日本プロ野球史上最年長の50歳まで現役を続け、32年の現役生活を送った山本昌氏。中日一筋で219勝を積み重ね、3度の最…

 日本プロ野球史上最年長の50歳まで現役を続け、32年の現役生活を送った山本昌氏。中日一筋で219勝を積み重ね、3度の最多勝を獲得したなか、"強敵"として立ちはだかったのが外国人打者たちだ。技巧派サウスポーは、とくにどのバッターを脅威と感じていたのか。現役時代を振り返ってもらった。



横浜、中日で6年間プレーし、本塁打3回、打点王1回に輝いたタイロン・ウッズ

規格外のパワー

 真っ先に「すごかった」と思い出すのが、タイロン・ウッズです。韓国球界で本塁打、打点王という実績をひっさげ、2003年に横浜(現・DeNA)にやって来ました。

 当時はちょうど"飛ぶボール"の頃で、試合前のフリーバッティングでは横浜スタジアムのスコアボードの上を越えていく当たりを打っていました。スコアボードにもしょっちゅう直撃して、その場所が点滅しなくなるんです。ライトにもレフトにも場外弾を飛ばして、「なに、このパワー?」って感じました。パワーだけじゃなく器用さもあって、脅威でしたね。

 対戦する時に気をつけたのは、やっぱりホームランです。ボールが浮いたらダメで、とくに高めのボールに手が伸びた時は全部ホームランになる。パンって叩くのがうまくて、そうやって打つとものすごくボールが飛んでいくんです。

 打ちとるにはアウトハイの変化球、インコースの真っすぐ、アウトローの強いボール。すくうのはあまりうまくなかったですからね。

 2005年からドラゴンズに移籍してきてチームメイトになりました。ナゴヤドームで流し打ちをして、ライトスタンド上段に、左バッターが引っ張るような打球を飛ばしていました。「どうしたらそんなに飛ぶの?」と、驚きしかなかったですね。僕が一緒にプレーしたなかで、飛距離に関してはタイロンが一番でしたね。

 同じ右のスラッガーでは、2001年に西武にやって来たアレックス・カブレラも強烈な記憶が残っています。タイロンと違い、カブレラはすくって打つタイプ。だから低めが強くて、僕は嫌でしたね。低めに沈むスクリューボールをすくわれて、たとえボール球でも滞空時間の長いホームランを打たれる。

 いわゆる"変態打ち"で、ワンバウンドのボールを打ったり、ありえないコースの球を右にも左にもホームランにしたり......だから、こっちとすれば高めで勝負なんですけど、中途半端な高めは打たれます。難しいバッターでしたね。カブレラはオリックス、ソフトバンクを含めて日本で12年間もプレーしているので、ほかの投手も相当痛い目にあったと思います。タイロンとともに嫌なバッターでした。

記録にも記憶にも残った3人

 その次に思い出すのがタフィ・ローズ。僕は入団5年目の1988年にロサンゼルス・ドジャースのマイナーで留学していた時に向こうで対戦しているんです。彼が20歳の頃ですね。

 当時からいいバッターで、1Aのオールスターにも一緒に選ばれました。僕らのほかにも、阪神でプレーしたデーブ・ハンセンや、ダイエー(現・ソフトバンク)でプレーしたブライアン・トラックスラー、日本ハムで最多勝を獲得したキップ・グロスがいました。

 ローズの本名は「カール」だけど、タフだから「タフィー・ローズ」。1996年に近鉄に来た時には、以前よりも体が大きくなって、スイングも速くなっていました。日本ではホームラン王を4度獲得、NPBで400本塁打以上(通算464本)打った唯一の外国人ですけど、ホームランバッターという感じではなく、僕のなかではアベレージヒッターの印象が強いですね。外国人選手としては歴代2位の通算1792安打を放ちましたが、とにかくヒットゾーンの広い選手でした。

 好打者で思い出すのが、アロンゾ・パウエル。1992年からドラゴンズでプレーして、1994年から3年連続首位打者に輝きました。勝負強いバッティングで、僕もすごくお世話になり、強く印象に残っています。

 なぜ強く印象に残っているかと言うと、1998年にタイガースに移籍して、対戦することがあったのですが、何を投げても打たれたイメージがあったからなんです。大きい当たりを打つわけではないんですけど、低めも高めもうまく打つ。変化球の対応もうまくて、弱点がない。日本の野球に本当に合っていたのでしょうね。

 日本で2000本安打を達成したアレックス・ラミレスもいいバッターでした。2001年にスワローズに加入した頃はロベルト・ペタジーニの陰に隠れて、"弟分"みたいな感じであまりマークしていなかったんですよ。でも、スイングを見ると力強かったことを覚えています。

 ペタジーニが2003年からジャイアンツに移籍したあとは、ラミレスがスワローズの主軸を打つようになりました。インコースはうまくさばくし、アウトコースにもしっかり届くので手強かったですね。

 ラミレスとは仲がよくて、神宮球場で試合前に練習していると「山本さん、今日ピッチャー誰?」って聞いてきたので、「朝倉(健太)」と答えると、「朝倉さんダメ。山本さんグッド」っていうやりとりをしていました。ラミレスは朝倉のシュートが嫌だったみたいです。逆に僕は得意だったようで、何度も痛打された記憶があります。

「どこに投げても平気」のはずが...

 あと、個人的に強く記憶に残っているのがジム・パチョレックです。1988年に大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に来た時、スコアラーからの報告では「どこに投げても平気だよ」って言われたんですよ。

 ところが開幕戦で先輩投手が対戦したら、いいコースを簡単に打たれて......「なにがどこに投げても平気だ!」って思いましたね(笑)。高めが強くて、どのコースにも対応してくる器用さがありました。来日から5年連続3割をマークし、1990年には首位打者を獲得。「どこに投げればいいの?」と思うぐらい、いいバッターでしたね。

 僕自身の経験で言えば、ロベルト・ペタジーニでも同じようなことがありました。1999年に来日して、最初の試合がドラゴンズ戦で、僕が先発だったんです。ペタジーニはオープン戦でまったく打っていなくて、スコアラーは「どこに投げても大丈夫」と。それでアウトローに真っすぐを投げたら、左中間フェンス直撃のすごい当たりを打たれました。結構いいボールで、「えっ、どこに投げてもいいんじゃなかったの?」って(笑)。

 ペタジーニも来日1年目から打率.325、44本塁打でホームラン王を獲得したし、正真正銘の強打者でしたね。

 やはり外国人選手は、オープン戦では判断できません。まだスイッチが入っていないですから。パチョレックやペタジーニのケースを振り返っても、あらためてそう感じます。今季は開幕から1カ月半が経ちましたが、ここまで当たりの新外国人選手も慣れてくれば、一気に爆発......なんてことも十分にあり得ます。

 日本人選手とはパワーも迫力も違う外国人選手との対戦は、怖くもあり楽しくもありました。今回紹介できませんでしたが、ほかにも印象に残っている外国人選手はたくさんいます。懐かしい顔もあったと思いますが、これを機に久しぶりに彼らの勇姿を思い出していただければうれしいです。