日韓W杯20周年スポルティーバ20周年企画「日本サッカーの過去・現在、そして未来」あのスター選手はいま(1) 2002年…

日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
あのスター選手はいま(1)

 2002年、アジアで初めて行なわれた日韓W杯。それは我々日本人が世界のサッカーに間近でふれることができたすばらしい1カ月だった。あれから20年、あの大会を彩ったスターたちはいったいどうしているのだろうか。その現在を追ってみた。



2002年W杯の得点王となったロナウド(ブラジル)

ロナウド(ブラジル)

 大会を彩ったスター選手としてまず思い浮かぶのは、大五郎カットで登場したロナウドだろう。計8ゴールを決め大会の得点王となり、ブラジル優勝の原動力となった。

 ロナウドは2011年にコリンチャンスで現役を引退。まだ34歳だったが、膝のケガと甲状腺の病気が、プレーを続けることを許さなかった。

 選手として栄華を極めたために、サッカーシューズを脱いでからは身の振り方を誤ってしてしまうスターも多いが、ロナウドは成功組のひとりだ。選手時代に得た豊富な資金を使って実業家に転身。さまざまなビジネスに携わっていて、おおむね大成している。

 引退後、すぐにスポーツ芸能事務所を作り、2016年まで続けていた。ネイマールも顧客で、ネイマールの売り出しに成功し、彼のその後の躍進はこの事務所のおかげだったとも言える。

 2017年には「オクタゴン・ブラジル」というマーケティング会社に投資、現在も取締役のひとりでもあり、eスポーツの会社ともコラボしていた。2018年にはスペインのクラブ、バジャドリードの株51%を買い取り、2019年には持ち株比率を約73%まで引き上げており、実質的なチームオーナーとなった。

「自分は他のオーナーにないものを持っている。私は選手の気持ちがわかるオーナーだ」と、就任時にロナウドは英『フィナンシャルタイムズ』紙に語っていたが、選手から見ればあまりにも偉大すぎて、やはり普通の選手の気持ちはやはりわからないのではないかと陰で言われている。 

 ロナウドはNASL(北米リーグ)のフォートローダーデル・ストライカーズのオーナーのひとりでもあり、またブラジルのレーシングチームA1チームブラジルの共同オーナーでもある。さらに「R9」という自身のサッカースクールも、ブラジルをはじめ、中国やアメリカなどで展開している。

不運を乗り越えたカフー

 正確に知ることは難しいが、2020年の時点での資産は3億2500万ドル(約390億円)と言われている。

 もうひとつ、ロナウドの今を語るのに欠かせないのはポーカーだ。彼がポーカーを始めたのはレアル・マドリード時代。仲間たちから習い、たちまち夢中になった。数カ月後には彼はチーム内で一番のプレーヤーとなっていたという。

 やがてそのポーカー好きを知ったオンラインカードゲーム会社が彼を招いて大会を開くようになる。2015年には800人が参加するプロの大会に挑戦して、26位となり、4万2000ドル(約500万円)の賞金を手にしている。スポンサー契約なども合わせると、ロナウドはポーカーでも100万ドル以上を稼いでいる。

 現在スペインに住むロナウドは45歳。3回の結婚で3人の子どもを授かっている。またそれとは別に、来日時に関係を持った日系人女性の間にも日本生まれの息子がいる。そんなロナウドの今後の目標は、ブラジルサッカー連盟の会長の座であるとも言われている。

カフー(ブラジル)

 ブラジル代表チームのキャプテンとしてトロフィーを天に掲げたカフーは、ローマからミランに移籍した後、2008年に引退した。

 現役時代の2004年に、彼自身やその他の選手をマネージメントする会社を妻のレジーナとともに設立。また同じく2004年には自らが生まれ育ったサンパウロのファベーラ(スラム)に「フォンダソン・カフー(カフー基金)」という施設を設立して貧しい家庭を助けていた。子どもたちに食事を寄付し、学校に通わせ、医療サポートをし、親たちには職業訓練を施していた。しかし、2019年に財政難からカフーは16年続いたこの基金を閉めねばならず、マネージメント会社も倒産。同年9月には30歳になったばかりの息子ダニーロを心臓発作で亡くした。この年はカフーにとって本当につらい年となってしまった。

 現在52歳のカフーはFIFAの親善大使、そして2022カタールW杯のアンバサダーを務めている。アンバサダーはもともとネイマールが務めるはずだったが、彼の素行の悪さを危惧してカフーに交代した。これから表舞台に立つことも多くなるだろう。

大学で経営を学んだカーン

ロベルト・カルロス(ブラジル)

 ロベルト・カルロスも当時のセレソンの顔のひとりだろう。黄金時代のレアル・マドリードで500試合以上をプレーし、2011年にロシアのアンジ・マハチカラで現役を引退。その後ロシア、トルコ、カタールで監督をした後に、2015年にはインドのデリー・ディナモスでサッカー選手に戻っている。

 その後、監督業に戻ることはなく、引退後はレアル・マドリード時代の遺産で生活している。まずはチームのイメージアンバサダーから始まり、下部組織の監督を務める。現在の彼のレアルでの立ち位置はあまり明確でないが、はっきりしているのは「レアルTV」のコメンテーター兼アナリストということだ。

 ロベルト・カルロスがこれまで結婚した女性はふたりだけだが、子どもを産んだ女性はたくさんおり、2020年には子どもの数は10人になった。ただし、養育費が足りないと訴えられるなど、私生活は平穏ではない。

オリバー・カーン(ドイツ)

 気迫のこもったセーブでゴールマウスを守り、ドイツを準優勝に導いたオリバー・カーン。決勝のブラジル戦では負傷しながらもプレーを続け、大会MVPに輝いた。

 2008年に20年のキャリアに別れを告げたが、引退後も「止まらない男」と言われている。2010年にはコーチングライセンスを取得。「新しいことに挑戦するのが好き」と言う彼はその後、オーストリアの私立大学で経済学を専攻。学業はなかなか大変だったようだが、彼はドイツ「キッカー」誌のインタビューでこう言っている。

「『なんでこんなことをしてるんだ?』と思ったことも何度もあった。ただ、スポーツは優勝した途端に次の勝利を目指さなくてはいけないが、勉強は違う。また1から始めるのではないのが心地よかった」

 2012年に卒論に選んだテーマは「ドイツプロサッカーの戦略運営」で、この頃からチーム経営に携わる用意をしていたのかもしれない。

 2016年には「ゴールプレー」という会社を設立。GKにオンラインレッスンするアプリを作った。練習方法や試合での動きを伝授し、GKに必要な用具のオンラインショップにまで飛べるという至れり尽くせりのアプリだ。また、若者をアルコールやドラッグに向かわせないため、ミュンヘンのストリートサッカーのリーグを整備する支援にも手を貸し、「オリバー・カーン基金」も創設している。ブンデスリーガのアンバサダーも長く務めた。

選手を目指すクローゼの双子の息子たち

 日韓W杯のインパクトは強かったようで、アジアでの人気は高い。中国では2009年、優秀な若手GKを探すというテレビのリアリティショーに出演。勝者はドイツサッカー協会のエリートトレーニングアカデミーで学べる権利を得られるとあって人気を博した。

 2020年からは古巣のバイエルン・ミュンヘンの幹部となり、2021年6月にはCEOだったカール・ハインツ・ルンメニゲか引退すると、その座を引き継いだ。今度は経営者としてドイツの強豪を引っ張っている。

ミロスラフ・クローゼ(ドイツ)

 ロナウドに次ぐ5ゴールを決め、リバウド(ブラジル)とともに大会得点ランキング第2位になったのは、ドイツのクローゼだ。新世代のドイツの"爆撃機"として期待に応えた。カイザースラウテルン、ブレーメン、バイエルンでプレーした後、最後はイタリアのラツィオで2016年に引退。アメリカや中国のチームからビッグオファーもきていたようだが、「別な立場でピッチに立ってみたい」と、間髪を入れずに指導者の道へと進む。

 ドイツ代表のヨアヒム・レーヴ監督のもとに弟子入りすると、2018年ロシアW杯にはコーチという立場でピッチに立った。その後バイエルンのU-17チームの監督を経て、2020年からはトップチームのハンジ・フリック監督のアシスタントコーチに就任。フリックがバイエルンに契約解除を申し入れてドイツ代表監督に就任した時には、代表コーチの座を打診されたが、クローゼはそれを断ったという。

「たとえハンジ・フリックと人間的にもプロとしても相性がよかったとしても、彼に続くのは間違っていると感じた。代表に行ったほうがラクだったかもしれないが、私はいつも険しい道を選んできたんだ」

 その後、足に血栓が見つかり、「トレーニング中に生気のない顔はしていたくない」とシーズン末にバイエルンを退団。しばらくは治療に専念し、4カ月後に医師から「またスポーツをしてもいい」との許可が出た。現在は古巣のカイザースラウテルンが、彼をヘッドコーチに狙っているという。

 クローゼにはノアとルアンという双子の息子がいる。ふたりともサッカーをしており、現在はともに1860ミュンヘンU-17でプレーしている。ポジションはそろってCFだ。クローゼの父親もプロのサッカー選手だったので、3世代選手が生まれるかもしれない。
(つづく)