6.12埼玉CyberFight Festival 2022ではDDTプロレスのEruptionと対抗戦。7.10大田区総合体育館「WRESTLE SEKIGAHARA」ではスターダム所属ウナギ・サヤカとシングル対決に臨むまなせゆうな。スタ…

6.12埼玉CyberFight Festival 2022ではDDTプロレスのEruptionと対抗戦。7.10大田区総合体育館「WRESTLE SEKIGAHARA」ではスターダム所属ウナギ・サヤカとシングル対決に臨むまなせゆうな。スターダム、アクトレス・ガールズ、東京女子プロレスと渡り歩き、現在はガンバレ☆プロレスの女子レスラーのエースに君臨。今回、彼女の半生を振り返ってもらった。

■夢は新体操の先生

――小さい頃、まなせさんはどんな子供でしたか?

まなせゆうな(以下 まなせ):子供の頃は新体操ばかりしていました。逆に新体操しか知らなかったです(笑)。将来の夢は新体操の先生だったので、「ケーキ屋さんになりたい」とか「お姫様になりたい」と言った普通の女の子が抱くような夢はなかったです。

――新体操の先生になりたかったのに、どうしてレスラーになったのか経緯を教えていただけますか?

まなせ:6年間関東1位で国体の強化選手になって高校の推薦も決まっていましたが、15歳で膝をケガしてしまった。今思えば治療に専念して、しっかり休み国体に照準を絞ればよかったけど、当時は新体操をできないことが悲しくて。それで選手ではなく「外部指導コーチ」として新体操と関わっていました。

外部指導コーチなので比較的時間もありバイトもしていました。高校2年の時、バイト先に遅刻しそうで千葉駅付近を走っていたら芸能関係者にスカウトされたのです。あの頃の私はバイトするか海で遊んでいる女で、やりたいことがなかった(苦笑)。スカウトされたのは役者事務所。事務所の人に「何をやりたいの?」と聞かれても「自分のことを応援してくれる人と握手がしたい」と具体的な答えはなかったですね(苦笑)。

そしたら「君は芝居もいいけどグラビアがあってるかも」と言われてグラビアの仕事を始めました。元々新体操はレオタードなのでグラビアで水着姿を披露することに抵抗なかったです。

■タレントからプロレスの世界へ

――グラビアを始めたのが10代後半、レスラーとしてデビューしたのが25歳。その間は何をしていたのでしょうか?

まなせ:最初はグラビアの仕事が多かったですね。ただ22歳頃になると露出が高くなってきました。当時は宇宙の星から地球にやって来た小柄な女の子が注目を集める時代。私のように身長が大きい女の子は仕事が少なくなり、露出高めで売り出さなければならなかったのです(苦笑)。

その後、いろいろなことがありグラビアの仕事から距離を置いた時、舞台の仕事が⼊りました。あの頃の私はチャーリーズ・エンジェルが好きで、キャメロン・ディアスのようなアクション⼥優に憧れていました。その時はモデル役だったんですけど、舞台を見てくれたアクトレス・ガールズの坂口代表が声をかけてくれました。

「プロレスを舞台にした映画を作る計画がある。君は大きくてリング映えするからやりませんか?」と。「芝居でプロレスをやる…?」、プロレスのこと全く分からなかったけど、当時はアクション女優になりたかったので「はい、やります」と答えました(苦笑)。

それで役作りのために、スターダムでプロレスの練習を始めました。それが2013年2月。愛川ゆず季さんが引退されたのが2013年4月なので少し前ですね。私は新体操で身体が柔らかかったこともあり、ゆず季さんの必殺技「かかと落とし」がすぐに使えました。

ただ残念なことに映画の話が流れてしまった。それで坂口さんが「プロレスどうする?」と。私は身体を使うならグラビアよりもプロレスの方が楽しいと感じていました。あと映画「ワイルドスピード」にプロレスラーのドウェイン・ジョンソンことロック様が出演していて、坂口さんに「プロレスやったらハリウッド映画に出られるんだよ!」と言われ「プロレスやる!」と。完全に騙されましたね(笑)。

――元々チャーリズ・エンジェルのキャメロン・ディアスに憧れていたのが、ここで繋がりましたね。ということは元々役作りのためにスターダムに練習生として参加。その映画の話が無くなったのでプロレスラーとしてデビューしたのですね。

まなせ:そうなります。デビュー当時は隠していましたけど(苦笑)。ただあの頃は身体が細すぎてケガが多かった。鎖骨を骨折しカバーしながら戦っていると他の箇所にも支障がでましたね。

同期のコグマはプロレスが大好き、運動神経もズバ抜けて良かった。でも私は選手の中で腕立て伏せもできないし三半規管が弱くてマット運動すら苦労しましたね。

■スターダムからアクトレス・ガールズ

――新体操をしている人は身体も柔らかくて運動神経も良いと思っていました。

まなせ:新体操をやめてから10年近く過ぎていたし、二十歳を超えてお酒も飲むようになり体力も低下したのでしょうね(苦笑)。その後、2015年にアクトレス・ガールズが本格的に始動することになり、私はスターダムを退団しました。

当初アクトレス・ガールズは「プロレスの技術を用いたエンターテインメント公演で、活動の中心は舞台や演劇」の予定でした。私はケガが多く、体調が良くなかったこともありプロレスと少しだけ距離を取りたかった。それでスターダムを離れました。でも結果的にアクトレス・ガールズもプロレスでしたね(苦笑)。その頃のアクトレス・ガールズは、なつぽい(万喜なつみ)や安納サオリちゃん、角田奈穂ちゃん、尾崎妹加ちゃん、本間多恵ちゃん、現在声優として活躍している相⽻あいなちゃんたち。

ただメンバーの中でプロレス経験者は私しかいませんでした。ですから私が2年間スターダムで学んだことを彼女たちに伝えました。私が持っているものなんて微々たるものです。でもそれでも全てを伝えようと。アクトレス・ガールズのメンバーは本当に素直な人ばかりなんです。これが少しでも悪い部分が見えたら私も教えることに躊躇したかもしれません。でも彼女たちは真剣にプロレスにかけて取り組んでいました。だから私は自分で考えた技も渡しましたね。

――レスラーにとって自分の技を渡すなんて。死活問題じゃないですか。

まなせ:今思うと教え過ぎたかな(笑)。でも、あの時は私より彼女たちのことを優先的に考えました。そのくらい可能性に満ち溢れたメンバーでしたから。だから今でもリング上で活躍しているし、彼女たちの活躍を見るのは励みになりますね。

――アクトレス・ガールズで指導した期間が2年間なのはどうしてですか?

まなせ:堀田祐美子さんがアドバイザーとして入ることになったからです。堀田さんほどの大ベテランが加入するのに私が教えることなんてない。それで私はコーチを辞めてアクトレス・ガールズを離れました。

その後、知人の勧めで東京スポーツ新聞社主催の「ミス東スポ2017」に応募し特別賞を受賞しました。そのミス東スポのことをDDTの関係者が見てくれて「プロレスはやらないの?」と声をかけてくれました。

私が「ミス東スポ2017」で受賞できたのは、応援してくれたプロレスファンのおかげです。それにプロレスを嫌いで辞めたわけではなかったし、正直に言えばリングに上がるキッカケを探していました。

それで声をかけてくれた方が「東京女子プロレスはどう思う?」と。以前、東京女子の新宿FACEの試合を1度観たことがありました。ちょうど後楽園ホール進出が発表された大会で「すごく楽しそうな団体だな」と感じました。実は私のデビューは2014年1月、東京女子の旗揚げ戦が2013年12月で勝手に同期だと思っていましたね(笑)。

それで「プロレスをやれるチャンスがあれば試合をしたい」と答えました。それが翌日高木三四郎社長の耳に入り、数日後にDDTプロレスの事務所で「いつから試合できる?」と話を頂きました(笑)。

芸能の世界では様々な事情で「ちょっと待ってください」と言われることが多かった。ですから、すぐに動いてくれたDDTプロレスや高木社長の姿勢に感動し、「またプロレスをやろう」と決意が固まりましたね。
<(2)につづく>

<インフォメーション>
6.12さいたまスーパーアリーナ「CYBER FIGHT FESTIVAL 2022」にて坂口征夫・赤井沙希・岡谷秀樹vs大家健・まなせゆうな・渡瀬瑞基が行われます。
また7.10大田区総合体育館でガンバレ☆プロレス最大のイベント「WRESTLE SEKIGAHARA」にて、まなせゆうなvsウナギ・サヤカ(スターダム所属)が行われます。詳細はDDTプロレスリング公式サイトをご覧ください!
試合は動画配信サービスWRESTLE UNIVERSEで配信されます。

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取材・文・編集/大楽聡詞
写真提供/DDTプロレスリング