ケンドーコバヤシ令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(4)前編(連載第3回:ヒロ斎藤と渕正信の「流血の因縁」から学んだ。「男には、ベルトより大事なものがある」>>) 子供の頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してき…

ケンドーコバヤシ
令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(4)前編

(連載第3回:ヒロ斎藤と渕正信の「流血の因縁」から学んだ。「男には、ベルトより大事なものがある」>>)

 子供の頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してきたケンドーコバヤシさんが、独自の目線で名勝負を語り尽くす連載。第4回は、武藤敬司とタッグを組んだ蝶野正洋が、"あり得ない"行動を取った試合を振り返る。



1990年8月、デストラクション・クルーと闘った蝶野(中央)と武藤(右)

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――語り継ぎたい名勝負、今回はどの試合でしょうか。

「今回は"不穏試合"を紹介しようかと思います。プロレスファンの記憶に刻み込まれている名勝負はいくつもありますが、一方で『あの試合は、いったい何やったんや?』『今思えば、あの試合はヤバかったんちゃうか?』といった謎に満ちた試合もたくさんあって、ファンの心を捉えて離さないんです」

――この連載の第2回・後編で話した、「前田日明vsアンドレ・ザ・ジャイアント」は代表的な不穏試合ですね。

「そうですね。前田vsアンドレなどはこれまでいろんな人が語ってきましたが、俺の中で『これはあまり語られていないな』という試合があって。それは蝶野正洋の、唯一と言っていい不穏試合。蝶野正洋&武藤敬司vsデストラクション・クルー戦です」

――その試合は......すみません、すぐに思い出せず......。

「デストラクション・クルーは、ウェイン・ブルームとマイク・イーノスのタッグチーム名ですね。紹介したいのは、1990年8月19日に両国国技館で行なわれたIWGPタッグ戦です」

――思い出しました! デストラクション・クルーはAWA世界タッグを奪取した実力派のコンビで、金髪・ロン毛がトレードマークの2人でしたね。蝶野さん、武藤さんとの試合となれば盛り上がりそうですが......。

「蝶野さんと武藤さんは、当時の新日本プロレスの中でも海外マットに精通していた2人でした。武藤さんはアメリカ、蝶野さんはヨーロッパで活躍した経験を生かして、試合もショー的要素を多分に入れ、リング外のストーリーも丁寧に作っていた。ある意味この2人は、アントニオ猪木さんをはじめ、ストロングスタイルを貫いてきた新日本プロレスを大きく変えたと言っても過言ではないと思います。

 だから本来、武藤さんと蝶野さんは不穏試合をするイメージからかけ離れた存在なんです。しかも、蝶野さんが『狼群団』でヒールターンするのは4年くらいあとの話で、当時は白のロングタイツを履いた正統派のレスラーでした。ところが、この試合では、それまでの蝶野さんからすると"あり得ない"行動に出たんです」

――どんな行動だったんですか?

「確かボディスラムだったと思うんですけど、ブルームがちょっと危ない投げ技を仕掛けた時に、蝶野さんが体をギリギリまで反ったんです。のけぞるような態勢になったから、テレビで見ていた俺は『危ない!危ない!』と叫びました。それで案の定、受け身を取るのが遅れ、危険な形でマットに叩きつけられたんですよ。

 結果として見栄えのいい受けになったんですが、めっちゃ痛かったみたいで。俺からすれば、『蝶野さんがあんな態勢になったからや』という感じだったんですが......そこで蝶野さんの顔色が変わって、無言でスクッと立ち上がり、ブルームのアゴをパンチで思いっきり打ち抜いて倒したんです。

 痛かったのをブルームのせいにして、『お前が悪い』と殴った感じに俺には見えましたが......これはあくまで個人的な推測で、選手間ではいろんな事情があったんでしょうけどね」

――プロレスではパンチは反則ですから、ルール無視ですね。

「しかも蝶野さんはパンチをお見舞いしたあと、武藤さんにタッチしてそこから約10分間も出番なし。武藤さんがひとりで試合を作って、最後はムーンサルトプレスを繰り出して勝ちます。

 それでも蝶野さんは腹の虫がおさまらなかったのか、レフェリーの勝ち名乗りもそこそこに、『俺はキレてるぞ!』という不機嫌な空気を出しながらサーッと控室に帰っちゃうんです。それまでの蝶野さんからは想像できない、おかしな終わり方でした。まさに不穏試合。ただ、俺はその"キレた"蝶野正洋がものすごく魅力的に見えたんですよね」

――そのあと、ヒールに転向してブレイクする片鱗が見えたと?

「まさにそうです。これも俺の勝手な解釈ですけど、あそこで"ブラック蝶野正洋"が目覚めたんちゃうかと思ってます。

 それまでの蝶野さんは、俺から見ると正体がわからないというか、謎めいた人でした。『週刊プロレス』に、暴走族に入っていた高校時代の、モヒカンみたいな頭で横を向いてる写真が載ったことがあって。だけど、 "元暴走族"という肩書きのわりに、リング上ではクラシカルで正統派なレスリングを貫いていた。

 暴走族時代の写真を見てから、俺は『蝶野さんの本性はこれだ』と感じて、ヒールに転向してもらいたいという内容のファンレターを送ろうと思っていたくらいでした。そんな時に不穏試合でキレた蝶野さんを見て、『こういう人やねん! 蝶野正洋という男は!』ってばっちりイメージが重なったんです。蝶野さんがヒールとしてブレイクする萌芽(ほうが)を見つけた試合でした。

 ただ、この不穏試合には解明できていない謎があるんですよ」

(後編:闘魂三銃士と"馳健"のピリピリしたライバル関係>>)