伊調馨インタビュー@後編「前人未到のオリンピック4連覇を成し遂げた伊調馨は今、何をしているのか」。東京五輪と新型コロナウイルスという大きな出来事を経験したあとも、彼女のレスリングにかける強い想いは変わっていなかった。もうじき38歳を迎える「…

伊調馨インタビュー@後編

「前人未到のオリンピック4連覇を成し遂げた伊調馨は今、何をしているのか」。東京五輪と新型コロナウイルスという大きな出来事を経験したあとも、彼女のレスリングにかける強い想いは変わっていなかった。もうじき38歳を迎える「レスリングの求道者」が見据える将来像とは----。

「現役を引退されたのですか?」と聞いてみた。

   ※   ※   ※   ※   ※



伊調馨に自身の将来像について聞いてみた

---- 東京オリンピック女子68キロ級代表の座を最後まで争った森川美和選手がこの春、日体大からALSOKに入社してきました。伊調さんがどのように指導しているのか、森川選手に話を聞いたので、その内容について感想を聞かせてください。

(森川)『ALSOKさんには馨さんをはじめ、女子も男子も強い選手ばかり。試合会場でバルーンスティックをバンバン叩く応援も憧れでした。私にとってALOSOKは雲の上の存在。だから、大橋正教監督から声をかけていただいた時はビックリして「私なんかでいいんですか?」と聞いてしまったほどです』

「美和もそんなお世辞が言えるようになったんですね(笑)。私がリオ後にしばらく休んでから復帰して、日体大で田南部力コーチの指導を受けるようになった時、ちょうど美和が入学してきたんです。

 だから美和の入学からずっと、一緒に練習してきました。重量級の美和とスパーリングする時は燃えるんですよね。今年からはALSOKの後輩ということになったので、しっかり育てていきます。東京オリンピックにはALSOK所属の女子選手が出場できなかったので、みんなかなり期待していると思います」

(森川)『馨さんの指導は、私にはぴったり合うんです。わかりやすいし、指導してもらっている内容も面白い。「こんな考えもあるのか!」という発見の連続です』

「えー本当ですか?(笑)」

(森川)『でも、指導は厳しいです。馨さんは自分に対してとてもストイックな方ですから、求める内容も細かい。レスリングは手や足の位置、体のどの部分をどう取るかなど、センチ単位で決まっているので、指導が徹底しています。

 でも、私の意見も尊重してくれて、「あれもこれも(提案は)あるけど、それだけじゃない。最後は自分に合ったところを見つけなさい」と指導してくれます。「1がダメなら2、それがダメなら3」といつも先を考えていて。私も大学時代より少しは2個、3個先まで考えられるようになったと思うんですけど、馨さんはいつも10個先まで考えているんです』

「それがわかってきたのか。えらい(笑)」

(森川)『昔は「馨さんに負けても仕方ない」と思うこともあったのですが、今は馨さんを倒したいです。でも、メチャクチャ強い。隙がないんです。手や足を取っても、すぐに切られたり、返されたり......。

 しかも、私のほうが若いし、いっぱいトレーニングをしているはずなのに、先にバテてしまいます。とにかく"世界一のお手本"が目の前にいてくれるのは、本当にありがたいことです。試合で誰と組んでも「馨さんよりは弱いな」と、自信を持って戦えますから』

「なるほど。美和も成長した、ということですね(笑)」

---- 伊調さんの指導の甲斐もあって、森川選手は今年4月に行なわれたアジア選手権で見事に優勝しました。森川選手のよさ、課題はどんなところでしょうか。

「いいところは、タックルに入るスピードと、正面タックルにどんどん入っていく意識の高さですね。ゾーン際の使い方も上手で、体が柔らかいからもつれた時も強い。ただ、レスリングが単調、単純です。

 スパーリングしている時も、何を狙っているかがわかりやすい。両足タックルを狙っているとか、こっちサイドから攻めてくるとか。もっとよく相手を観察して、戦術を考えないとダメ。『レスリングは駆け引き、だまし合い』と表現されることもあるとおり、裏をかいて取れた快感を知ってほしいですね。

 だから、美和はトランプとかやるといいんじゃないかな。私は小さい時、父のひざの上に乗って親戚の人たちと興じるトランプを見るのが好きでした。どうやって相手をだますか、裏をかくかを観察するのが好きだったので、それがレスリングにも役に立っているかも」

---- オリンピック階級ではない65キロ級でアジア選手権を制した森川選手の今後について、伊調さんは早めの階級アップを希望しているそうですね。6月の全日本選抜選手権、9月の世界選手権を制したあと、オリンピック代表選考が始まる12月の全日本選手権にはオリンピック階級の68キロ級で挑む青写真だと聞きました。

「65キロ級でもいいから一度は世界チャンピオンになりたい、という気持ちはわかりますが、私としてはできるだけ早く階級を上げてやらせたい。65キロと68キロ、わずか3キロの違いですが、かなり重いですよ。世界のレベルも全然違いますし。最終目標のパリオリンピックまでに間に合うかどうか」

---- 東京オリンピックから次のパリオリンピックまで、3年しかないですからね。

「がんばらないと相当厳しいと思います。そのなかで美和のよさを生かすとしたら、スピードとゾーン際でもつれた時のうまさ。パワーで勝負はできないでしょうから、動き勝つしかありません。

 東京オリンピックでの日本の戦いを見ても、軽量級では層の厚さを世界に見せつけることができました。しかし、重量級は世界に置いていかれています。これは美和本人の努力に託すだけでなく、私やレスリング関係者がみんなで団結し、力を合わせて強化していかなければいけないでしょう」

---- 2024年パリオリンピックで東京オリンピック以上の結果を出すために、日本レスリング協会は伊調さんを「アントラージュ・コーチ」に任命しました。その役割は「アスリートが強化コーチに相談しづらい悩みなど、アントラージュ・コーチを通じて強化委員会に伝えることにより、円滑な強化推進をはかる」とのことです。5月に東京・味の素ナショナルトレーニングセンターで行なわれた全日本女子チームの合宿に伊調さんも参加されましたが、アントラージュ・コーチとしての感想は?

「私はレスリングという競技が好きで、いろんなものをレスリングで得てきました。そうした経験、技術、知識を後輩たちに教えてほしいとオファーをいただいたので、少しでも力になれるならとお引き受けしました。ただ、私も協会も初めてのことなので、具体的に何をしたらいいのか決まっていないんです。



森川美和(左)と伊調馨(右)のツーショット

 合宿では、選手から試合前の気持ちの作り方やスパーリングで気をつけるべき点などを質問されたので、それらを説明しました。今後の活動については未定ですが、選手との時間を大事にして、一緒に世界を目指していければいいなと思っています」

---- 最後に、コーチとして将来「伊調馨二世」を育てることができそうですか?

「それは無理でしょう、赤ん坊の時から見ないと(笑)。なにより、それでは私がつまらない。私と同じ選手を作っても、私のレスリングの幅は広がりませんから。

 だから、私はまだまだこれからもレスリングを学び、そして追及していきます。半分はコーチ、半分は試合に出ない選手、という感じで(笑)」

【profile】
伊調馨(いちょう・かおり)
1984年6月13日生まれ、青森県八戸市出身。中京女子大学(現・至学館大学)卒。ALSOK所属。2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロで金メダルを獲得し、女子個人として史上初の五輪4連覇を達成する。世界選手権10回優勝。2016年10月、日本政府から国民栄誉賞を授与される。東京五輪への出場は逃したが、2021年の同大会ではメダルセレモニーでプレゼンターを務め、東京パラリンピック開会式には日本国旗を運ぶベアラーとして参加した。