(C)Getty Images エンゼルス・大谷翔平がついにメジャー通算100号本塁打を放った。14日(日本時間15日)…

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 エンゼルス・大谷翔平がついにメジャー通算100号本塁打を放った。14日(日本時間15日)のアスレチックスとのダブルヘッダー第2試合、左中間へ今季7号となる2ランを運んだ。

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 日本人大リーガーの100号大台到達は3人目。ただし、そのペースを比較すると大谷の驚異的なスピードが浮き上がる。マリナーズなどで活躍したイチローは12年目に1851試合、8510打席で到達。アベレージヒッターであるイチローとの比較はあまり適当ではないが、同じく長距離砲だった松井秀喜とも差が如実に出た。松井は5年目、636試合、2710打席で100号。対する大谷は年数こそ同じ5年目ながら、444試合、1757打席での到達と、日本人最速記録を大きく更新した。

 イチローはメジャーでは最終的に117本塁打。松井は175本塁打を放った。もっとも大谷がこの数字を超えていくことは、時間の問題にすぎないのは誰の目にも明らかだろう。

 そして、本場・米国の本塁打王たちと比較しても、全く遜色のないスピード到達であることに驚きはさらに増す。

 通算本塁打数で見ると、メジャー歴代最多はバリー・ボンズの762本塁打。次いでハンク・アーロンの755本塁打、ベーブ・ルースの714本塁打、アレックス・ロドリゲスの696本塁打と続く。この上位4人のスラッガーと比較しても、大谷の到達ペースの方が速かったのだ。

 100号までボンズは640試合、アーロンは538試合、ルースは529試合、A・ロッドは470試合を要した。前述したように大谷の444試合はこれを大きく上回るスピード到達。歴代5位の681本塁打している元同僚のアルバート・プホルスの415試合には、わずかに及ばなかった。


 もっともこれには理由もある。まずボンズだが、若いうちはスリムな体型でスピードをうりとした走攻守3拍子そろったタイプ。毎年、本塁打数よりも盗塁数の方が多かった。本塁打は20~30本前後で、その1・5倍近く走っていた。量産態勢を迎えたのはステロイド全盛となっていった晩年から。100号打つあたりではアーチストではなかった。

 アーロンは42歳まで息の長い活躍をしたが、やはり若い頃は二塁打数が多く、俊足な中距離ヒッターだった。20年連続100安打以上を重ね、通算3771安打とコンタクトヒッターでもあり、デビュー当初は長距離砲というイメージはなかった。

 ルースの若い時代は野球が違った。ボールなど道具も異なり、本塁打はなかなかでない時代だった。1918年、投打二刀流のルースが初めて本塁打王に輝いた際の本数はわずか11本だ。なによりデビューした1914年からしばらくはほぼ投手一本でプレーしていた。本格的に二刀流でプレーしたのは、前にあげた1918年と翌1919年の2シーズンだけ。そして、1919年にルースが29本塁打と3倍近く増やすと多くのファンの注目を集めた。すると機構は飛ばないボールを大幅に改良し、ホームラン時代が幕開けた。打者専念したルースは1920年に54本塁打すると、毎年50本前後のアーチを量産し続けた。

 A・ロッドもデビュー直後は俊足のアベレージヒッターとして頭角を現わした。本塁打が増え始めたのは5年目の1998年から。この年42本塁打、46盗塁すると、翌年から盗塁数は減少傾向となり、2001年のレンジャーズ移籍後は本塁打アーチストへ完全に転身を遂げた。

 歴代の本塁打王たちを見ると、意外にもデビュー当時はバリバリのスラッガーではなく、後にモデルチェンジしていった跡がうかがえる。大谷も現在は投打二刀流だけでなく、盗塁数が多く足でも攻めるタイプ。すぐにプレースタイルを変えることはないだろうが、年齢を重ねてより本塁打へシフトしていくことも考えられる。また、将来的に投打二刀流からどちらか一方へのシフトを迫られ、打者を選択する可能性もなくはない。さまざまな要素が絡み合い、ここからさらに本塁打量産のペースが加速してもおかしくはない。実際に100号達成翌日の試合で、すぐさま2試合連続となる8号を放った。まだ27歳であり通過点。行く先には無限の可能性が広がっている。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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