現在、住んでいる街の中心でもあるイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校が「NCAA ディビジョン1 メンズ&ウィメンズ・テニス・チャンピオンシップス(NCAA division I  Men’s & Women’s Ten…

現在、住んでいる街の中心でもあるイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校が「NCAA ディビジョン1 メンズ&ウィメンズ・テニス・チャンピオンシップス(NCAA division I  Men’s & Women’s Tennis Championships)」のホスト校になっていると知り、大学施設のアトキンズ・テニスセンターに足を運んだ。

今大会は、いわば全米大学テニスの最高峰大会であり日本のインカレ(全日本学生テニス選手権)と同じ位置付けのもの。私が観戦したのは団体戦後の個人戦。どこか連日の試合からの疲れと充実感が会場に見えるなか、選手たちは在学校の名前を誇り高く胸に掲げ、勝利を引き寄せことに夢中になっていた。

NCAAイメージ 撮影:久見香奈恵

試合はすべてベストオブ3セットのノーアドバンテージ方式で行われ、ダブルスはファイナル10ポイント・タイブレーク。日本ではシングルスでノーアドバンテージが採用されている全国大会が国体くらいしか思いつかず、全米一を決める大会で採用されていることに僅かな驚きを感じた。そして男子においては近年の国際大会で数年、実験的に使われていた「ノーレット・ルール」が採用されており、サービスがコードに当たった場合もインプレーを実施。すべての学生大会で、このルールを用いているという。

◆クレーでの1回戦敗退に見た大坂なおみの進化とリベンジの予兆

■「テニス以外を経験し、人として成長したかった」

出場資格はITAランキング(インターカレッジ・テニス協会)の上位から選出され、予選はない。個人戦がメインとなる9月から12月の秋シーズンと、団体戦が毎週末に行われる1月から5月の春シーズンでの個人成績がランキングに反映され、シーズン・ラストとなる今大会に向け出場権を争う。そして文武両道が求められる米国大学では、勉学の成績がGPA2.0以上(7割以上)をキープしなければ試合に出場することは叶わない。その条件を満たす為に試合期間でもパソコンを持ち歩き課題に向き合う選手も少なくないと聞いた。

出場選手は全米から集まるだけでなく、母国を離れた異国でしのぎを削る勇士も多い。ジュニア時代に各国の代表を経験した者や、ITFジュニアで四大大会に出場していた選手がスカウトされることもよくある話だ。世界の強者たちが集まるといってもいい米国大学テニスの最高峰で個人戦に出場した日本人選手は7名。そのなかでも女子ダブルスのファイナル4に残る輝きを見せたのは、オクラホマ州立大学のリュー理沙マリーと宮本愛弓だった。

ダブルスで活躍した宮本愛弓(左)とリュー理沙マリー(右) 撮影:久見香奈恵

宮本はジュニア時代にすべての四大大会に出場し、国内でも複数のタイトルを飾ってきた。高校卒業後にプロへの転向も期待されていたが「テニス以外のことも経験し、人として成長したかった」と本人が選んだのは米国大学への留学だった。

ジュニアの頃から海外遠征の経験も豊富だった宮本だが、より多国籍の人と英語でコミュニケーションを図れるようになりたいと勉学に力を入れ「アメリカでは勉強が出来ないとテニスも出来ないので、常に終わらさなきゃいけない課題のことが頭にある」と少し困り顔のあとにも充実した表情を覗かせる。

アメリカに来て大きく変化した部分は「No」だとハッキリと言えるようになったこと。それは今回のダブルスの合間にも垣間見え、ポイント間の僅かな時間にパートナーのリューのアイディアに対しても、しっかり自分の意見を伝え瞬時に戦略を決める姿勢を貫いた。「日本にいた時は練習の辞め時でさえ、周りやコーチが決めてくれることがありました。でもアメリカに来てからは自分自身の意見が本当に重要だと感じます。コーチからも常に『愛弓は今どうしたい?』と聞かれ、自分の考えをはっきりと伝えられるようになりました」と語る。今では留学前のようにいつでもテニスに100%を向けられることは難しくなったが、自主性を伸ばしてくれた今の環境で新たな成長を求め邁進していきたいと笑みを見せた。

宮本の3歳年上のリューは、大学生活最後の2020年がコロナイヤーとなりすべての試合がキャンセルになったまま卒業を迎えていた。その後プロ転向を果たしITFツアーで活躍していたが、NCAAは同年の1月から5月の間にチームに所属していた選手は、大学に在籍していれば1年間の出場資格を返上できるルールを決定。リューもこの規定を活用し、再入学してのシーズン復帰となった。「やはり最後の1年をまっとうできなかったことが自分の中で大きかった。そしてプロになってから成長した自分でコーチへの恩返ししたい気持ちもありました」と復学の理由を語るリューは、沖縄尚学からミシシッピ州立大学へ入学し、2年目の時にオクラハマ州立大学に転向している。その時に現監督であるクリス・ヤングさんの手厚いサポートを受け、転向後もテニス生活を謳歌することができたと話している。

アメリカでは団体戦のみならず、個人戦でもコーチがコートに入り自由なタイミングでアドバイスすることが出来る。2人の試合時もクリスさんが、ポイント間に声をかけゲームをサポートした。戦術以外にはどんなことをアドバイスしてくれるのか訊ねると、リューと宮本は顔を合わせ笑いながら「元気を出せ。エナジーだ!」と声を揃える。チームはITAの最終ランキングでトップ10入りを果たし、個人戦ではファイナル4へ進出。リューは大学テニス生活にピリオドを打ち、再びプロとしてツアー生活に戻るそうだ。

■ペッパーダイン大学院に入学からの成果

最後に今大会で6年間のアメリカ・テニス生活を終えた福田詩織について記す。

福田は、これまでに大学テニスで複数の賞を獲得するほど大いにアメリカで活躍してきた選手だ。今季の活躍からは、個人戦で上位16シードに入った選手に贈られるITAオールアメリカン賞や、地域で活躍した選手に贈られるWCCプレイヤーオブザイヤー賞などを受賞。そんな福田にとって今大会は進路を決める分岐点。「全米で1番になったらプロ転向する」と入学当初から心に決めた戦いの最終決戦でもあった。

15歳と16歳で中牟田杯とMUFGジュニアを制しプロになることを目指し始めた少女は、18歳の全日本ジュニアで優勝できなかったことを機会に修行の場をアメリカへと移した。そしてアメリカを選んだ理由には「テニスが終わってからも世界で活躍したい」とスキルの高い英語を獲得したかったとも語る。文武両道の大変さに四苦八苦しながらも「どうせやるならオールAがいい」と勉強にも手を抜くことはなかった。

コート上に上下関係がなく、実力社会の環境には居心地が良かったとも話す。「1年生がボール運びやコート整備をする決まりもないし、私が年下の子のランドリーを任されることにも嫌な気はしなかった。それよりも一人ずつ意見が言える環境で自身の高みを目指すことが重要で、コーチとの関係性も平等だった」。

大学4年間をオハイオ州立大学で過ごした福田は、アメリカ中西部に位置する立地から日本人に会うことは稀になかったともいう。その環境が尚更、自身の意見や思想を確立する機会に変わり、何事も自分の意志で決める力はより強くなった。その姿には日本の母から「帰国する際は少しでいいから日本人になって戻ってきなさい」といわれるほど、それを面白そうに笑う彼女は異国で生き抜いた証を手にしているようだ。

試合でガッツポーズする福田詩織 提供:本人

リューと同様に4年目となる2020年がコロナイヤーとなったことから、新ルールを活用しペッパーダイン大学院に入学。「全米一しんどいトレーニングだった」と振り返る部活では、過呼吸になるほど心身共に追い込みをかけ今大会に臨んでいた。しかし結果は無念の1回戦負け、福田のプロへの夢は断たれてしまった。

だが、テニスの神様が見ていたのだろうか。アメリカに渡る時に誓った「テニスが終わっても世界で活躍する」という決意が報われるかのように、困難と言われるアメリカでの就職を内定させるオファーレターを引き寄せる。それも試合に敗れた当日に、だ。これには「ある意味、落ち込む暇もかった」とセカンドキャリアへの移行を決断。今では「アメリカで夢を追いかける子たちをサポートするファンドを立ち上げられるように頑張りたい」と新たな夢を掲げると同時に、「日本のテニス界を少しでもアメリカに近づけたい」と今後もテニスに携わる意向を示した。

日本の夏はジュニア大会や学生大会の全国大会で溢れかえるイメージだが、アメリカは6月から8月と夏休みに入り部活動や大会は一切ない。すべて個人に任せたセルフトレーニングの期間に入り、ITFツアーに挑戦する選手もいるという。日本とシステムやルールが違う一方で、留学した日本選手たちは異国の環境を活用し、力を伸ばすことに精進していた。そして「スーパー民主主義」で成り立つ大国では、やはり「自分自身の意見をはっきり持つことが大切」だと各選手の口からよく聞かれるものだった。

◆小田凱人がプロ宣言、「人生を懸けたい」と見据える地平線の向こう

◆小さな巨人・西岡良仁がつかんだ「負けないテニス」からの復調

◆「全日本の魔物」を克服した清水悠太、初優勝への道程

著者プロフィール

久見香奈恵●元プロ・テニス・プレーヤー、日本テニス協会 広報委員

1987年京都府生まれ。10歳の時からテニスを始め、13歳でRSK全国選抜ジュニアテニス大会で全国初優勝を果たし、ワールドジュニア日本代表U14に選出される。園田学園高等学校を卒業後、2005年にプロ入り。国内外のプロツアーでITFシングルス3勝、ダブルス10勝、WTAダブルス1勝のタイトルを持つ。2015年には全日本選手権ダブルスで優勝し国内タイトルを獲得。2017年に現役を引退し、現在はテニス普及活動に尽力。22年よりアメリカ在住、国外から世界のテニス動向を届ける。