リオ五輪柔道男子100kg級銅メダリスト・羽賀龍之介、インタビュー第1回 体重無差別で争う柔道の全日本選手権が29日、東京・日本武道館で行われる。2020年以来2大会ぶりの優勝を狙うのが、16年リオ五輪男子100キロ級銅メダリスト・羽賀龍之…

リオ五輪柔道男子100kg級銅メダリスト・羽賀龍之介、インタビュー第1回

 体重無差別で争う柔道の全日本選手権が29日、東京・日本武道館で行われる。2020年以来2大会ぶりの優勝を狙うのが、16年リオ五輪男子100キロ級銅メダリスト・羽賀龍之介(旭化成)だ。28日に31歳になったベテラン。次々と若手が台頭する中で戦い続ける理由とは。「THE ANSWER」が全3回にわたってお送りする単独インタビューの第1回。柔道家の持つ「本物の覚悟」を聞いた。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 まだやり切っていない。だったら、どういう状況になった時に「やり切った」と言えるのか。羽賀は今月3日に全日本選抜体重別選手権の100キロ級を制したばかり。「フフフッ」と笑みを浮かべながら答えてくれた。

「本当は選抜体重別で優勝して辞めようかなと思っていたんですよ。あの日は『ここで優勝して辞めてやる』ぐらいの気持ちで戦っていました。ボロボロになるまでやるのもカッコいいし、まだやれると思いながら優勝して辞めるのもカッコいい。けど、勝った瞬間に『まだ辞められないな』と思いました。試合の時に『勝って辞める』という覚悟が出てきてよかった。この感覚はキャリアを積んでいない選手にはないと思うんですよね」

 次の五輪に向けて、今年の世界選手権に向けて。そんな未来を見据えた日々ではない。対峙するのは年下ばかり。目の前の相手に勝つことだけを視界に入れ、31歳は戦っている。だから、死力を尽くす「覚悟」が生まれるのだ。

 現役を続けるか否か、大きく揺れた時期がある。2020年2月27日、東京五輪代表が発表された。男子100キロ級に選ばれたのはウルフ・アロン。リオ五輪銅メダルだった羽賀は、リベンジの夢が絶たれた。4年に一度の大舞台で世界一になることが人生の全て。日本の柔道家にとって、それが当たり前だった。

「自分の中で腹を括っていたので、東京五輪に出たら辞めるつもりだったし、出られなくても辞めようと思っていました。それくらいの覚悟じゃないと、五輪の金メダルは獲れない。4年に一度の選考会のその日に間に合わないと、今までの4年間とか、小さい頃からやってきたことの全てが無駄だったという評価になってしまうと考えていた。実際はそうではないですが、それ(無駄になること)を受け入れたくない自分がいました。

 なぜ、柔道などアマチュアスポーツは五輪だけが評価されるんだろうと感じることがあります。そう思いたくなかったし、そう思った瞬間に前に進めない気がしたので、『五輪だけが全てじゃない』と思って頑張っていきたいと考えるようになりました」

 当時28歳。先輩たちを見てきた限り、30代で現役を続けることに不安があった。「それが気持ちが高まり切れない理由でもあった」。代表落選直後に訪れたコロナ禍。大会がなくなり、スポーツをすることへの風当たりも強くなった。開催された数少ない大会の一つが全日本選手権。20年12月に延期された国内最高峰の舞台に向けて「まず、やろう」と見据えた。

大学時代に対戦、30代の鈴木桂治らに感じた「凄い意地」

 練習を続ける中、進むべき矢印の方向が定まり始めた。

「今までは何かの目標のため、五輪のためだったんですけど、全日本選手権に向かう中で考え方が変わっていきました。年を取ってキャリアを重ねていくと、応援してくれている人が増えていく。その人たちのために勝ちたい、喜ばせたいとハッキリしていきました」

 ファン、家族、トレーナーらが支えてくれた。「まだやれるでしょ」「まだまだ戦う姿を見せてほしい」。体は十分に動く。「この人たちに返していかなきゃ。もうひと踏ん張りしよう」。恩返しを原動力にすると決め、蘇った。

「自分だけの目標ではなくなったのが、今も戦い切れている理由なのかなと思います」。人のためを想うと、柔道の中身がより濃くなった。「また一つ違う覚悟ができた。踏ん張りが効いている感じ」。全日本選手権で初優勝。体重無差別で「日本一」の称号を手にした。

 30代に入り、1年が経った。回復力など体の変化もある。「やりたかったことができなくなると、もどかしさを感じる」。一方、できることも増えた。若い時にはない発想、客観的に自分を見る目が成熟。練習不足とオーバーワークの境目を把握し、経験則が試合への調整にプラスをもたらした。安定したパフォーマンスの発揮に繋がった。

 東京五輪代表落選から数か月で湧き出た覚悟。一瞬の勝負の分かれ目、延長戦でぶっ倒れそうな時間帯に生きてくる。自身も大学時代、試合で組み合った30代の先輩たちから“覚悟の差”を感じ取ってきた。

「鈴木桂治さん(現・全日本男子監督)とか、小野卓志さん(現・全日本男子強化コーチ)と試合をした時、凄い意地を感じていました。最後までやり切ろうとする。そこで負けていく他の先輩には、最終的に気持ちが折れているようなところがありました。年を取ったから最後にポキッと折れるような、少し諦めが出てしまうようなところ。今も勝負をする身としては、絶対にそうはなりたくないというのがあります」

全日本選手権へ、何を表現したいのか「見ている人に感じてもらえたら」

 連覇のかかった昨年12月の全日本選手権は、3日前に突発的な腰痛を発症。歩くことすらままならない。「自分に自信が持てなかった」と出場を迷う中、同じ旭化成所属の仲間に相談した。五輪73キロ級を連覇した同学年の大野将平、2学年下で東京五輪81キロ級金メダルの永瀬貴規との3人のグループLINE。「全日本どうしようかな」。信頼を寄せる2人からこう返ってきた。

大野「そもそも全日本選手権なんて誰が出ても、誰が勝つかわからない大会。だから、畳の上では覚悟や意地が必ず出てくると思うし、どんな姿になっても潔いと思うよ。当日は自分自身の意地に懸けてみたら」

永瀬「僕たちのいう五輪くらいの気持ちを、龍先輩が全日本選手権に懸けていたのならば、どんな形であっても出てほしいです。いい選択をしてください」

 改めて「覚悟」とは何かを考えた。

「永瀬が言った『オリンピックへの覚悟』は自分の中では何なのか。大野が言う畳に上がった時に覚悟、意地って確かに出てくるかもしれない。その時に自分の中でスイッチが入りました。これはもうやるしかないな、と」

 歯を食いしばりながら数試合を終え、腰の状態は最悪。「でも、畳に上がってみると、2人の言葉によって覚悟が出てきた。『いや、負けたくないな』って。最後まで戦い切れた」。結果は準優勝。5試合、心が折れることはなかった。

 今日、迎えるのは王座奪還のかかる舞台。最近の取材では24年パリ五輪を目指すとは言わない。「全日本選手権しか見ていない」。勝つことが大前提。その中で常に「最後」と思って畳に上がる。一体、何を表現したいのか。

「もう上手さとかどうでもいい。『まだこいつはやれるな』『意地があるな』とか、そういうところを見ている人に感じてもらえたら。若手には当然負けていられない。まだまだ負けたくない。僕も先輩たちにやられて悔しい思いをした。組んでいて『経験が凄いな』『上手いな』と感じたこともあった。ちょっと嫌な年上の人として、いてやりたいな」

 組み合わせを見れば年下ばかりだ。アスリートがよく口にするがゆえ、時に安易にも聞こえてしまう「覚悟」というフレーズ。紆余曲折を経たベテランに宿るのは本物だ。

(第2回「競技人口が減っていく日本柔道界の課題」は30日掲載)(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)