今から2年前に田中晴也(はるや)が日本文理高に入学してきた時、同校の投手コーチを務める本間忠は内心こんな思いを抱いた。「高卒でプロに行くなら、バッターのほうが近いかなぁ......」 本間コーチは同校OBで、投手としてヤクルトで7年間プレ…

 今から2年前に田中晴也(はるや)が日本文理高に入学してきた時、同校の投手コーチを務める本間忠は内心こんな思いを抱いた。

「高卒でプロに行くなら、バッターのほうが近いかなぁ......」

 本間コーチは同校OBで、投手としてヤクルトで7年間プレーした元プロ野球選手である。2014年から母校の投手コーチを務めるようになり、飯塚悟史(元DeNA)や鈴木裕太(ヤクルト)らの育成にかかわってきた。



最速148キロを誇る日本文理の田中晴也

投打で将来を嘱望された逸材

 2020年入学の田中は、将来を嘱望された逸材だった。長岡市立南中では、3年秋の全国中学生都道府県対抗野球大会in伊豆に新潟県選抜のエースとして出場してベスト4進出に貢献。幼少期からMLBのテレビ中継に親しんでおり、イチローの大ファン。右投左打にしたのもイチローの影響だった。

 本間コーチが田中の適性を打者と見た理由は、類まれな打撃センスだけではなかった。田中の投球フォームに、ある欠陥があったのだ。

「軸足(右足)のヒザを折って、深く沈み込んでボールを押し出すフォームでした。今はどの球場もマウンドが硬くなっていて、地面から力をもらわないと投げられません。せっかくの長身なのにボールに角度が出ず、スピードも出にくい。モノはいいけど、このままでは将来性はバッターのほうかなと感じました」

 鈴木崇監督も同じ見解で、1年時の田中は野手中心で起用されている。

 だが、田中が高校2年になる春頃、本間コーチは見方を改めつつあった。

「このボールの質なら、急に速くなるかもしれない」

 本間コーチの予感どおり、それまで最速138キロだった田中の球速は一気に142キロへ伸び、夏には147キロが出た。もはや中学時代のような、沈み込むフォームではなくなっていた。本間コーチは田中の修正能力の高さに舌を巻いた。

「フォームの問題について本人に説明はしましたけど、田中は再現能力が高いし、いい感覚を持っています。たとえば、『今のボールはスピードガンの数字は出ていなくても、強いボールだった』とちゃんとわかる。これはすごい能力なんです。頭のなかで描くイメージと実際の動作のズレが小さくて、大型なのに柔らかくて素材としてのよさもある。『これはピッチャーでの高卒プロはあるよな......』と思いました」

無類の負けず嫌い

 現時点では投手としてドラフト上位候補に挙がる田中だが、なかには今も打者として評価するスカウトもいるようだ。田中本人は適性をどのように考えているのだろうか。自分は投手なのか、野手なのか、それとも二刀流なのか。

「第一は『プロとして戦いたい』ということが頭にあります。今はどちらかに絞るというより、ピッチングもバッティングも全国トップレベルに成長できるように、取り組む時期だと考えています」

 理路整然とした口ぶり。鈴木監督が「田中に関しては何の心配もしていない」と、全幅の信頼を置く理由がわかったような気がした。

 質問を変えてみた。「投手と打者のどちらのほうが楽しいか?」と。

「どちらもありますが、とくに楽しさがあるのは投手です。投げることが好きですし、試合の主導権を握れるのは投手なので。勝利を呼び込めるのは投手ですし、勝った時こそ投手の醍醐味だと思うんです」

 速いボールを投げたい。すごい変化球を投げたい。三振をたくさん取りたい。狙ったところに投げたい。投手にはさまざまな欲求がある。田中は投手として、どんな瞬間に快感を覚えるのか。そう聞くと、こんな答えが返ってきた。

「最後のバッターを打ち取った瞬間です。勝つことに一番の喜びを感じますし、その先に個人としてのレベルアップにつながっていくと考えています」

 無類の負けず嫌い。これが田中晴也という野球選手の本質なのだろう。そんな田中にとって、忘れられない敗戦がある。

 新潟大会を制した昨夏。初めて甲子園のマウンドに立った田中は、もがいていた。強打線を擁する敦賀気比を相手に8回を投げ、被安打15、失点8。乱打戦の末にチームは6対8で敗れた。田中は「自分の力が通じないとわかった試合」と振り返る。

「あそこまで自分のピッチングができず、打ち込まれたのは初めてでした。無力感を覚えましたし、『もっと成長しないと』と思いました。自分が成長できるきっかけになった試合でした」

 全国の打者を屈服させるストレート、空振りを奪える変化球。この2点の必要性を感じ、取り組んだ。週2回のウエイトトレーニングに励む一方、初動負荷トレーニングで関節の可動域を広げることも忘れなかった。身長186センチ、体重91キロの肉体は、強さと柔らかさが共存している。田中は体づくりへのこだわりをこう語る。

「もともと瞬発力がないほうだったので、体が重くなりすぎないよう管理に気をつけていますし、瞬発力をつけるトレーニングをしてきました」

目標は世界で通用するピッチャー

 今春の新潟大会では力感のないフォームから最速148キロを計測するなど、バックネット裏に陣取るスカウト陣へ進化を見せつけた。また、打者としても決勝戦で満塁弾を含む2打席連続本塁打と強烈な存在感を放った。

 夏に向けて、田中はさらなる進化をもくろんでいる。

「春はスピードこそ出ていましたけど、そこまでバッターを押せていませんでした。今は左手のグラブでロックをかけて腕を走らせ、加速するようなボールにできるよう取り組んでいます。右足がギリギリまでプレートについて上半身を後ろに残すイメージで、腕が少し遅れて出てくるように投げたいんです。その少しの間(ま)でバッターを差し込めると思うので」

 意外なことに、現時点では進路は未定だという。「プロで活躍するのが目標」としつつも、大学進学の可能性も残している。とはいえ、最終的な成功イメージは頭にはっきりと描いている。

「自分の好きなピッチャーはダルビッシュ有さん(パドレス)なんですけど、いずれ力をつけて世界でも通用するようなピッチャーになりたいです」

 もしプロ志望届を提出すれば、間違いなく高校生の中心的存在になるだろう。過去に新潟県の高校からドラフト1位指名された選手はいない(社会人経由なら1991年に日本文理OBの吉田篤史[元・ロッテほか]がドラフト1位指名を受けた)。

 指導する本間コーチは、田中にこんな言葉をかけているという。

「夏は甲子園に行くのが前提だからね。行って勝つことができるか。トップをとれるだけの能力はあるんだから、小さくまとまる必要はないよ」

 新潟県長岡市で生まれ育った田中は、花火が好きだという。8月に催される長岡まつりの大花火大会は、日本三大花火大会に数えられるビッグイベントだ。どんな花火が好みなのかと聞くと、田中はこう答えた。

「うーん、やっぱり黄金色の花火が何百発も連続するやつが好きですね」

 ここでも「勝利」を連想させる色なのか。話を聞いて吹き出してしまった。

 頭からつま先まで勝利に飢えた男は、どんな道に進もうとも変わらずに目の前の勝利を求めていくのだろう。