中村憲剛×佐藤寿人第10回「日本サッカー向上委員会」@前編 1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。2…
中村憲剛×佐藤寿人
第10回「日本サッカー向上委員会」@前編
1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。2020年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだふたりのレジェンドは、現役時代から仲がいい。気の置けない関係だから、彼らが交わすトークは本音ばかりだ。ならば、ふたりに日本サッカーについて語り合ってもらえれば、もっといい未来が見えてくるのではないか。飾らない言葉が飛び交う「日本サッカー向上委員会」、第10回はチームを牽引する立場を長く経験した両者に「リーダー論」「キャプテン論」を語ってもらった。
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中村憲剛氏と佐藤寿人氏が語るキャプテン像とは?
---- 今回は「リーダー論・キャプテン論」というテーマで話を広げたいと思います。おふたりは「キャプテン」と聞いて、真っ先に思いつくのは誰ですか?
中村 パッと頭に思い浮かんだのはドゥンガですね。あとは柱谷哲二さん。あの年代のサッカーをよく見ていたので、当時活躍されていたふたりの印象がかなり強いです。
佐藤 僕はツネ(宮本恒靖)さん。僕が初めて代表に入った時のキャプテンがツネさんだったんですが、それまでもアジアカップのPKの場面(※)も含め、外からツネさんのキャプテンシーはすごいなと感じていました。
※2004年アジアカップ準々決勝のヨルダン戦は同点のままPK勝負となり、日本は1本目、2本目を続けて外してしまう。宮本はPKを蹴る場所の芝が荒れていたために軸足が滑って外したことを理由に、「こんなPKはフェアではない」と英語で主審に直談判し、異例のPKサイド変更が認められた(関連記事「PKのサイド変更。15年前、宮本恒靖が大胆な進言に至った本当の理由」)。
これはキャプテンとは、またちょっと違う話かもしれないですけど......。実際に僕が入った時にすばらしいと思ったのが、キャンプとかでファンが集まって、サインをもらいにくるじゃないですか。その時にツネさんは、自分のカバンからペンを取り出して、ササッとサインを書いてバスに乗り込んだんです。その姿を見た時に、なんてできた人なんだろうと。
中村 それはすごい。
佐藤 人柄の部分が大きいですけど、キャプテンになる人って、そういうところにベースがあるのかなと。日本代表というチームとして見られているなかで、キャプテンとしてどういう振る舞いをしないといけないのか。
もし、ツネさんが素っ気ない態度をとれば、日本代表のイメージも悪くなる。常にペンを持ち歩いて、いつでもファン対応ができるように準備するなんて、なかなかできないですよ。当時、僕もまだ若かったので、そういうツネさんの振る舞いは勉強になりました。
---- それ以来、寿人さんのカバンの中にもペンが入っているとか?
佐藤 入っていますよ。クルマの中にもペンと色紙を置いています。実際にサインをもらいに来ても、ペンを持っていない人ってけっこう多いんですよね。そういう人たちにも喜んでもらえるように、常に準備はしています。
その行為で、選手のことも、クラブのことも好きなってくれる可能性がある。それこそ、サッカー自体を好きになってもらえるんじゃないかって。ツネさんの受け売りですけど(笑)。
中村 受け売りでもすばらしいです。
---- 憲剛さんが挙げたドゥンガはどういう理由で?
中村 なにせインパクトが相当ありましたから。1994年のワールドカップの時もそうですし、ジュビロに来てから(1995年〜1998年)もすごかった。サッカー選手であんなに怒る人がいるのかって(苦笑)。あの姿はかなり強烈でしたね。
---- キャプテン=怒るというイメージですか。
中村 怒るというよりも、鼓舞するイメージですね。チームを焚きつけることができる人。柱谷さんとか、ラモス(瑠偉)さんとかもそうですよね。なので、子どもの頃は「こういうタイプの選手がキャプテンをやるもんなんだ」と思っていましたよ。
佐藤 憲剛くんがフロンターレに入った時(2003年)のキャプテンは誰でした?
中村 鬼木(達/現・川崎フロンターレ監督)さんだった。で、その次に(伊藤)宏樹さん。
佐藤 同じチームでやった人は影響を受けますよね。僕はジェフに入った1年目(2000年)が中西永輔さんで、2年目が長谷部茂利(現・アビスパ福岡監督)さん。
永輔さんは明るいキャラクターで、みんなを巻き込んでいくような感じ。長谷部さんは本当にロジカルで、大人の振る舞いでチームをまとめ上げていました。キャプテンと言っても、人によっていろんなタイプがあるんですよね。鬼木さんはどうでした?
中村 もちろん影響を受けた部分は大きかったですよ。ただ自分は小学校、高校の時と大学でもキャプテンをやっていたから、何となく自分のなかでキャプテン像というものはあったかもしれない。
佐藤 ポジションもありますよね。憲剛くんの場合は後ろと前をつなぐ役割だから全体をよく見るし、ボールもよく集まってくる。逆にFWは自分のことしか考えていないですからね(笑)。だから僕が広島でキャプテンをやるってなった時に、憲剛くんから「FWはキャプテンやらないほうがいいよ」って言われましたから。
中村 特にFWは負担がかかると個人的に思っていて。最後にゴールを決める役割の人がキャプテンをやると、本来の役割に支障が出る。(小林)悠もフロンターレでキャプテンになったばかりの頃は、かなり悩んでいたから。
佐藤 そうなんですよ。今までストライカーとして言っていた言葉が、立場が変わるとキャプテンの言葉になってしまうので、要求や言葉のチョイスも含めて躊躇してしまう部分はありましたね。
---- たしかにFWのキャプテンは少ないですよね。
中村 ゴン(中山雅史)さんとか、寿人とか、悠みたいにそこから突き抜けられればいいんですよ。点を取ってチームを勝たせることが自分のキャプテンとしての役割だ、というところまで持っていければ成立すると思います。
チームがうまくいかないと、全体を見る立場にどうしても寄らざるを得なくなって、得点を取るという本来の役割からどうしても遠ざかってしまうんですよ。なので、突き抜けるところまで行くのは簡単じゃないし、なかなか難しいと感じていたから、あの時に寿人には言ったんだけど、突き抜けちゃったね(笑)。さすがです。
---- フロンターレでキャプテンに指名された時は、どんな心境でしたか。
中村 2003年に入団して、早い段階(2006年)で副キャプテンになって、2007年にはゲームキャプテンとしてキャプテンマークを巻かせてもらったんですけど、先ほども言ったようにこれまでもキャプテンをやってきた人間ですし、指名された頃には自分がチームの中心でやるんだという気概を持って試合に出ていましたし、代表にも入った頃だったので、ごく自然となった感じです。
ただ、当初は宏樹さんとの2頭体制だったんですね。僕が試合ではキャプテンマークを巻いていましたけど、宏樹さんが裏でうまくチームをまとめてくれていました。だから、本当の意味でチームのキャプテンになったのは、2013年にあの人が引退してからなんですよ。
そこからはある意味、孤独でしたね。自分はずっとやりたいことをやっていただけで、裏でチームを回していたのはあの人だったんだなって、いなくなって気づきました。しばらくは"宏樹ロス"でしたね(苦笑)。
---- イメージするキャプテン像はあったんですか?
中村 理想は正直なかったですね。ただ、チームを勝たせたい気持ちが一番強い人がやるべきというのはずっと思っていて、その時はチームのことを一番考えているという自負があったし、自分がやらなければいけないという想いもありました。だから、キャプテンになったといってもそんなに変わらなかったんですが、宏樹さんがいなくなって、初めてその重さに気づくという。
佐藤 チームがいい状態の時だったらいいですけどね。うまくいかなくなった時に、やらなければいけないことが増えてくるんで。
中村 うまくいっている時は何にもしなくていいけど、うまくいかない時にどうするか。みんなで集まって話をしようとかも考えましたよ。ただ、あまりそれはやりたくなかった。ピッチ上で解決するべきだと思ったし、みんなで部屋に集まって話すのは最終手段だなといつも思っていましたから。
---- よく、チームが苦境に立たされた時にバーベキューをしますよね。
佐藤 この間、(内田)篤人が「バーベキューは終わりの始まり」って言ってましたよ(笑)。
中村 それは...俺もそう思う...。
佐藤 グラウンドレベルで解決しないといけないのに、グラウンドから離れちゃうわけですから。
中村 そう。だから本来バーベキューは、いい時の雰囲気をさらに加速させる意味でやったほうがいいと個人的には思う。篤人の「バーベキューは終わりの始まり」は、ものすごく的を射てるな。
佐藤 建設的な話ができるわけでもないですし、現実から逃げているだけなので、ピッチ上の問題解決にはならないんですよ。
中村 寿人、そこまで言ったら、どのチームもバーベキューやりにくくなっちゃうぞ(苦笑)。
---- 寿人さんもサンフレッチェ広島、名古屋グランパスとキャプテンを経験していますね。
佐藤 僕がキャプテンマークを初めて巻いたシーズンは、2007年に広島が降格してからなんです。それまでは戸田(和幸)さんが巻いていたんですが、試合にあまり出られなくなってきて。クラブとしてもなんとかJ1に戻らないといけないという状況のなかで、試合に出ている選手をキャプテンにという流れもあって、自然とキャプテンマークを渡された感じでしたね。
---- どういった想いでキャプテンの役割を担っていたのですか。
佐藤 もちろんストライカーとして、自分が点を取りたいという想いはありますけど、それ以上にクラブがドン底にいたので、何としてでもいいサイクルに戻さないといけない。J1復帰に向けて全員のベクトルを合わせて、どうやってチームをまとめていくかということを考えていたと思います。
それまではポジション的にも、自分がどういうふうにプレーするか、だけを考えていました。ですが、キャプテンをやったことでチーム全体を見るように意識しました。
若い選手がどういうことを考えているのか。どういう状態で取り組んでいるのか。そうやってチーム全体に目を配るなかで、いろんなことを感じ取れるようになっていったので、キャプテンを経験できたことは本当によかったと思います。
(中編につづく)
【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに入団。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。
佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪→ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。