ヤクルト2000年ドラフト2位鎌田祐哉インタビュー 後編(前編:ドラフト2位でのプロ入り秘話と試練続きだった現役時代>>) 現役時代はヤクルトで投手として活躍。2012年に現役を引退した鎌田祐哉。セカンドキャリアに選んだのは「不動産業界」だ…

ヤクルト2000年ドラフト2位
鎌田祐哉インタビュー 後編

(前編:ドラフト2位でのプロ入り秘話と試練続きだった現役時代>>)

 現役時代はヤクルトで投手として活躍。2012年に現役を引退した鎌田祐哉。セカンドキャリアに選んだのは「不動産業界」だった。なぜ、まったく畑違いの世界に転身したのか? その野球人生と、第二の人生について聞いた。



現在は不動産業で働く元ヤクルトの鎌田

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 プロ11年目のオフ、2011年10月に楽天から戦力外通告を受けた、当時32歳の鎌田。「トライアウトを受けて、ダメなら野球をやめて就職しよう」と決意した時、突然携帯が鳴った。

「鎌田、これからどうすんの?」

 電話の主は、元ヤクルト打撃コーチの荒井幸雄氏だった。当時、巨人の二軍打撃コーチを務めていたが、ヤクルト時代に仲がよかった鎌田のことを案じて、わざわざ連絡をくれたのだ。

「とりあえず、トライアウトを受けようと思ってるんですけど」「そうか。今ちょうど、知り合いの統一ライオンズ(台湾)のスカウトが日本に来てるんで、お前のこと、見ておくように言っとくから」

 トライアウトを受験した鎌田だったが、残念ながらどこからもオファーはなく、諦めて就職活動を始めた矢先に、再び荒井氏から連絡が入った。

「前に言ってた統一のスカウトから『カマタはこちらに来る気はないのか?』って電話があったぞ。テストを受けに行ったらどうだ?」

 慌てて肩を作り、台湾に飛んだ鎌田。「肩は60%ぐらいの出来だったんですけど合格することができました。ただ、契約の条件提示は"2カ月の契約"だった」という。日本では聞き慣れない契約だが、外国人選手の入れ替わりが激しい台湾プロ野球では、それが当たり前のようだ。

「向こうに行って2カ月でクビになったら、6月から就職活動を始めなきゃいけない。時期的に中途半端だし、どうしようかと戸惑いもありましたが、チャンスと受け止めて海を渡ることにしました」

最多勝のタイトルを獲るも解雇

 2012年、統一ライオンズに入団。当時、統一で投手コーチを務めていたのが紀藤真琴氏(元広島・中日・楽天)だった。その紀藤コーチに「せっかく日本から来たんだし、長くやってほしいから、二軍スタートにする」と言われたという。

 その頃、台湾のプロ野球では、外国人選手が二軍落ちするとそのまま解雇されるパターンがほとんどだった。

 紀藤コーチの「二軍からスタートして、まずは台湾の野球に慣れてほしい。それから一軍に上がって結果を出せば、長くやれるから」という提案に「なるほど」と思った鎌田だったが、このプランはあっけなく崩れる。他の外国人投手たちがオープン戦で次々に打たれて解雇。開幕前に一軍からお呼びが掛かったのだ。

 オープン戦で結果を出し、そのまま開幕一軍スタート。先発ローテーションに入り、いきなり開幕11連勝の快進撃を見せた(中継ぎの1勝を含む)。

「その頃は、休みの日に散歩に出かけると街で声を掛けられるようになりましたね。でも中国語でバーッと言われるんで、何を言ってるのかわからなかったですけど(笑)」

 最終的に16勝を挙げ、1年目にして最多勝のタイトルを獲得した。当然、翌年もプレーするつもりだったが、オフに球団から予想外の通告を受ける。「来年は契約しない」「なぜですか?」「アメリカから外国人投手を獲るので」。

「そのあと、年が明けてから『また契約しないか?』というオファーが届いたんですけど、また"2カ月契約"だったんです。すでに心が折れていてトレーニングもしていませんでした。家族もいるんで、もう現役はいいかな、って」

 再契約はならなかったが、統一球団は新たな道を選んだ鎌田のために、外国人選手では異例の「引退式」を行なってくれた。「その気遣いが嬉しかった」という鎌田は、それを花道に、第二の人生へと踏み出した。

不動産業の「スーパー・オールドルーキー」に

 それまで野球ひと筋で、一般企業には何のツテもなかった。しかもその時点で34歳。新卒の学生よりひと周りも上というのは、就職活動において大きなハンデになる。まずは早大時代の先輩を訪問。挨拶回りから始めたが、やはり年齢のことを気にする企業が多かったそうだ。

 そんな時に知人から紹介されたのが、現在勤務する城北不動産だった。

「最初は『食事でもしませんか?』という話だったんですが、専務が同席して、そのまま面接のような感じになったんです。よその会社は『年上の部下は扱いづらい』という雰囲気があったんですが、今の会社は『一緒に頑張ろう』と言ってくれたのが決め手になりました」

 入社した頃は、コピーを頼まれても「A3をA4にして」の意味がわからず、電話も取ったことがなかったため、なかなか適当な言葉が出てこなかったという。幸いここでも、上司に恵まれた。

「最初に配属された課の課長が、大の野球好きだったんです。私に合わせたペースで、不動産の基本的なことを丁寧に教えてくれたのはありがたかったですね」

 あえて「鎌ちゃん」と親しみを込めて呼んでくれたおかげで、周りの社員とも早く打ち解けることができた。

 そのうち、新築一戸建ての営業にも出るようになった。まずは担当地区・練馬区の道を覚え、住所を覚え、周辺を歩き回って地図を頭のなかに叩き込んだ。「現役時代は電車にほとんど乗らなかったので、駅名を覚えるのがひと苦労でした」。それでも1年目からひとりで営業回りをこなし、家を売ったというから、まさに"スーパー・オールドルーキー"である。

「やっぱり、いちばん大切なのは"信頼"だと思います。家は一生の買い物ですから、『この人に任せても大丈夫』と思われないといけない。信頼感を得るためには、何をしたらお客さんに気に入ってもらえるのか? 初対面の時から、相手のことをよく見て、どういうアプローチで接していったらいいのかを考えるのが大事だなと思いました」

恩師のアプローチ術も参考に

 その際に参考になったのが、現役時代に出会った指導者のアプローチ術だという。なかでも役立っているのが、早大の先輩でもある八木沢荘六氏の指導法だ。NPB7球団で投手コーチを歴任、ロッテでは監督にも就任した八木沢氏は、2008年から3年間、ヤクルトで投手コーチを務めた。

「八木沢さんは、喩えにゴルフの言葉を使ったりもするんですが、とにかく会話の引き出しが多いんです。指導する時も、指摘はするけど注意はしない。結果に対してただ怒るコーチが多かったですけど、八木沢さんはまず『こうしてみたらどう?』という提案をしてくれる。だから前向きになれるんです」

 野球の指導と不動産の営業はまったく関係がないように見えるが、人への接し方という点では相通じるところがある。人生、どんな経験も無駄にはならないという好例だ。

「八木沢さんの選手への接し方は、今でも接客の参考にさせてもらってます。すごく勉強になりますね」

 顧客からの信頼を得る上でもうひとつ、鎌田が大事にしているのが「家を売ったあとも、最後まで面倒を見る」というポリシーである。

「先日も、8年ぐらい前に家を買ってくれた奥さんから電話があって、『火災報知器鳴っちゃったんですけど、どうしたらいいですか』って(笑)。でも、そうやってずっと頼ってもらえるのは嬉しいですよね。『確定申告って、どうやってやるんですか?』という相談もありますよ」

 練馬区で家を売って9年。今では担当エリアを歩くと、あちこちで声を掛けられるようになった。家を買ってくれたお客さんは家族のようなものだという。練馬区じゅうにファミリーがいる......素敵な話だ。

 ところで、鎌田が野球をすることはもうないのだろうか? 聞いてみると、ときどき会社の草野球チームに"助っ人"として参加することがあるそうだ。

「行くとやっぱり『投げて』って言われるんですよ。何年か前に、神宮球場を借りて試合をやったんですけど、久々に神宮のマウンドに立ったらアドレナリンが出ましたね。肩は痛かったんですけど(笑)」

 それでも周囲が「おおー!」とどよめくぐらいのボールは投げられるそうだ。やはり元プロはモノが違う。

元オリックス投手が会社の後輩に

 野球の世界に戻りたい、という気持ちはないが、「常に球界のことは気にかけています」と言う鎌田。昨シーズン、古巣ヤクルトが20年ぶりの日本一に輝いたのは、2001年の日本一メンバー・鎌田にとっても感慨深い出来事だった。「石川(雅規)が『やっと日本一になったよ』と連絡をくれました。自分のことのように嬉しかったですね」

 同郷(秋田市)の1年後輩・石川は現在42歳。今やチーム最年長となり、4月23日の阪神戦で「21年連続勝利」の快挙を達成した。野球をやめたばかりの頃は、現役で活躍する石川に正直ジェラシーを感じたこともあったと言う鎌田。でも今は、そんな感情はない。

「石川には、今でも刺激をもらってます。『自分も頑張らないと』って。末長く現役を続けてほしいです」

 最後に、セカンドキャリアを考えるプロ野球OBに向けて、鎌田からひと言アドバイスをもらった。

「自分も指摘されたんですけど、プロ野球選手って野球への思いが人一倍強いので、それが『プライドの高さ』と誤解されることがあるんです。そういうものはいったん捨てて、気持ちを切り替えてイチからチャレンジしてみたら、成功することはそんなに難しくないと思います」

 今年1月、鎌田の会社に元プロ野球選手が入社した。東明大貴。そう、2015年にオリックスで10勝を挙げた、あの東明投手だ。自分で求人を探して応募してきたそうで、鎌田が在籍していることも決め手になったという。鎌田はプロ野球選手のセカンドキャリアにおいて、新たなモデルケースを作ったと言えるだろう。

「もし『選んだ道が違ってるな』と思ったら、また別の会社を探せばいいんです。まずは、目の前のことを一所懸命やってみる。新卒の人と同じ気持ちになってゼロから乗り込んでいけば、プロ野球選手になった忍耐力と根性があるんですから、きっと成功するはずです」

※敬称略