リゾートトラスト レディス4位、父の正利さんが明かす4歳からの歩み 国内女子ゴルフツアーのリゾートトラスト レディス(メイプルポイントGC)は29日、小祝さくら(ニトリ)の今季初優勝で終わった。ともに最終組で回った19歳のルーキー・桑木志帆…

リゾートトラスト レディス4位、父の正利さんが明かす4歳からの歩み

 国内女子ゴルフツアーのリゾートトラスト レディス(メイプルポイントGC)は29日、小祝さくら(ニトリ)の今季初優勝で終わった。ともに最終組で回った19歳のルーキー・桑木志帆(岡山御津CC)は3打差の4位。ツアー初優勝には届かなかったが、4日間とも60台のスコアで回るプレーでインパクトを残した。渋野日向子(サントリー)と同じ岡山市出身。ジュニア時代から「日向子ちゃん」と先輩を慕い、渋野の亡き恩人にも可愛がられていた。大会から一夜明けた30日、桑木の父・正利さんが取材に応じ、一人娘の歩みを語った。(取材・文=THE ANSWER編集部・柳田 通斉)

 18番パー5。桑木は最後のパットを沈めると、グリーン上でしゃがみこんだ。初めての大観衆。ホールアウト後には、帯同パットコーチの奥西桂耶氏に「頭が疲れました」と漏らした。

 18ホールを歩いて応援した64歳の父・正利さんは、娘の奮闘を喜んでいた。

「思いのほか、よくやってくれました。こういった場面を夢見て、長く一緒に歩んで来ましたが、こんなに早く最終日最終組を経験できるなんて驚きです。大変うれしいです」

 桑木は4歳からクラブを握った。正利さんに練習場へ連れて行かれ、ゴルフに興味を持ったのがきっかけだった。ボールを打つ日々が始まり、周囲がそのセンスを評価。小学生になった段階で、父子は「プロを目指す」の思いで一致した。正利さんは障害者施設の職員。施設の理事長(当時)からの理解で有休などが取れ、桑木の練習や遠征試合に付き添うことができたという。

「理事長には感謝してもしきれません。妻からは『プロなんて、そんな夢みたいなことを』と言われましたが、私は『今に見とれ』という思いでいました。娘も一生懸命で、学校から帰って練習に行くのが日課でした。スイングは大好きな宮里藍さんを参考にしました。そのうちに試合で優勝するようになり、妻も本気になって応援し始めました」

山陽放送・桑田茂社長の尽力「桑木をよろしく頼む、と」

 ジュニアゴルファー育成に理解のある地元の環境にも助けられた。決して経済的に恵まれてはいなかったが、岡山県内の安価でプレーできるゴルフ場で腕を磨いた。4学年上には渋野がいて、「日向子ちゃんのように」と憧れた。そして、高2の2019年夏、渋野が全英女子オープンを制し、その思いは強くなった。当時、渋野はRSK山陽放送の所属。同社の桑田茂社長は、渋野の高校時代から目をかけ、偉業の瞬間を現地で見届けたことも話題になった。

 正利さんによると、その頃から桑田社長は「岡山から次に来るのは桑木」と話していたという。

「娘は桑田社長にとてもかわいがっていただきました。ラウンドをご一緒した際も、地元企業の方々を紹介していただいたことで、プロテストに合格してすぐにたくさんのスポンサーが付きました。ツアーで使う移動の車も用意してもらっています。桑田社長が『桑木をよろしく頼む』と言っていただいていたお陰です」

 桑田さんは昨年4月9日、68歳で亡くなった。突然の別れだった。その2か月後の同6月、桑木はプロテスト一発合格を果たした。同12月には、ツアー最終予選会(QT)を13位。今季前半の出場権をつかみ、13戦目のリゾートトラスト レディスで初のトップ10入りを果たした。暫定リランキングは30位から13位に浮上。後半戦出場権も視野に入れた。「岡山から渋野の次に来る」。その言葉通り、順調に歩みを進めている。

 ただ、今大会では8番パー3のボギー以降、バーディーが決められなかったことに悔いが残った。奥西コーチは「8番は上って下って上るロングパットで、インパクトの直前に少しの緩みがあり、ショートしました。残り2メートルのパットもラインに不安を持ちながら、『決めたい』という思いで打って右に外してしまいました」と指摘。その上で「何よりこの緊張感を経験したことが大きいです。今後は重圧の中で、どれだけ安定したストローク、ライン読みをできるかが課題ですが、成長は著しいです。さらにご期待ください」と話している。

 桑木自身も日々、暗くなるまでパット練習を繰り返している。スマートフォンの光を頼りに練習を延長することもある。そして、大会中の会見では「同期合格者の中で一番早く優勝したいです」と野望を口にした。初めての優勝争いで負けはしたが、収穫大の4位。次の機会こそ野望を果たし、桑田さんの墓前に報告するつもりだ。(THE ANSWER編集部・柳田 通斉 / Michinari Yanagida)