またひとり、記憶に深く残るレーサーがバンクを去った。萩原操(三重51期)。5月16日付けで、登録消除になった。それ以前から引退は発表していたが、それでも実際に登録消除を目にすると、寂しさがつのってしまう。まだまだ現役で戦えると思っていたファ…
またひとり、記憶に深く残るレーサーがバンクを去った。萩原操(三重51期)。5月16日付けで、登録消除になった。それ以前から引退は発表していたが、それでも実際に登録消除を目にすると、寂しさがつのってしまう。まだまだ現役で戦えると思っていたファンは、筆者だけではなかろう。多くのファンが引退を惜しんだ。
史上初となる50歳代でのS級優勝も萩原だった。2014年7月に松阪で達成しており、当時のS級最年長優勝記録も更新した。2018年にはA級に陥落したが、アグレッシブな走りは健在だった。その後、S級にカムバックしたが、2020年1月から再び、戦いの場はA級戦へ。そして、同年6月に四日市でA級1・2班戦を優勝。56歳10カ月での快挙も史上初となった。2021年11月には小松島でS級勝利を挙げ、最高齢でのS級勝ち星の記録(58歳3カ月)も作った。だが今年に入り、思うようなパフォーマンスができなくなり、2月から欠場していた。そして、引退を決めた。
力の衰えを隠せずスパッと辞める選手もいれば、競輪が好きだから、過去の栄光にはとらわれず、一番下のランクに落ちても走り続ける選手もいる。どちらがいいのではなく、引き際は、人それぞれだ。ただ、萩原の場合は、58歳にしてS級。S級では力の衰えを感じただろうが、この歳までS級で走っていること自体が、ミラクルだと思う。A級に落ちても、まだまだ走れると思うのだが、引退という決断こそ、萩原の美学だったのであろう。特別競輪でのタイトルはない。決勝戦には何度か進んでいるが、縁がなかった。
正直なところ、萩原には何度も車券で儲けさせてもらった。主に特別競輪の一般戦や、F1開催で勝ち上がれなかった時など、2日目、3日目といったレースで、ラインがなく単騎の時が狙い目だった。点数上位の相手でも、一発の捲りが魅力的で、いくらなんでも、このメンバーで捲りはないだろうと思っている時こそ、萩原の出番。もちろん、不発の時も多かったが、それでも何回かに1回は決まる捲りを、追い続けていた。決まれば高配当だったため、十分に元が取れただけでなく、お釣りがきた。
知り合いの競輪通の話によれば、人間的にも魅力的で、後輩からの人望も厚かったそうだ。メディアに対しても、愛想が良かったらしく、萩原のファンはメディアの人間にも相当いたらしい。
区切りの400勝まで残り7勝での引退も、萩原らしいと言えばらしい。A級で400勝を達成することに、違和感を覚えていたかもしれない。潔い引き際といえば格好いいが、筆者はもう少し頑張ってもらいたかった。A級でも、値千金の捲りを見てみたかったし、やはり、追い続けていたことだろう。
皆に愛された、萩原操。記憶に残る選手は何人もいるが、その中でも萩原が一番上かもしれない。
Text/Norikazu Iwai
Photo/Perfecta Navi編集部
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