ケンドーコバヤシ令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(3)前編(連載第2回:前田日明VS藤波辰巳の大流血戦で「受けの美学」を理解した>>) 子供の頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してきたケンドーコバヤシさんが、…

ケンドーコバヤシ
令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(3)前編

(連載第2回:前田日明VS藤波辰巳の大流血戦で「受けの美学」を理解した>>)

 子供の頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してきたケンドーコバヤシさんが、独自の目線で名勝負を語り尽くす連載。第3回は、藤波辰巳vs前田日明に劣らない、大流血戦から生まれた因縁の一戦を振り返った。



因縁が生まれた、1986年6月の渕(左)と斎藤の流血戦

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――令和に語り継ぎたいプロレス名勝負の3試合目は、どの一戦でしょうか?

「今回は、1986年8月16日に後楽園ホールで行なわれたPWF認定世界ジュニア戦、ヒロ斎藤vs渕正信です。試合は渕さんの反則負けで終わるんですが、その前段となる試合で、前回に紹介した藤波辰巳vs前田日明に負けず劣らずの流血沙汰があったんですよ」

――その前段の試合は同年6月12日の、日本武道館での試合ですね。全日本プロレスで新設された「世界ジュニアヘビー王座」の王者決定トーナメント進出者を決める、日本代表決定リーグ戦で両者は激突しました。

「試合の途中、斎藤さんのイス攻撃で渕さんの耳が切れて大流血するんですよね。結果は、ジャーマンスープレックスで斎藤さんが勝って、のちに初代世界ジュニアチャンピオンになる。そうして迎えた初防衛戦で、渕さんの挑戦を受けたんです」

――当時、ケンコバさんにとって渕さんはどんなレスラーでしたか?

「テクニシャンだけど"地味なレスラー"という印象で、シューズの長さがミドル丈というか、少し短いのが気になっていました。当時は、アントニオ猪木さんのようにスネをしっかり守れるくらいまでの長いシューズが主流でしたし、渕さんのシューズは『弁慶の泣きどころが丸出しやな』と思ってましたね」

――肌の白さも印象的でした。

「美白ですよね(笑)。今となっては、美白を保っているということも評価されるべきなんやろうけど、当時のレスラーが日焼けして逞しく見えるなかで、あの美白は......何とも言えないものがありました」

渕が耳を指差しアピール

――ただ、当時の全日本プロレスの日本人選手は、総じて白かったような......。

「天龍源一郎さんもそうでしたね。天龍革命以降の記憶が強く残ってる人は浅黒い印象があると思うんですけど、ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さんに続く『第三の男』と言われていた時代は真っ白でしたから。あれは何やったんですかね? 馬場さんのイズムなのか......。

 もしかしたら、馬場さんが全選手に『会場の外を裸でうろうろするな』って言ってたのかもしれませんね。新日本プロレスの選手は、特に地方の大会では、会場の外で日なたぼっこしていた選手が多かった。でも全日本では、そういう行為が禁止になっていたのかもしれない」

―― 一方、ヒロ斎藤さんの印象はどうでしたか?

「俺が最初に斎藤さんを見たのは『ワールドプロレスリング』でした。カナダで高野俊二が頑張っている、といった映像が流れるなかで、『カナダではこんな試合もあります』とヒロ斎藤vs髙田伸彦(現・延彦)の試合が流れたんです。それを見た時に『海外で日本人同士が戦ってるんや』と、軽いカルチャーショックを受けたことを覚えています」

――1983年12月19日にカナダのバンクーバーで対戦していますね。当時、斎藤さんはカナダ地区での武者修業中で、そこに猪木さん、藤波さん、若手のホープだった髙田さんも参戦。髙田さんと斎藤さんは20分1本勝負で対戦しました。

「年末にはテレビ朝日で録画の映像も流れていましたけど、斎藤さんは上田馬之助さんみたいにロン毛の金髪になっていた。当時からセントーンをやっていて、『やけに試合を盛り上げる人やな』と脳裏に刻み込まれました」

――そんな2人(渕と斎藤)が、武道館を経て後楽園ホールで再戦する流れになりました。

「なぜ後楽園のほうの試合が好きかというと、武道館の試合で渕さんが斎藤さんに耳を切られた因縁があったからなんです。渕さんは試合中、ナックルパートを決めたあととか、ロープブレイクってなった時とかに、『耳の傷の恨み、覚えてるぞ』とアピールするようにやたらと耳を指差すんです。

 そこで普通なら会場が盛り上がるはずなのに、お客さんは反応しなかった。中学生だった俺は、『もしかしたらお客さんは、渕がヒロに耳を切られたことを知らん、もしくは忘れてるんちゃうか?』と思ったんです。それが、いい勉強になったというか......"やった側"や"見ていた側"は忘れてるけど、"やられた側"は覚えているという。『やられた本人しかわからない悔しさがある』と教えてくれた一戦だったんです」

――そんなことを学んだ試合だったんですね。

「しかも、試合の結末もよかった。渕さんがバックドロップにいこうとした時に斎藤さんお得意の金的蹴りが入って、なぜかレフェリーも吹っ飛んで試合を制御できない状態に。当時の全日本でよくあった"不透明決着"で斎藤さんの反則負けかなと思ったら、そのあとに今度は渕さんがレフェリーを突き飛ばして、イスで斎藤さんをボコボコに。この時、あらためて耳を指差すんですよ。『俺は忘れてねぇぞ』って。

 最後はレフェリー不在のリングでゴングが鳴らされたんですが、耳のアピールをやめなかった渕さんの姿を見て『男には、ベルトより大事なものがある』ということも教えらました。それは我々芸人にも通じますよ。M-1グランプリで苦しんでいる若手に、あの試合を見せてやりたい。『タイトルより大事なものがあるんやぞ』って。悩める一般の方にも、あの試合を見て同じ気持ちになってほしいですが......今、あの試合の映像を掘り起こすのは難しいですかね(笑)」

(後編:斎藤と渕の因縁に重ね合わせた、上京後の千原ジュニアに抱いた悔しさ>>)