連載「スポーツの言葉学」、東京五輪後初の大会で丸山城志郎と再戦 自らの限界に挑戦し続け、日々鍛錬を積むスポーツの世界において、アスリートや指導者が発する言葉には多くの人の心に響く力がある。2002年ソルトレークシティ大会から夏季・冬季五輪の…

連載「スポーツの言葉学」、東京五輪後初の大会で丸山城志郎と再戦

 自らの限界に挑戦し続け、日々鍛錬を積むスポーツの世界において、アスリートや指導者が発する言葉には多くの人の心に響く力がある。2002年ソルトレークシティ大会から夏季・冬季五輪の現地取材を続けるなど、多くのトップ選手の姿を間近で見てきたスポーツライターの松原孝臣氏が、そんなアスリートたちの発した言葉から試合の背景や競技に懸ける想いを紐解く。

 今回は柔道・男子66キロ級の東京五輪金メダリスト、阿部一二三(パーク24)が4月に行われた全日本選抜体重別選手権で優勝を果たした時の言葉から。五輪後初の舞台となった今大会、決勝では代表の座を激しく争った丸山城志郎(ミキハウス)と再び相まみえ、競り勝った。「自分が五輪チャンピオンだと証明するために闘いました」という言葉に、王者のプライド、そして自らを高め続けるライバルの存在の大きさを感じさせた。

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 4月2、3日に行なわれた柔道の全日本選抜体重別選手権。その2日目、男子66キロ級を制したのは阿部一二三だった。

 昨年の東京五輪では「本命」と言われるなか、プレッシャーをものともせずに力を発揮してみせ、金メダルを獲得。あれから約8か月が経った今大会でもその強さは変わることはなかった。

 1回戦で新井雄士と対戦。一本背負いで一本勝ちを収めると、準決勝の内村光暉との試合でも力の違いを見せ、指導3つによる反則勝ちを収めた。

 迎えた決勝の相手は、丸山城志郎。東京五輪代表争いを繰り広げ、2020年12月に代表を決めるワンマッチの試合を実施。約24分の死闘の末にようやく阿部が勝利し、代表の座を手にしている。

 その強敵とのワンマッチ以来の再戦は、やはり緊張感あふれる勝負となった。そのなかにあって阿部は、丸山が得意とする内股をかけてきても落ち着いて対応し、逆に連続技を見せるなど攻撃的な姿勢を見せる。

 4分で決着はつかず、試合は延長へ。決着がついたのは6分38秒。丸山に3つ目の指導で、阿部が反則勝ちを収めたのである。ワンマッチとの試合内容の違いは、阿部の充実ぶりをあらためて示していた。

 その姿は、他の階級の試合からしても、輝きを放っていた。東京五輪代表選手のなかにはコンディションの問題などで欠場する選手がいた。出場した選手たちも、本来の力を出せないケースがあり、結果、男子の東京五輪代表組で優勝したのは、阿部を除けば81キロ級の永瀬貴規のみにとどまった。

五輪出場選手のなかで際立っていた阿部の戦いぶり

 それも無理はない。4年に一度、いや東京五輪は5年に一度となった大舞台だ。ライバルも少なくないなか、代表争いを続け、その末に代表となり迎えた大会でも、多大なエネルギーを費やした。その反動は決して小さくない。

 過去の五輪でも、大会ののち、一時的にせよ何にせよ、燃え尽きてしまう選手は見られたし、モチベーションをどう保つかに悩んだり、あるいは休養を選択する選手はさまざまな競技で珍しくはなかった。五輪に懸けるエネルギーや時間を考えれば、自然なことでもある。

 それを思えば、なおさら、阿部の戦いぶりは際立っていた。

「五輪王者としてプレッシャーはありましたが、金メダルを獲って自分に自信がついたと思います。王者になったからこそ、さらに強い気持ちを持って戦えるようになりました」

 試合後、阿部はこう語っている。その言葉は、金メダリストになったことで得た糧が、今回の戦いに生きていたことを示唆している。

 それとともに、印象深い言葉があった。

「自分が五輪チャンピオンだと証明するために闘いました」

 丸山との何年もかけての代表争いの激しさ、拮抗した勝負を続けたことは、誰よりも阿部が肌身で知っている。

 だからこそ、五輪チャンピオンになった誇りをかけて、勝たなければいけないと思った。阿部もこう語っている。

「やっぱり気持ちは入りましたし、絶対に負けられない。何がなんでも勝ち切るんだという気持ちでした」

 負けられないという思いは、この日だけのものではない。勝つために準備もしてきただろう。

 阿部は2024年のパリ五輪での連覇を目標に掲げてきた。次に目指すべきことも明確に見えていて、しかも年齢的にまだ若いこともあり、気持ちが途切れたり緩んだりする余地が少ないということはある。

ライバル2人が揃って世界選手権の舞台へ

 その上で、この充実した姿を見せることができたのは、やはり、丸山というライバルの存在あってのことだ。容易ならざる相手がいることで、気持ちが緩むことなく、打ち込み続けることができたのではないか。そう考えれば、ライバルがいることの意味は大きい。自分を高めてくれる相手だからだ。

 無論、丸山もまた、パリ五輪を目標に取り組んでいる。これからも2人の戦いはきっと続いていくし、阿部が丸山によって高められるとともに、丸山もまた阿部によって高められることになる。

 でも阿部は、己の将来を信じ、こう語る。

「全勝で代表を決めて、パリで連覇できるように頑張りたいです」

 今年10月に行なわれる世界選手権(ウズベキスタン・タシケント)の代表に揃って選ばれた2人の勝負、そして阿部のこれからがまた楽しみになる大会だった。(松原 孝臣 / Takaomi Matsubara)

1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)、『フライングガールズ―高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦―』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)などがある。