日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長、反町康治技術委員長、日本代表の森保一監督が、元日本代表監督のイビチャ・オシム氏…

日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長、反町康治技術委員長、日本代表の森保一監督が、元日本代表監督のイビチャ・オシム氏の訃報にコメントした。

1日、オシム氏は自宅のあるオーストリアのグラーツで急逝。81歳の誕生日を5日に控える中、息を引き取った。

ユーゴスラビア代表監督や、パルチザン・ベオグラード、パナシナイコス、シュトゥルム・グラーツで指揮を執ったオシム氏は、2003年に千葉の監督に就任。千葉でタイトルを獲得するなど実績を残すと、2006年途中に日本代表監督へと就任した。

2007年に脳梗塞で倒れ、監督を退任することとなったが、日本サッカーへ及ぼした影響は多大なるものがあった。

田嶋氏はオシム監督時代のJFA専務理事、反町氏は2008年の北京オリンピック世代の監督となり、オシム氏の下で日本代表のコーチを務めていた。

そのオシム氏の訃報を受け、3名はJFAを通じてコメントしている。

◆田嶋幸三会長

「昨晩、オシムさんが亡くなられたとの連絡を受けた。オシムさんには多くの思い出が残っている。ユーゴスラビア代表を率いた1990年のFIFAワールドカップ、ジェフユナイテッド市原・千葉などの監督として素晴らしいチームを作り上げていた。選手たちを掌握する力が素晴らしく、考えて、判断するトレーニングを徹底することによって確実に選手を成長させてくれた」

「日本代表チームの監督に就任してからも多くの選手たちを成長に導いていた。名監督とは、まさにオシムさんのような人だと思う」

「2007年11月16日に倒れられた後、歩けるように、話せるように回復されたのは奇跡的だったかもしれないが、志半ばで監督交代をお伝えしなければならず、オシムさんの無念さを思うと本当につらく、その時のことは忘れることができない」

「監督として成功を収められたグラーツで過ごされていたことを聞いていた。ユーゴスラビア紛争や病などで波乱万丈な人生を送られたかもしれないが、それゆえに説得力のある言葉によってわれわれに影響を与えてくれた。安らかな眠りにつかれますようお祈りします。そして、ありがとうございました」

◆反町康治 技術委員長

「「お父さん」と呼んでいたまさに日本サッカー界のお父さんがお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りします」

「Jリーグの監督として対峙した時にソリッドな守備とアイデア豊富で常に数的優位を作る流動性のある攻撃を併せ持ったジェフユナイテッド千葉は私にはとても衝撃的でした。また、2005年のJリーグオールスターサッカーで私がEASTチームの監督、オシムさんがコーチで一緒に仕事をさせていただいたのも良い思い出です」

「そして2006年から就任された日本代表監督のオシムさんに、コーチとしてチームに加わった私はよく怒られながら指導したのを思い出します。彼にとって妥協という文字はありませんでした。今でも1番影響を受けた指導者であることは間違いありません」

「一昨年、SAMURAI BLUEがオーストリアのグラーツでパナマとメキシコと親善試合をした際には、近くにいらっしゃるにもかかわらず新型コロナ感染症拡大防止のためにお会いできず、また日本代表のサッカーを見てもらうことができなかったのがとても悔いに残っています。安らかにお休みください「お父さん」」

◆森保一 日本代表監督

「突然の訃報にふれ、深い悲しみと大きな喪失感を感じています」

「一緒のチームで仕事をする機会はありませんでしたが、オシムさんのサッカーに向けられた情熱、そしてサッカー哲学に大きな刺激をいつも受けていました」

「「日本サッカーの日本化」ということを提言いただき、とても勇気づけられたこと、今もその言葉を胸に日々サッカーと向き合っています」

「私も日本代表監督として、オシムさんが遺してくれたものをしっかりと受け継ぎ、そして未来へと繋ぐことでオシムさんが日本サッカー界にいた証を残し続けたいと思います」

「今までありがとうございました。安らかにお休みください」