期待のルーキー。左から一丸尚伍、小泉夢菜、又多風緑 この4月から、競輪という熾烈なプロの世界に、ルーキーたちが戦いを挑み始めた。最初の腕試しとなったのが、全4戦からなるルーキーシリーズ。今年3月に日本競輪選手養成所を卒業した121期生の男子…





期待のルーキー。左から一丸尚伍、小泉夢菜、又多風緑

 この4月から、競輪という熾烈なプロの世界に、ルーキーたちが戦いを挑み始めた。最初の腕試しとなったのが、全4戦からなるルーキーシリーズ。今年3月に日本競輪選手養成所を卒業した121期生の男子選手、122期生の女子選手が、4月30日~5月2日の松戸競輪場、5月7~9日の松山競輪場でのレースをすでに終えている。残りは5月27日からの四日市競輪と、6月11日からの大宮競輪の2レース。今回は、第2戦までのレースのなかから光を放った選手と、将来有望な3選手を紹介する。



「埼玉ポーズ」で優勝の喜びを表現する、埼玉県出身の小泉夢菜

ルーキーシリーズ2連勝
小泉夢菜

 5月9日、松山競輪場で行なわれたルーキーシリーズ第2戦の決勝で、抜群の追走技術で優勝を飾ったのが、小泉夢菜 (埼玉)だった。これでルーキーシリーズ2連勝。彼女の勝負強さが存分に発揮された結果となっている。

 小学6年生から自転車競技を始めた小泉。本格的に自転車を学ぶために選んだのが、地元の工業高校だった。周りは男子選手ばかりで女子は1人だけ。そこでの練習が現在のレース運びにつながっている。

「男子選手についていかないと、後でひとりで走るほうがきつくなってしまうので、いかについていけるかを考えて走っていたら、今の持ち味である追走技術を養うことができたのかなと思っています」

 小泉は男子選手についていくことで、どこが風を受けない位置なのか、最後に力を残しておくために、どこで休むべきなのかを学んでいった。ギリギリまで車間を詰める走行も、この時に身につけたものだ。

 高校1年時には育成選手として日本代表に選出され、海外遠征も経験。在学時代は「勝って当たり前の意識があった」というほど、ほぼ負けなしの成績で、卒業後はそのまま競輪学校(現日本競輪選手養成所)に行く予定にしていた。しかし高校3年時に経験した1カ月に渡るスイス遠征で、意識が180度変わる。

「その時にできた(海外の)友達が、『自分は家族のために自転車に乗って働いているんだ』と話をしていて、まだまだ自分は何も知らない、海外は全然違うと思いました」

 これを機に大学進学に変更。より広い視野を持つために、さまざまなスポーツ部を持つ早稲田大学で自転車競技を行なうことにした。しかしここで大きな試練にぶち当たる。

「高校の頃は、監督が練習内容を考えて、それについていくだけだったんですけど、早稲田の自転車部は自分で考えることが基本だったので、何をやったらいいんだろうとわからなくなってしまいました。それに一人暮らしになったんですが、今まで家事を何もしたことがなくて、ご飯も作るのが苦手だったので、栄養をしっかり摂れず、成績も落ちてしまいました」

 大学1年時はまったく結果が出ず、気持ちも沈みがちだった。そんな小泉を見て、自転車部のマネージャーが親身になって相談に乗ってくれ、家でご飯を作ってくれたり、練習のサポートをしてくれたりした。そのおかげで、少しずつ気持ちが前向きになり、「自転車に対する気持ちがより強くなった」。自ら練習プランを組み、調子が上がらない時には、どう対処すべきかという修正力を身につけることができた。

 そして2年時には、学生選手権500mタイムトライアルで1位、インカレでも同種目で1位を獲得するまでにカムバックした。

 もともと持っていたポテンシャルの高さに加え、大学時代にこの修正力を養えたことが、競輪選手となった今、生かされている。

 さらなる高みを目指してより一層の努力を誓う小泉だが、「これから競輪選手として、勝てなくなってしまっても、自分で修正する力を大学で身に着けることができたから、大丈夫かなと思います」ときっぱり。その表情は自信に満ち溢れていた。



世界大会でも実績を残してきた一丸尚伍

笑顔に隠された想い
一丸尚伍

 ルーキーシリーズの第1戦を制した一丸尚伍 (大分)は、レース後、満面の笑みを湛えていた。

 30歳で競輪デビューを飾った一丸は、ここまで波乱万丈の自転車人生を送ってきた。中学3年の時、本場フランスで見たツール・ド・フランスに感動し、高校で自転車競技部に入るも、2年時に死の淵に足を掛けるほどの大病を患ってしまう。

 それでも見事、自転車競技に復帰し、意気揚々と大学に進学するも、入学した4月に自転車競技部が交通事故を起こしたことで活動停止に。そこから何とか社会人チームを見つけて競技を続け、その後、チームブリヂストンサイクリング、シマノレーシングで活躍した。

 東京五輪に出場するために、ナショナルチームで実績を積むが、彼が力を入れていた種目が強化種目から外れ、その夢を断念せざるを得なかった。大きな喪失感のなかでも、前を向いて競技を続け、日本競輪選手養成所を経て、今に至る。

 逆境をはねのけ、不屈の精神で自転車競技を続けてきた一丸を表現する時、これらのエピソードだけでは足りない。彼の柔和な笑顔と語り口、漂う雰囲気を知ってもらうためには、祖父とのエピソードを紹介する必要がある。

 小学2年の時に、祖父の誘いで自転車を始めた一丸。最初は「走った後にジュースを買ってもらえるので、それを目当てに一緒に練習に行っていた」という。時間は、「近所の山を登って帰ってくる感じなので、1時間くらいだった」そうだ。

 もともと競輪選手を目指していた祖父。しかし「親が賛成しなかったのもあって、サラリーマンをやりながら、競技をしていて、国体にも出ていた」。83歳になるまでロード自転車に乗るほどのバイタリティの持ち主で、その実力も「相当なものだった」と一丸は言う。

 祖父と一丸の練習は中学になっても続き、祖父は夕方、車に自転車を積んで学校の門で待ち、そのまま一丸を乗せ、競輪場に連れて行った。一丸も、「それが当たり前だったので、あまり何も考えず、毎日やっていたと思います」と苦に思っていなかった。

 一丸は高校から親元を離れ、自転車競技を本格的に始めるが、祖父とは連絡を取り続けていた。大学時代も、社会人になってからも、それは変わらなかった。実家の近所に住む祖父の家にも頻繁に足を運んでいた。

 そして一丸は結婚し、子供が生まれることもあって、「お金が必要になってくるので、競輪(選手で稼ぐこと)を考え始めた」。日本競輪選手養成所に入ることを祖父に伝えると、ことのほか喜んでくれた。

 そして養成所に入っている時、祖父が現役時代から愛用していた名機「メカニコ・ジロ」の新フレームをプレゼントしてくれた。「もらってからずっとこれに乗っていて、この自転車でデビュー戦を走ると決めていた」と一丸は卒業後のレースを心待ちにしていた。

 しかし祖父は、一丸が養成所に入っている間にくも膜下出血で倒れてしまう。現在も入院中で「卒業した時にはあまり話はできなかった」そうだ。

 ルーキーシリーズ第1戦の勝利を振り返り、「祖父も乗っていたメーカーのフレームで勝てたというのは、やっぱりうれしかったですね。祖父も少しは元気になってくれるかな」と語った一丸。レース後の笑顔の裏には、そんなストーリーが隠されていた。

 祖父が叶えられなかった競輪選手として活躍できることになった一丸。祖父の想いを背負い、そして祖父の回復を祈り、これからも彼は勝利を目指し続ける。



日本競輪選手養成所 、卒業記念レースで準優勝した又多風緑

在所成績ダントツ1位
又多風緑

 日本競輪選手養成所で実施された45レースのうち1着が37回と、圧倒的な強さを見せて今年3月に卒業した、又多風緑(まただ・ふつか /石川)。入所時に掲げた在所成績1位の目標を、見事成し遂げてみせた。

 小学4年から陸上短距離選手として活躍し、中学1年時にはジュニアオリンピックにも出場するなど、高い運動能力に加え、身体能力にも恵まれていた又多。将来を考え始めた中学3年生の時に、父親から掛けられた何気ないひと言で人生が大きく変わる。

「その太ももを生かして競輪をやってみれば? スタバ、毎日飲めるくらい稼げるよ」

 地元のスターバックスが大好きで、頻繁に足を運んでいたこともあり、父親からのその言葉は心に響いた。競輪選手になる動機は本当に些細なことではあったが、そこから彼女は自転車競技にのめり込む。

 高校はスポーツコースに進んだこともあって陸上部に所属することになったが、競輪選手になりたいという夢をかなえるために、自転車部の創部を学校側に持ち掛けて実現。たったひとりでの活動となったが、陸上と競輪の二刀流の日々が始まった。

「朝4時30分に起きて、30分かけて自転車競技場に行き、1時間練習しました。それから学校に行って、午後は陸上部で走っていました」

 多忙を極めた毎日で、「本当に大変だった」と本人は振り返るが、「一度決めたら、それを成し遂げるまでやり切る」というまっすぐな性格が、その生活から逃げることを許さなかった。

 その努力の日々のおかげで、高校2年のインターハイで500mタイムトライアル11位、高校3年の高校総体代替大会で優勝を飾ることができた。

 高校卒業後に入った競輪選手養成所でもその努力の姿勢は揺るがず、他を寄せ付けない成績を残した。そして今年、彼女はいよいよ念願だった競輪界に足を踏み入れている。

「最終的には先行(※)でガールズグランプリを獲りたいです」と語る又多。これまで積み重ねてきた努力と、持ち前の強い意志力があれば、その目標は十分に可能だろう。新たなステージに挑み始めた彼女の走りに注目していきたい。
※3~4人程度で作る小集団「ライン」の先頭を走る選手