川崎憲次郎氏は1988年に、ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団。年間200イニングを超える働きで、チームの柱として活躍。巨人戦には滅法強く「巨人キラー」の異名を持ち、通算88勝のうち29勝を巨人戦から挙げた。93年には日本シリーズMVP。98年には17勝し、最多勝を獲得。その年、沢村賞に輝いている。今回は同じくヤクルトで活躍し、引退後は楽天、巨人、西武、ヤクルト、さらには侍ジャパンで戦略コーチを務めたBCリーグ新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督の橋上秀樹氏が自身のYouTubeチャンネル「橋上秀樹アナライズTV」で語り合った。
【動画】川崎憲次郎氏が語る、今だから話せる巨人に強かった理由!シュートピッチャーの攻略は簡単?
巨人キラーと呼ばれた理由として、川崎氏は「当時は(巨人に)左バッターが多く、スプリットが物凄く有効だった」と話している。後にシュートが注目を集めるが、当時の川崎氏の持ち球は直球、カーブ、スライダー、スプリットだったという。
右ピッチャーと左バッターの相性については橋上氏も
「右ピッチャーの真っすぐではなく逃げて落ちる球は走り打ちをしている左バッターにとって打ちにくいんだよ」「左バッターは打とうとしている方向と走り出す方向が違うため体重移動の関係で強く押し出せない」とバッター目線で詳細に解説している。
そんな巨人キラーの川崎氏にも巨人で苦手なバッターがいた。
「バントの神様」で知られる川相昌弘氏である。
ピッチャー目線で川崎氏はバッターについて「怖いバッターと嫌なバッターがいる」としながら、「怖いバッター」とは一発があるバッター、「嫌なバッター」とは空振りしない、粘るバッターであり、川相氏は後者だったという。
「当時の巨人ではパワーヒッターが多かったが、その中でも粘るプレーをしてくる川相さんは特にやりにくかった」と当時のエピソードを振り返った。
また川崎氏はシュートを習得したのがプロ9年目だったと明かした。
監督である野村克也さんに「シュートを覚えろ」と言われ続けていたが「ストレートで三振を取ることに生きがいを感じるピッチャーだったから聞かなかったんですよ(笑い)」と自身のこだわりのあるピッチングスタイルを貫き通していたという。しかし、その後、自身の投球に不安な点を感じたことから、シュートを取り入れるようになり、自身の投球の幅が広がったという。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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