伊調馨インタビュー@前編 2004年のアテネ大会を皮切りに、2008年の北京大会、2012年のロンドン大会、そして2016年のリオデジャネイロ大会でも金メダルを獲得し、女子個人選手として史上初のオリンピック4連覇を成し遂げた伊調馨。世界中の…

伊調馨インタビュー@前編

 2004年のアテネ大会を皮切りに、2008年の北京大会、2012年のロンドン大会、そして2016年のリオデジャネイロ大会でも金メダルを獲得し、女子個人選手として史上初のオリンピック4連覇を成し遂げた伊調馨。世界中の誰もが勝てない「無敗の最強女子」として、吉田沙保里とともに日本レスリング界を牽引してきた。

 そんなオリンピックのシンボル的存在として輝かしい実績を誇る伊調だが、東京五輪への出場を逃したあとは、ほとんどメディアに露出することがない。いったい今、彼女は何をしているのか----。素朴な疑問をぶつけに会いに行ってきた。

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伊調馨が現在の日々の暮らしを語ってくれた

---- 2018年2月にスポルティーバでインタビューを行なった時は、所属するALSOKの広報部に異動して、社内報の製作に携わっていると言っていました(2018年2月9日掲載コラム『伊調馨がALSOK広報部に異動したので、さっそく名刺交換してきた』参照)。

 あれから4年4カ月。東京五輪や新型コロナウイルスなど大きな出来事が数多くありましたので、近況を聞きに来ました。まずは率直にお尋ねします。伊調さんは現役を引退されたのですか?

「今も所属はALSOK広報部ですが、レスリング部では『コーチ兼選手』という肩書きです。なので、レスリング部の大橋正教監督のもと、所属する選手たちの指導にあたっています。まぁ、といっても、ふだんは自分の練習しまくりですけど」

---- 練習を続けているということは、今後、大会への出場は?

「いや、今のところ、その予定はありません」

---- 再度確認しますが、伊調さんは「引退」されたのではないのですね。

「はい。『引退』ということはまったく考えていないし、自分の口から言わなければいけないことだとも思っていません。ただ、毎日レスリングをやり続けたい。それだけです」

---- オリンピックを連覇していた時期も後輩からアドバイスを求められたり、時には技術指導も行なっていました。その状況とは違い、本格的に選手を指導するようになったのはいつからですか?

「やっぱり2019年7月、川井梨紗子選手とのプレーオフのあとから、ですね。気持ちのなかでは『自分のことは終えた』と思いましたから」

---- 今はどんなスケジュールで日々生活しているのですか?

「朝7時に起きて、7時30分からランニング。その後、1時間ぐらいウエイトトレーニング。あ、学生のような朝練とは違いますよ。彼らはもっと朝が早いですから、さすがにそこまでは。そして、トレーニングも自宅でやって、ウエイトは自重で......」

---- それを毎日、ですか?

「いやいや! そんなにトレーニングを毎日やっていたら、試合に復帰しますよ(笑)。だいたい週3回ぐらいですね」

---- マット練習は?

「日体大で女子選手を指導しているので、マット練習は月曜日から土曜日まで、毎日16時30分から19時ぐらいまで。日曜日は全体練習がお休みなので」

---- 今の気持ちは選手、コーチ、どちらに向いていますか?

「ありがたいことに会社からコーチという役割をいただいているので、気持ちはコーチのほうに向いているんです。ところが技術練習、特にスパーリングなどをやり出すと、選手のほうにスイッチが入ってしまうというか......。『あれ、今、どっちだ?』と葛藤が始まることもあって。

 スパーリングしていると、『どうやったらポイントを取れるのか』『次はあの手でいこう』『取られるのは嫌だな』『何で取られたのかな』と、いろいろ考えてしまって......。お互いが見合っちゃう試合みたいな展開になることが多いんです。もっと選手のことを考えて、展開を作ってあげないといけないのに。彼女たちには申し訳ないと思うことばかりです。

 まだコーチとして余裕がないんですね。日体大では田南部力コーチが全体を仕切り、私は軽量級担当になっているんですが、時に重量級の選手を相手にすると。もうガチです(笑)。ポイントを取りたい、取られたくないと必死ですね」

---- 負けん気の強い伊調さんらしいですね。

「あと、大学生は目標がバラバラなのも、コーチングにおいて難しい点ですね。日体大と言えども、オリンピック出場を目標にしている選手ばかりではありません。インカレ優勝を目指している学生もいれば、先生になるために入学してきた学生もいます。

 なかには『卒業したらレスリングは辞めます』とキッパリと言って、3年生の途中から就職活動をメインに動く学生もいます。そうなると、大学4年間のうちレスリングに打ち込めるのは2年半から3年しかありません」

---- ナショナルチームを指導するほうがわかりやすい。

「ほんと、そう思います。オリンピックを目指す選手たちに技術指導するほうがよっぽどラクじゃないかと。でも、田南部コーチは違うんです。教育的観点から指導されているというか。私生活や心のケア、栄養まで細かく、しつこいぐらいに指導されています。

 私はどこかで『言ってもわからないかな』とあきらめたり、『なぜもっとレスリングを真剣にやらないんだろう』と不思議に思ってしまうんですけど、田南部コーチは選手全員に日常の取り組みすべてをきちんとやっていくことが大事だと教えています。"先生"としての力量の差を感じますね」

---- コーチとして今、大切にされていることは?

「レスリングの面白さ、楽しさを伝えたいです。それもできるだけ早い時期、大学に入学してきたばかりや、遅くとも2年生のうちに。そうすれば、在学中に『もっと強くなりたい』という意識が芽生えてくるでしょう。選手たちを見ていて「もうちょっと続ければ、もっと強くなれるのに」と思うことがあるので、それが芽生えないまま辞めるのは悲しいじゃないですか」

---- 過去のコーチから言われて印象に残っている言葉やわかりやすかった教え方を、伊調さんは自身のレスリングノートにメモしていると聞いたことがあります。それは役に立っていますか?

「役に立っていることは間違いありませんが、そのまま使えるわけではなくて、一人ひとり相手に合わせてアレンジしないといけません。コーチから言われたことが100パーセント正しいわけじゃないですし。私自身も『ちょっと違うんじゃないか』」と思ったこともありましたから。

 特に、相手が女の子だと複雑です。男の子は『レスリングをやってモテたい。強くなりたい』という気持ちがわかりやすいけど、女の子はレスリングへの取り組み方も違うし、すぐに甘えが出ます。だから性格を見抜き、どんな時に甘えが出るのかわかったうえで、どのタイミングでどう言ったら響くかを考えないとダメですね。そのためには毎日、接していないとわからない部分もあります」

---- 以前、理想のコーチは「選手と一緒にレスリングを作っていけるコーチ」と言っていました。あらためて、いかがでしょうか?

「その考えは今も変わっていません。ですが、まだまだ実力不足。メンタル面まで面倒みきれない部分があって、今は技術指導に特化しないと無理かな。その技術も、まだ知らないことがたくさんあるので、選手によって提案できる引き出しが限られています。

 それでも、私とスタイルが合う選手はいいんです。『自分のスタイルにプラスしたいなら、この技を覚えてみれば?』と提案できますから。でも、スタイルが違ってくると、本人が聞きたい内容と違うアドバイスになりそうで迷ってばかり。『これを教えたほうがいいかな......でも、それは私、得意じゃないし』みたいになって」

---- 理想のコーチ像を100点とすると、今は何点ぐらいですか?

「う〜ん、20〜30点かな」

---- これまた伊調さんらしい、自分に厳しい採点ですね。

「もっと技術ベースをしっかりと作って、どんどんアップデートしていかないと。その選手にとってアドバイスしたことが正解なのか、試合で試してみないとわからないじゃないですか。そうなると時間をかけないとダメなので、結果を出させるのは難しい。正解って何なのか、わからなくなります(笑)」

---- 以前、伊調さんはこう言っていました。「レスリングは辞めたくない。でも、いつかは辞めなければならないから、コーチになってレスリングを追及するのもいいかなと思っています」。今の手応えとして、レスリングは極められそうですか?

「追求はしています。極められるかどうかはわからないですけど。世界のレスリングは本当に進化しているし、流行りのスタイルも刻々と変わっています。私が得意な技術がたとえば5個あって、それらのレベルがそれぞれ100点に近いところまで持っていけたとしても、自分の知らない領域があったら、さらに上へは行けない。日々、レスリングを追求して、勉強しないと」

(後編につづく>>「伊調馨二世を育ててもつまらない」)

【profile】
伊調馨(いちょう・かおり)
1984年6月13日生まれ、青森県八戸市出身。中京女子大学(現・至学館大学)卒。ALSOK所属。2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロで金メダルを獲得し、女子個人として史上初の五輪4連覇を達成する。世界選手権10回優勝。2016年10月、日本政府から国民栄誉賞を授与される。東京五輪への出場は逃したが、2021年の同大会ではメダルセレモニーでプレゼンターを務め、東京パラリンピック開会式には日本国旗を運ぶベアラーとして参加した。