旗手怜央の欧州フットボール日記 第3回 連載一覧はこちら>>Jリーグの川崎フロンターレから、スコットランドのセルティック…
旗手怜央の欧州フットボール日記 第3回 連載一覧はこちら>>
Jリーグの川崎フロンターレから、スコットランドのセルティックに活躍の場を移した旗手怜央。初めての欧州サッカー、欧州生活で感じた、発見、刺激、体験を綴っていきます。第3回は「海外組初体験」となった日本代表戦と、その後のレンジャーズ戦について、過酷な日々を振り返ります 。
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結果を残し、生き残るのが日本代表
ゴールを決めたわけでもなければ、アシストを記録したわけでもない。
それでも4月3日のレンジャーズ戦(リーグ第32節)は、自分にとって意味のある、そして価値のある一戦だった。
今回初めて、いわゆる"海外組"の立場で、日本代表の活動に参加した。プレーしたのは、3月29日に戦ったベトナム戦の前半45分だけだった。日本がカタールW杯出場を決めた3月24日のオーストラリア戦のピッチに立つことはできなかったけど、選手としてあの瞬間に立ち会えたのは、自分のサッカー人生においてとても光栄で幸せなことだった。

カタールW杯アジア最終予選最後のベトナム戦で、A代表戦デビューをした旗手怜央
同時に、結果を残したのが川崎フロンターレ時代の同期である(三笘)薫だったこともあり、自分自身ももっと成長しなければと、改めて決意する契機にもなった。心境としては、まだまだぼんやりとしているけれども、薫の活躍を見て、自分も日本代表の一員として結果を残し、W杯のピッチに立ちたいという気持ちも芽生えた。
前半45分間のみのプレーに終わったベトナム戦は、選手としては正直、もっとやりたかったというのが本音だけど、インサイドハーフで出場できたこともあり、セルティックでやっているプレーはできた感覚もあった。
同時に4-3-3システムでは、ともにプレーする中盤3人の特長とやりたいことを瞬時に理解して、最大値を発揮する"即興力"が問われることも再認識した。個人的には2本のシュートを打つ機会に恵まれながら、それを活かせなかった悔しさも残っている。
W杯出場を決めたあと、先輩たちが「ここからまた新たな競争が始まる」と、話してくれたが、限られた時間のなかで結果を残した選手たちが生き残っていくのが代表の世界であることも身に染みて感じた。
W杯本番のメンバー入りにチャレンジしたい
4月1日にあったW杯本大会の組み合わせ抽選会は、リアルタイムで視聴した。正直な感想としては、ここに入ったら厳しいなと思っていたグループに組み込まれたと、最初は思った。
一方で、日本としては厳しいグループを勝ち上がっていくことに意味があるのではないかとも感じた。セルティックへの移籍を決断したのも、このチームで結果を残し、チャンピオンズリーグ(CL)の舞台に立ちたいという思いがあったからだ。ドイツ、スペインといったCLに出場している常連のような選手たちと、真剣勝負ができる舞台を欲して、自分はヨーロッパに渡ったのだから。
抽選会を見ながらカタールW杯の日程を確認すると、開幕は11月21日になっていた。偶然にも自分が25歳になる誕生日だった―― 。
その瞬間を自分はどういう状況で、どういう心境で迎えているのだろうか。
ふと思い出したのは2021年の東京五輪2020だった。結果的に4位に終わったあの大会で、自分は5試合に出場することができた。メダルを逃した悔しさは今もなお残っているけれど 、思い起こせば東京五輪を目指す日本代表の活動がスタートした時、自分は決して主力と言える位置づけではなかった。
おそらくメンバー選考においても、いわゆる当落線上にいただろう。コロナ禍により大会が1年延期されたこと、川崎フロンターレで左サイドバックという新境地を拓けて、自分は五輪の舞台に立つことができた。
同じように今は、日本代表にコンスタントに選ばれ、結果を残している選手ではないけれども、W杯が開幕する11月21日までに、自分がどれだけ成長できているかはわからない。でも、そこにチャレンジしてみたいという思いが沸いた。
そして、冒頭の話題に戻る。
日本代表の活動を終え、戻ってすぐに行なわれたレンジャーズ戦に先発出場の機会をもらえたことが、自分にとっては大きかった。
1月17日のハイバーニアン戦でデビューしてから、ヨーロッパの強度を感じるなかで、ここまで連戦を戦ってきた。その間、ずっと試合に起用し続けてもらっているのは、チームの信頼を勝ち得てきている証として、大きな自信につながっている。
戻ってきてのレンジャーズ戦が自信に
一方で、自分自身でも初めてと言えるくらい、精神的にも肉体的にも疲労を感じている。グラスゴーに来て3カ月。新しい環境に慣れようと、サッカーも、生活も試行錯誤してきた。日本にいた時ならば、さまざまな方法でリフレッシュしたり、気分転換ができていた。しかし、連戦を戦うなかでは、なかなかその手段を見つけられずにいた。
例えば、飛び出したいタイミングで、そこに行けなかったり、チームのバランスを考えて攻撃参加をあえて自重した時には、自分自身でも疲れを認めざるを得なかった。
加えて日本代表の活動ではオーストラリア、日本、そしてスコットランドと、短期間での長距離移動があった。初めて海外組と呼ばれる立場になり、移動によるコンディションの調整、維持、そして活動を終えてから再び所属チームで結果を残すことの大変さに直面した。
今回、初めて日本代表のオフィシャルスーツを採寸してもらい着用させてもらった。その話題になった時、キャプテンの(吉田)麻也さんが、こう言っていた。
「代表のスーツを作ってもらうの、もう何回目になるかな」
その時は何気なく聞いていたが、セルティックに戻って、言葉の重みを感じた。あの人はもう何年もずっと、この工程を繰り返し、戦い続けているんだと。
代表の活動で自チームを離れれば、その間にポジションを失う可能性もある。セルティックに戻った初日には、ボールが二重に見える瞬間があり、明らかな時差ぼけも感じた。ヨーロッパで戦うには、そうしたコンディション調整や所属チームでのポジション争いを勝ち抜いていくタフさが求められる。
それを身に染みて感じていただけに、レンジャーズ戦に先発出場できたことが大きく、そして途轍もない自信になった。
だから―― 。レンジャーズ戦の同点ゴールのきっかけを、自分が作れたのが大きかった。開始早々の3分に先制された前半7分だった。自分が打ったミドルシュートをGKがはじいたところをトム・ロギッチが決めて、チームは同点に追いついた。43分に追加点を挙げて2-1で勝利し、首位を守るとともに連勝を伸ばすことができた。
記録的には、自分にはゴールもアシストもついていない。でも、チームの勝利に爪跡を残せたのは大きかった。あのプレーがあったから、続くセント・ジョンストン戦で先制ゴールを決め、PKを獲得するプレーにもつなげられていると思っている。
信頼を勝ち得るには時間が掛かるが、失うのは一瞬だと感じている。
チームにはやり続けてきたことによる積み上げを感じる一方で、シーズン途中に加入した自分たちの力もあって、2位から首位に立つことができていると、(前田)大然とも話している。
リーグ戦も佳境になり、自分でも認めるくらいに疲労を感じてはいるけど、チームがリーグ優勝するために、今の自分にできることをやり続けたい。その先に、おそらくタフさや逞しさがあると信じている。
旗手怜央
はたて・れお/1997年11月21日生まれ。三重県鈴鹿市出身。静岡学園高校、順天堂大学を経て、2020年に川崎フロンターレ入り。FWから中盤、サイドバックも務めるなど幅広い活躍でチームのリーグ2連覇に貢献。2021年シーズンはJリーグベストイレブンに選ばれた。またU-24日本代表として東京オリンピックにも出場。2021年12月31日にセルティックFC移籍を発表。今年1月より、活躍の場をスコットランドに移して奮闘中。3月29日のカタールW杯アジア最終予選ベトナム戦で、A代表デビューも果たした。