リオ五輪柔道男子100kg級銅メダリスト・羽賀龍之介、インタビュー第3回 子どもに対する指導者の行き過ぎた勝利至上主義が問題視され、全国小学生学年別柔道大会が廃止された。一つの転換期を迎えている日本の国技。現役ながら競技の普及、育成に尽力す…

リオ五輪柔道男子100kg級銅メダリスト・羽賀龍之介、インタビュー第3回

 子どもに対する指導者の行き過ぎた勝利至上主義が問題視され、全国小学生学年別柔道大会が廃止された。一つの転換期を迎えている日本の国技。現役ながら競技の普及、育成に尽力する2016年リオ五輪男子100キロ級銅メダリスト・羽賀龍之介(旭化成)は、競技と進路を自ら選択し、トップまで駆け上がった。「THE ANSWER」が全3回にわたってお送りする単独インタビューの最終回。柔道における「勝利至上主義の是非」について経験を基に語ってもらった。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 長く議論されてきた「勝利至上主義」が今、再び話題となった。3月、全日本柔道連盟は毎年8月の全国小学生学年別柔道大会を廃止すると発表。親や指導者が子どもに無理な減量をさせたり、選手や審判、対戦相手の保護者に罵声を浴びせたりするなど、行き過ぎた行動が散見されたからだった。

 もちろん健全な道場、指導者は多く存在し、一部の人によって浮かび上がった問題。コロナ禍以前は柔道教室で子どもたちに触れる機会が多く、普及、育成活動に精力的な羽賀にとっても頭を悩ませるものだった。

「自分も凄く考えさせられています。小、中学生に『競技をやっていて楽しい瞬間はどこですか?』と聞いた時に、試合の結果だけだと凄く寂しい。でも、自分はどうだったかというと、やっぱり相手を投げた時、大会で優勝した時が凄く印象に残っているんですよね」

 勝利が全てではないが、勝利すれば言わずもがな嬉しい。成功体験を重ね、達成感を知る。再び喜びを味わいたくて頑張ることだってある。羽賀も勝利を目指すこと自体は否定しない。その中で「でも……」と続けた。

「今回の問題がよくないと思うのは、やっぱり親が異常に過熱しているところだと思います。高校でも、他競技でも親が熱すぎる人がいる。でも、小、中学生でよくないとされる理由は、子どもが大人の要求を断れるのか、物事を自分で判断できるのかという点。自分が小学生だったら、まずできないです。中には『親が喜んでくれるから頑張る』という子もいるかもしれない。

 これって柔道だけじゃなく、勉強だって同じ。全競技、全分野に言えることだと思います。そう考えると本当に難しい。親が我が子に対して『スポーツを頑張って』と願ってしまうのも必然だと思う。無理な減量をさせないために、水抜き(試合直前に体内の水分を一気に抜く減量方法)をしていないかチェックしたり、一つひとつの対策はできる。だけど、個人的には簡単にルールで線引きするのは少し残念だなと思います」

 羽賀は父が柔道選手、母が水泳選手。幼少期からどちらの競技にも取り組んでいた。小学生時代には競技環境の違いを知る。あくまで20年ほど前に自身が経験した限りだが、2つを比較しながら当時を振り返った。

「少年柔道の道場に50人の選手がいた場合、おそらく50人全員が日本一を目指して練習を頑張ると思います。でも、スイミングスクールは全員が日本一を目指すのではなく、まず泳げないところから入る。まずは泳げるように練習して、クロールができた、背泳ぎができた、200メートルを泳げた、と徐々に進級していく。級ごとのバッチを帽子に貼ってもらっていたんですよ。それが増えていくのが凄く面白かった。

 でも、柔道の場合は指導者が日本一を掲げていたら、道場生全員が日本一を必然的に目指すような雰囲気があります。もしかしたら、『受け身だけ覚えたい』『僕は背負い投げを』『僕は公文と野球もやってるので、柔道は週1回だけでいいです』という子もいるかもしれない。水泳のようにコースが綺麗に分かれていなかった。そこは見直されてもいいし、みんなが考えていくべき課題ですね」

日本代表の“金メダル至上主義”との違い

 どんどん速く泳げるようになっていった小学3年生のある日、「選手コース」の練習に呼ばれた。一気に練習量が増加。「面白くない。水泳は嫌だ」と親に伝えて辞めた。親に止められることはなく、「投げる」「人と組むこと」が楽しかった柔道に専念。「僕は子どもながらに面白い、面白くないという判断ができていた」と振り返る。

 全日本選手権に5度出場した父は、自身の師でもあった。しかし、柔道を強要されたことはない。柔道も水泳も親の存在がきっかけで始めたが、続けたのは自らの意思だった。進路選択でも同じ。両親は天理大出身だが、高校は東海大相模、大学も東海大とライバル校を自ら選び、実績を残していった。

「両親は周りからいろいろ言われたみたいですが、僕は『親は親』という考えだったので、自分が行きたいところに行きました。子どもがどう思っているのか、大人が見極めてあげることが大事。逆に自分で選択しないと、後々きつくなると思います」

 心から勝利を目指したい子には存分にやらせてあげればいい。勝利に徹することで価値が生まれることだってある。

「勝負をしていく中で勝ち負けが思い出になるし、負けたことによって次は勝ちたいと思う。それが競技の本質なのかなと。隣の人より早く泳ぎたいと思うのも、それは競技を愛するということなのだと思います。大会を廃止する今回の決断が一概に凄くいいことだとは思いません。でも、問題が起きている以上は廃止せざるを得ない状況なのだと思います」

 今、勝利至上主義の押し付けが否定されるのは、相手がそれを望んでいない子どもだから。五輪に出るほどのトップ層は別だ。羽賀はニッポン柔道にある“金メダル至上主義”の価値観を大切にする。

「柔道は日本の国技で、海外でも何十万人がやっている。審判も日本語を発する。それって凄いこと。その中で日本を代表して戦うことは、凄い価値があると思うんです。五輪も人によって価値が違う。ある冬季種目の選手は、『五輪よりも年間のツアータイトルが欲しい』と公言していました。五輪の価値はそれくらい選手と競技によってそれぞれ。でも、(トップ層の)柔道選手はそこに価値を感じて燃えている。全選手が五輪を夢見て競技をやっています」

 試合直後のインタビューでも、銀メダルで喜ぶ選手は少ない印象だ。2番、3番でも、代表に選ばれただけでも凄いこと。そんな声が上がっても、羽賀は日本の柔道家として譲れないものがあるという。

「そのラインを落とすのは簡単だと思います。金メダル以外に価値がないとは言えませんが、全員が口を揃えて金メダルを目指す、金メダル以外は納得しないという姿勢は、日本柔道の強さを維持できている要因だと僕は思います」

異常に燃える大人たち「勝ってくれ、勝ってくれ、勝ってくれ、と」

 全ての子どもが五輪を目指しているわけではない。誰が、なぜ、その競技に取り組んでいるのか。人の気持ちは変わることもしばしば。大人が都度見極め、支えながら選択肢を与える必要がある。羽賀は指導者ライセンスの重要性を説いた。

「怪我をする人の8割以上は初心者なんです。原因は指導者の見極めができていないこと。無理に技を覚えさせたり、できないことをやらせたりすると怪我をしてしまう。しっかり見極めないと指導はすべきじゃない。当然、スパルタ指導はどの競技もしてはいけない。全国チャンピオンを目指しているのか、柔道だけをやるのか、掛け持ちでもいいのか。指導者がそこまで判断した上で柔道に取り組んでほしい」

 全柔連は、個人登録会員数の推移を公式サイトに掲載している。2004年から21年までの過去17年間、男女各カテゴリーの合計人数は20万2025人から12万2184人に減少。特に小学生は4万7512人から2万5636人の約46%減と顕著だった。

 行き過ぎた勝利至上主義が影響しているかのどうかは明らかではない。単に日本の総人口減少が理由かもしれない。ただ、羽賀が「友だちのアスリートが言っていた話」と明かしたものは的外れではなかった。

「勝ってくれ、勝ってくれ、勝ってくれ、と願う親がいる。子どもが勝つと、親の顔が立つ。子どもは自分が勝ってほしいと願うロボットだ、と」

 勝ち負け以外にも競技の面白さや価値を感じてもらえたら、スポーツの未来も明るいものになるだろう。「実際にこういう場面って、今の日本のスポーツ界に結構あるみたいで……。指導者、親、子どもにも感じてほしいことは、他人との比較ではなく、子ども自身の成長です」。異常に燃え、熱を押し付けるのが問題。子どもたちの未来は、大人のものではない。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)