBC世界ライトフライ級チャンピオンとなった。2016年の現役引退後は、株式会社ReStartを設立。解説やコラム執筆、講演活動、社員研修、ダイエット事業など多方面で活躍。2019年から『オンラインジム』をオープンすると、2021年7月には初の著書『ザ・ラストダイエット』(集英社)を上梓した。