サッカーの取材は、試合会場だけがすべてではない。スタジアム周辺、また近くの国にも、材料は転がっているのだ。サッカージャ…
サッカーの取材は、試合会場だけがすべてではない。スタジアム周辺、また近くの国にも、材料は転がっているのだ。サッカージャーナリスト・後藤健生は2010年、ワールドカップ取材のために南アフリカを訪れた。だが、「取材対象」は他にもあった。
■ガイドブックは信用できるか
ポルトガルの独裁者アントニオ・サラザールはけっして植民地を手放そうとはしませんでしたが、植民地経営を続けるためのコストがかかりすぎて国全体が経済的に困窮してしまったため、1974年に革命が起こって各植民地は独立することになりました。
モザンビークでは、独立闘争を続けてきた解放戦線(FRELIMO)による社会主義政権が誕生します。しかし、それに反対する南アフリカやローデシア(現、ジンバブエ)といった周辺国の白人政権が反政府勢力を支援したため、長く内戦が続いていたのです。内戦終結は1990年代の初めでした。
しかし、ガイドブックを見ると、「現在のモザンビークは治安が良い」と書いてあります。そこで、とにかく行ってみることにしたのです。
マプト(かつてのロウレンソマルケス)の空港から、古いバスに揺られて30分ほど。「ペスタナ・ロヴーナ」という海に面した旧市街のホテルに到着しました。マプトは人口100万人の大都市です。
スペイン人やポルトガル人が建設した町はどこでも同じような構造になっています。通りは碁盤目状になっていて、町の中心に広場があり、市役所と大聖堂がそびえています。そして、市内には大きな公園が点在します。ホテルのそばにも独立広場や公園(植物園)があって、いかにもアフリカらしい木々が茂っていました。「どこか、パラグアイのアスンシオンに似ているなぁ」と、僕は思いました。
■本当に治安は大丈夫?
街をぶらぶらしていると、すぐにあたりはかなり暗くなってきました。
ガイドブックには、「夜でも安全」と書いてあります。「う~ん、本当だろうか……」。ホテルのレセプションでも聞いてみました。「夜、歩いても大丈夫か?」と。
レセプショニストはにこやかに「大丈夫でっせ」と保障してくれますが、僕は「本当に、どこを歩いても大丈夫なのか」と何度もしつこく尋ねます。それでも、レセプショニストは嫌な顔一つもせずに「大丈夫でっせ」を繰り返します。
「そうか。それなら歩いてみよう」と意を決した僕はホテルを出ました。公園からメインストリート、そして港などを歩いてみました。
確かに危険の匂いはどこにもしません。夜間遊園地のような所があって、子供たちも普通に外で遊んでいます。遊園地のそばには屋台店がいっぱい出ていたので、ビールを飲んで鍋をつまんで、お気楽な感じでホテルに戻ってきました。
マプトは本当に長閑なところなのでした。
■アフリカ南部で一番ヤバイ国
こうして、モザンビークを体験してから南アフリカに1か月滞在するわけですが、やはり南アフリカは危険がいっぱい。ヨハネスブルグの都心は、ガイドなしでは歩けません。そして、大会後はジンバブエ、ザンビア、ナミビアを巡りました。
ジンバブエといってもヴィクトリアの滝のそばの観光都市ヴィクトリア・フォールズだけでした。ここは観光の町なので安全です。そして、ザンビアは経済的にも安定していて、国全体がうまく運営されているようでした。
そして、最後に訪れたのが旧ドイツ植民地だったナミビアでした。
首都のウィントフクのホテルに投宿。夜になったので、ちょっと中心街を歩いてみようと思ってホテルを出ました。しかし、外に出た瞬間。周囲から危険な香りがぷんぷんと漂ってきましたので、「ヤバイ!」と思ってすぐにホテルに引き返しました。
同じアフリカ南部の国々でも、それぞれの国の政府の能力や歴史の違いによって、安全な国もあれば、インフレに悩まされる国もあり、夜間外出などもってのほかという国もあるのです。