昨年の東京五輪で4×100m決勝失格の雪辱を、7月の世界選手権で果たそうとしている男子短距離。その出場をかけて走る日本選手権は、明るい話題が少なかった。 初日の100mは、ケガで5月のゴールデングランプリを欠場していた多田修平(住友電工)…
昨年の東京五輪で4×100m決勝失格の雪辱を、7月の世界選手権で果たそうとしている男子短距離。その出場をかけて走る日本選手権は、明るい話題が少なかった。
初日の100mは、ケガで5月のゴールデングランプリを欠場していた多田修平(住友電工)が準決勝で敗退。4月の出雲以来のレースだった桐生祥秀(日本生命)も、10秒24で第1組4位と、着順ではなく記録上位2名のプラス2番目で、かろうじて決勝に進んだ。
男子100mはサニブラウン(中央)が優勝、酒井(左)が2位、柳田(右)が3位に入った
桐生は「試合感覚が取り戻せずダラダラ走っていた。何かを変えないといけないと思う」と反省したが、翌日の決勝でも、いつもの中間からのキレのある加速を取り戻せず、10秒27で6位という結果に終わった。
桐生が高校3年で10秒01を出して注目されたのは、東京五輪の開催が決定する4カ月前の2013年5月。そこからずっと東京五輪での結果と、日本人初の9秒台突入を期待され、精神的にも追い込まれ続けた10年間から解放された今、「何をやりたいかというのがわからないままシーズンインしてしまった」と答え、それもしかたない状況だった。ある意味、これまで背負ってきた10年間に区切りをつけられた結果でもある。
準決勝は10秒13の全体2番目の記録を出していた小池祐貴(住友電工)が、決勝で世界選手権参加標準記録の10秒05突破を狙いながらも、10秒19。同タイムの柳田大輝(東洋大)に0秒004競り負けて4位。昨年膝の手術をして日本選手権を欠場している山縣亮太(セイコー)も含め、東京五輪のリレーを走った選手は誰も表彰台に上がれないという予想外の結果になった。
高い意識を持って結果を残したのは
そんな3人とは違い、余裕を持ってしっかり勝ちきったのはサニブラウン・ハキーム(タンブルウィードTC)だった。昨年はヘルニアを発症して出遅れて納得のいかないシーズンを送ったが、今年は3月の初レース以来順調で、予選を今季日本人最速の10秒11で通過。
準決勝では「反応が遅いし、最初にブロックをもっと蹴られれば、もう少ししっかりとした形で出られる」とスタートは遅れたものの、中盤からはしっかり加速。終盤もコントロールされた動きで走り抜け、世界陸上参加標準記録突破となる10秒04を出した。
「まずまずかなという感じ。ここで満足しても何にもならないので、もう1段階、2段階上げていかなければいけないし、一緒に練習している9秒8の選手にも食らいついていかなければいけない」(サニブラウン)
スタートが改善されれば9秒台の可能性も見えていた決勝では、隣のレーンの坂井隆一郎(大阪ガス)が抜群の飛び出しをしたことで、準決勝のような伸びを見せられなかったが、10秒08で優勝。
記録に関しては反省の弁も出たが、3年前の優勝とは違うと語る。
「出遅れても自分のリズムで加速できたのは、日頃から自分より速い選手とスタート練習をしているのが生きたと思います。3年前のこの大会では、全米学生で9秒台と20秒0台を出した勢いで勝てましたが、それからアップダウンもあって。いろんなことを経験しながら作り上げていくのも大事かなと感じているし、こういう要所、要所で結果を出すことも、プロとしての使命かなと感じています」(サニブラウン)
さらに「真の壁は9秒90かなというのがあります。9秒9で走る人はたくさんいますが、9秒8はほとんどいないので」と、世界を見据える高い意識を見せた。
男子短距離にも新戦力候補
10秒10の自己ベストで2位になった坂井は、2019年、関西大学4年の時、鋭いスタートダッシュを武器に、10秒12を出して注目された選手。そのあとは伸び悩んでいたが、「得意のスタートを磨きつつ、後半をもっと走れるように今年の冬からは120mや150mを入れるようになった」と、後半の減速を押さえられるようになったことが自己記録更新につながった。
また、昨年は高校生ながらも東京五輪リレー代表の補欠だった柳田が、準決勝より0秒03タイムを落としながらも3位をゲット。「日本選手権は2年連続7位だったので、3位になれたのはうれしい。やっぱり決勝になると独特な雰囲気があって『力及ばず』という結果でしたが、勝たなければ世界選手権代表には入れないので、しっかり勝負した」と明るい表情で話す。目標にしていた標準記録突破はならなかったが、リレー代表には大きく前進した。
大会3日目からの200mも、100mと同じようにこれまでとは違う顔ぶれが混ざる展開になった。11日の予選では、東京五輪出場の山下潤(ANA)が敗退し、小池祐貴と飯塚翔太(ミズノ)は着順ではなくタイム上位のプラス2名での決勝進出。だが12日の決勝では、カーブがきつくて不利な2レーンだった小池が2位になる意地を見せた。
「ウォーミングアップ中に、今日できるベストのレースは何かとよく考えて、スタートラインに立った時に、『50mまでに全員を抜き、そこから考えよう』という感じで走りました。ラスト20〜30mで足が動かなくなりましたが、外側のレーンなら最後まで余裕を持って行けたと思うので、絶望的な状況でもないかなと思います」
20秒62で参加標準記録は突破できなかったが、世界ランキングで出場権を獲得する可能性を極めて高くした。
その小池を逆転して優勝したのは、雨のなかの前日の予選で3レーンながらもトップタイムの20秒48を出していた上山紘輝(住友電工)だった。「前半は少し押さえて、コーナーの抜け出しからスピードを上げた」という走りで追い風1.7mの条件のなか、小池に0秒16差をつける、自己ベストタイの20秒46で初優勝。
近畿大4年だった昨年は日本選手権5位と、日本インカレ2位から成長を遂げ、その理由を上山はこう話す。
「社会人1年目で環境が変わって大変なところはありましたが、しっかり練習が積めるようになり、苦手だったウエイトトレーニングも『勝つためにやるんだ』と思い、やれたことが大きいです」
昨年までは20秒69だった自己ベストも、今年は5月3日の静岡国際で20秒46まで伸ばしていた。その好調を維持できたことで、実績のある選手たちを破ることができた。
新オーダー有力候補
この大会の結果、男子短距離で世界選手権代表内定を決めたのはサニブラウンだけ。小池が200mでの代表の可能性を高くし、上山もうまくいけば世界ランキングでの出場がなるかもしれないという状況になった。
100mの坂井と柳田も6月26日の布勢スプリントで10秒05を突破すれば、個人種目で代表入りできる可能性を残しているが、注目の4×100mリレー代表を考えれば、100m3位(サニブラウン、酒井、柳田)までと200m2位(上山、小池)までの5人が有力だろう。
そのなかでオーダーを考えると、土江寛裕コーチが前々から口にしているサニブラウンの2走起用は現実味を帯びてくる。日本陸連の山崎一彦強化委員長が「五輪翌シーズンは、それまでトップを引っ張ってきた選手がひと休みをする時期。そういうなかで新しい選手を起用してチャレンジさせ、可能性を広げることも重要」と話すように、海外在住のサニブラウンがリレー合宿に参加できなくても、将来を考えれば試すべきチャンスだろう。
また新戦力を見れば、1走を希望している坂井は、今回の100m決勝でも終盤のスピードの落ちは少なく、後半強化の成果が出ていることが計測データにも示されている。また上山は近畿大学でずっと3走を務めていて、柳田は「4走しかやったことがないので」と3人ともオーダーにピタリとはまる状況だ。
そこに、小池が入ってきたことも大きなプラス材料だ。彼は世界リレーを含む代表として1走と3走、4走を務めた経験があり、実力から考えれば新戦力の3人以上の走力も期待できる。
弱点になりそうな区間を、「よりレベルの高い武器」としてカバーできる存在になれるだろう。目標としている24年パリ五輪の金メダル獲得のためにも、世界選手権での新オーダーでの挑戦は、極めて重要だ。