フードファイターMAX鈴木インタビュー前編2015年の「元祖!大食い王決定戦」(テレビ東京系列)で初出場・初優勝を果たし…
フードファイターMAX鈴木インタビュー前編
2015年の「元祖!大食い王決定戦」(テレビ東京系列)で初出場・初優勝を果たし、その後、2017年、2020年の同大会でもチャンピオンに輝くなど、日本の大食い界のトップに君臨するMAX鈴木さん。大食いデビューは30代半ばと遅咲きだが、それ以前の彼の人生は波乱万丈だった。日本最強のフードファイターが自らの半生を赤裸々に振り返るとともに、アスリートとしての大食いの秘訣やトレーニング方法なども語った。

現役最強のフードファイターであるMAX鈴木さん
借金で家賃も払えずヒモ生活
ーー2015年の「元祖!大食い王決定戦」で突如登場し、いきなり優勝を飾っています。放送当時は35歳で、それまでは大食いの自覚がなかったのですか?
MAX鈴木 番組に応募したのは34歳の時ですが、まったくなかったんです。でも父親が大食いのファンで、大食い王決定戦の番組はよく見ていました。当時、大食いアイドルのもえあずちゃん(もえのあずき)の大ファンで、彼女が水道橋(東京)近くにあった「俺とあぶら」という油そばの店のデカ盛りのチャレンジメニューに挑戦したと、ブログに載せていました。それをたまたま見て、俺もやってみようと思ったんです。
ーーそれまで大食いにチャレンジしてみようと思ったことは?
MAX鈴木 ゼロですね。一回も思ったことはありません。それまで自分で一番食べたなというのは、吉野家の牛丼の並盛2杯ぐらい。その程度です。だから、もえあずちゃんにキュンキュンしてしまったことがきっかけです(笑)。実際、店に行った一番の目的は彼女のサインを見ることで、チャレンジメニューはおまけでした。でも、いざ挑戦してみると、意外に食べられるなぁと。700gの特盛の油そば4杯を30分以内に食べられれば料金無料、プラス賞金5000円というチャレンジでしたが、クリアできました。
ーー当時はどんな仕事をしていたんですか?
MAX鈴木 僕はずっと水商売をやっていましたが、パチンコで借金が膨らみ、数百万円あったんです。それこそ消費者金融からガンガンお金を借りて、家賃も払えなくて女の子の家に転がり込む。そんなクズのような生活をずっと送っていました(笑)。
水商売をし始めたきっかけもギャグの世界ですよ。大学を中退して、新宿の淀橋にある青果市場で運送の仕事をしていた時に、パチンコで負けに負けて、消費者金融の借金がフルマックスになって、金利も払えなくなりました。それで、もう人生が詰んだと思い、路上にへたり込んでいて。パッと顔を上げたら「高収入! キャバクラボーイ募集、初任給25万円から」といった貼り紙を見つけました。そのまま電話して、「すぐ働きたいんですけど」って言って、そのまま働き始めました。
15歳で味わった挫折と悲観的な人生
ーー「大食い王決定戦」に出場したきっかけは?
MAX鈴木 油ソバのチャレンジをした頃は、キャバクラとガールズバーの仕事を卒業して、たまたま昼間の仕事をしていました。冷凍・冷蔵機器を販売する営業職だったのですが、それが自分には全然合わなくて(笑)。つまんねえなぁと思っている時に、もえあずのブログを見て、軽いノリで挑戦したチャレンジメニューをクリアしたので、その勢いで「大食い王決定戦」にホームページから申し込みました。そしたら「予選に来てください」と返事が来たので、そのタイミングで昼間の仕事を辞めました。
ーー仕事を辞めたのは退路を断って、大食いの道で勝負してやろうという意気込みだったのですか?
MAX鈴木 そんなんじゃないです。もう単に仕事が合わないから(笑)。でも食べていかないといけないんで、またガールズバーでバイトを再開して、そして予選に出かけました。そしたら何か知らないけど勝ち上がって優勝したという感じですね。あそこで勝たなかったら、今の人生はなかった。当時はパチスロが唯一の救いで、ギャンブルに人生をすべてかけていました。今にして思えば、身を持ち崩しまでパチンコをやるなんて、もうギャンブル中毒以外の何ものでもなかったと思います。



ーーギャンブルと借金まみれの生活を35歳くらいまで送っていたんですね。
MAX鈴木 そうですね。僕はもともとオートレーサーになりたかったんです。父親もオートレーサーを目指していて、子どもの頃からよくオートレースに連れて行ってもらいました。それで、中学を卒業して高校に入学するタイミングでオートレース選手養成所の入所試験を受けようとしたのですが、当時は今よりも身長や体重の制限が厳しかったんです。僕は身長が基準(当時170cm)よりも高くて、試験すら受けられなかった。
もう15歳で目標や夢を持っても叶わないと思ってしまったんです。それからはもう腐った人生を送っていましたね。人の前に立つこともないし、目立つこともない。人から褒められることもなく、悲観的な考え方で、20年間くらい生きていました。
大食い王だけではない変わることができた理由
ーー大食いのトレーニングをほぼしていないにもかかわらず、初出場・初優勝できた理由は何だと思いますか?
MAX鈴木 油そばのチャレンジメニューをクリアした時に、「お兄さんすごいね。おめでとう」と褒められて、賞金までもらえました。その時、「何これ!」ってビックリしたんです。人生でそんな経験がなかったので、快感でしたよ。
その後、ちょっとずつ量を増やして、いろんなチャレンジメニューに行きました。油そばの次はステーキ、次は餃子、その次はラーメン、カレーライスという感じで、その先に大会がありました。だから自然にいい調整ができました。タイミングが本当によかったと思います。
ーー大会で優勝してから人生が上向きになったという感じですか?
MAX鈴木 いや、上向きになったのは嫁さんとの出会いです。チャンピオンになった次の2016年(大食い王決定戦)はタマゴ1個の差で負けて2位でしたが、その時に嫁さんに逆プロポーズされて、36歳で結婚しました。
でも、その頃はまったくお金がありませんでした。水商売のバイト代が月5万円くらい。2016年に負けて腐って、また昔の自分に戻りかけていました。バイトをズル休みしたりもして、月3万の時も。結婚しているのに収入がほとんどなかった。にもかかわらず、2017年の大会に出場するためにトレーニングをしたいと嫁さんに言ったんです。トレーニングすると3カ月くらい仕事ができなくなります。それくらい突き詰めてやらなきゃ勝てないんです。
それでもいいかと聞いたら、「今回もし優勝できなかったら、大食いをやめると約束できるんだったらいいよ」と言われました。それで死にもの狂いで挑んで、優勝することができました。それが僕にとってターニングポイントでしたね。


知られざる大食いトレーニングの世界
ーーその3カ月間、どういうトレーニングをしたのですか?
MAX鈴木 高田馬場に「表裏」という、辛いラーメンと唐揚げが有名なお店があります。そこで働いている方で、アニキと呼んでいる松下さんという恩人がいるんです。大食いの友だちの大畑花蓮ちゃんに紹介してもらったのですが、そのアニキにトレーナーになってもらい、トレーニングを重ねました。筋トレとかランニングはしないです。簡単に言うと、アニキの指示に従って食べて、試合用の胃袋をつくり上げるというものです。
たとえば、制限時間を1時間として、ラーメン10杯とかカレー8kgとかを食べるとすると、15分ごとに体重を計り、食べる様子を全部動画に撮る。その時にわかったことをメモし、動画を見ながら反省ポイントをあげて、復習を繰り返す。そして、次のトレーニングにつなげるという作業をしました。それを今も続けています。
ーー15分ごとに体重を計ることに、どういう意味があるのですか?
MAX鈴木 毎日、食べる量と時間を決めることで、胃袋に何キロ詰め込められるのかが正確にわかってくるんです。たとえばですが、30分間で7kgを食べようとすると、固形物が5キロで水分が2kgという具合にデータが取れます。詳細は秘密なのですが、アニキと二人三脚でトレーニングというか実験を繰り返し、胃袋をつくり上げるノウハウを3年くらいかけて習得しました。
一口に大食いと言っても、大食い、早食い、早大食いという種類があります。それぞれで胃にかかる負荷が全然違うんです。一番ラクなのは大食いで、キツイのは早大食い。ビニール袋にいきなりバッと空気を入れると破れるじゃないですか。ゆっくりとちょっとずつ入れると、ビニール袋は広がっていきますよね。それがトレーニングのヒントです。
インタビュー後編につづく
撮影協力/「豚大学 神保町校舎」
【プロフィール】
MAX鈴木 まっくす・すずき
フードファイター。本名は鈴木隆将。1980年、東京都生まれ。2015年の「元祖!大食い王決定戦」(テレビ東京系列)で初めて大食いの大会に出場し、いきなり完全優勝を果たす。その後、2017年、2020年の同大会でも優勝したほか、2018年の「全日本わんこそば選手権」では大会新記録632杯を達成。2018年、2019年には「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権」に出場して、それぞれ決勝7位、決勝5位の記録を残す。自身のYouTubeチャンネル「MaxSuzuki TV」は70万近くの登録者数がいる人気ぶり。