2000年代のレアル・マドリードで、175cmと決して大きいとは言えない体躯ながら、チームにとって欠かせないピース…

 2000年代のレアル・マドリードで、175cmと決して大きいとは言えない体躯ながら、チームにとって欠かせないピースとして存在感を放ったミチェル・サルガド。右サイドでルイス・フィーゴとコンビを組み、左サイドのジネディーヌ・ジダン、ロベルト・カルロスに引けを取らない攻撃ユニットを形成した。さらにスペイン代表でも、強固な守備で無敵艦隊の一翼を担い、シャビやアンドレス・イニエスタなど後に黄金期を築くメンバーを支えた。



ジダンやフィーゴと共に銀河系軍団で活躍したサルガド(右)photo by Getty Images 輝かしい選手生活を終え、現在FIFAの大使を務めるサルガドが、世界各地で活動する「レジェンドチーム」のキャプテンとしてゴールデンウィーク中に来日。神奈川県・海老名市で開催された、株式会社ワカタケが主催する「レジェンドクリニック」で、3日間にわたって約100人の子供たちを熱心に指導した。

 指導中は、ファーストタッチの大切さやスペースを広く使うことの重要性、パスの強度、オフ・ザ・ボールの質など、身振り手振りを交えて子供たちに自らの経験を還元していた。そんな熱血指導を終えたサルガドに、自身の現役時代や古巣レアル・マドリードの現状、レジェンドチームの活動と指導者への想いを聞いた。



レジェンドクリニックでは子供たちに熱心に指導 photo by Kurita Simei***

──サルガドさんは現在、世界中で1500人以上の子供たちの指導をしていますが、日本の子供たちを見てどう感じましたか?

「個々の技術は高いものがありますが、サッカーのセオリーや基本をもっと学ぶ必要があると感じています。特に、スペースの活かし方。ボールを受ける際に人と人との距離が近すぎるため、スペースをいかに見つけるかに重点を置いて指導しました。子供たちの学ぼうとする姿勢は素晴らしく、私自身も高いモチベーションで臨めました」

──今回、レジェンドチームとして日本で初めての活動となりました。今後の日本との関わりについてはどのように考えていますか。

「今回が1回目ということで、いい経験となったと思っています。私がアカデミーに関わる理由としては、自分の経験を世界中の子供たちに伝えたいということが根底にあります。それに同意してくれる『レジェンド』たちにも協力を求めて活動を広めていきたいです。現代のフットボール界は、国境の壁がどんどん低くなっている。いい選手がいれば(レジェンドチームの活動の中心となっている)ドバイやスペインに連れていき、クラブとつなぐ可能性もあります」

──今回のクリニックではジダンを引き合いに出して指導する場面もありましたが、そのジダン監督が率いるレアル・マドリードは、2シーズン連続でCL決勝進出を果たすなど、充実期に入っているように感じます。

「確かに、今のレアルは質の高いパフォーマンスを存分に発揮していて、欧州の舞台で充実期に入っていると思います。しかし、レアルは欧州だけでなく、スペインのリーグタイトルを義務づけられたクラブです。近年では、国内リーグではバルセロナに水を開けられています。仮にCLを獲っても、リーグタイトルを逃せばいいシーズンとは言えないでしょうね」

──ジダン監督の就任後、チーム力は上昇したように感じますが。

「ジダンだからできることはたくさんあります。例えば、ベンチの雰囲気。レアルの選手は個性が強く、まとめるのはどんな監督でも一筋縄ではいきません。ただ、ジダンのように名声とカリスマ性がある若い監督なら、選手たちがリスペクトを込めて慕う。ベニテス前監督の解任が予想以上に早く、クラブとしてもジダン監督就任のプランが早まった形でしたが、今のところ成功を収めているといえます。カリスマ性で選手をけん引し、ロッカールームの雰囲気が格段によくなったことも、いい結果を残せている要因だと思います」

──現役時代、ジダンが名将になるという予感はありましたか?

「それはなかったですね。性格的にも、積極的に『指導者になりたい』というタイプではなかった。そういう意味では、少し驚きもあります」

──ジダンとは別の形でサルガドさんも指導に携わっていますが、そのレジェンドチームの一員でもあるフィーゴとは、レアル時代にどんなやりとりをしましたか?

「フィーゴはピッチの中でも外でも非常に強い個性を持った、まさにスーパースターでした。始めのうちは合わせるのが大変で(笑)。私も攻撃が好きなサイドバックだったこともあり、いいタイミングでオーバーラップを試みるんですが、まったくパスが来ない。正直、フラストレーションもありましたよ。

 でも、何度か言い合いをしていくうちに信頼関係を築けたことで連携が深まりました。フィーゴはある意味でドライな男ですが、意見をぶつけ合ったことで壁がなくなった。今でもいい友人のひとりですね」

──レアルとスペイン代表では求められる役割が違ったのでしょうか?

「レアルは個が強い、まさにギャラクティコといえる集団。ワイドに広いサッカーを展開するのがクラブとしての考え方でした。一方で、スペイン代表ではよりコンパクトな組織で戦う色が強かった。当然サイドバックに求められる要素も異なりましたね。左サイドのバランスもありましたが、レアルではより守備的に、スペイン代表では少し攻撃的にという意識でプレーしていました」

──長い選手生活の中で、最も印象に残っている試合は?

「2つあります。どちらもトヨタカップの試合で、2000年のボカ(・ジュニアーズ)戦と2002年のオリンピア戦です」

──正直、意外な選択でした。

「2000年は、たまたま成田に着いた日に渋滞に巻き込まれてしまい、ホテルまで約3時間半かかりました。そんな経験はなかったので驚きましたよ。試合は1-2でボカに負けたんですが、今思うと、あの到着の時点からすでに勝負に負けていたのかもしれない(笑)。

 2002年は、レアル・マドリードに入団して初めて世界一になることができました。私の中で世界一への想いは強かったですし、2000年で悔しさを味わった分、2002年に同じ舞台で世界一になれた喜びは大きかったですね。この2つの試合があったから、東京という街を好きになることができました」

──クラブ、代表での経験が豊富なサルガドさんですが、今後、監督としてピッチに戻る道は考えているのでしょうか?

「今はアカデミーで子供たちを指導することが楽しくて仕方がない。ただ、人生は巡り合わせの連続だと考えています。この先さまざまな活動をする中で、そういうタイミングがあったら監督を目指す可能性もあるでしょう」

──その場合は故郷であるセルタでしょうか、それともレアルですか?

「私には『心のクラブ』が2つあります。それは、生まれ故郷にあるセルタと、たくさんの経験を積ませてもらったレアル。どちらも家族のようなもので優劣はつけられません。実際に、去年のMIC(地中海地域で行なわれる、世界最大級のジュニアサッカー国際大会)では、レアルにもセルタにも選手を連れていきましたしね」

──最後に、Jリーグで指揮をとることに興味は持っていますか?

「繰り返しになりますが、インターネットの普及などでどの国にもスポットライトが当たるようになり、サッカーは非常にオープンなスポーツになっている。アジア諸国はもちろん、どの国のクラブにも世界に認知されるチャンスが出てくる時代に突入しています。私も常に扉を開いていますし、チャンスや巡り合わせがあれば日本のクラブで指揮をとることも考えたいです」