ケンドーコバヤシ令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(1)前編 芸名の由来は、悪役レスラーとして一時代を築いたケンドー・ナガサキ。子供の頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してきたケンドーコバヤ…

ケンドーコバヤシ
令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(1)前編

 芸名の由来は、悪役レスラーとして一時代を築いたケンドー・ナガサキ。子供の頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してきたケンドーコバヤシさんが、独自の目線で名勝負を語り尽くす連載がスタート!

 その1試合目に選んだのは、ほんの些細なきっかけからファンを熱狂させた"異種格闘技戦"だった。



小林邦昭(左)に殴りかかる齋藤彰俊

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――ケンコバさんが令和に残したい名勝負。記念すべき1試合目を教えてください。
 
「大阪の実家に、プロレスの試合を録画したVHSのビデオテープが何本も置いてあるんです。ウチにビデオデッキが設置された1985年、俺が中1の時から、新日本や全日本などすべての放送を3倍速で録画していました。『見られなくなる前に、DVDなりブルーレイなりに焼かなアカンな』と思っている試合は多いんですが、あれだけは絶対に焼いておかないとっていうのは......」

――ズバリ、どの試合ですか?

「1992年1月30日の小林邦昭vs齋藤彰俊です」

――大田区体育館で行なわれた一戦ですね!

「新日本プロレスと誠心会館(空手)の、全面抗争の幕開けとなった試合です。この試合の何がいいって、2人が入場曲なしで入ってきたこと。しかも『第何試合』という扱いじゃなく、全試合が終了して『今日の大会はここまで』となったあとに、『もう1試合だけやります』みたいにアナウンスされたんです。

 それで静かに両陣営が入ってきて"果たし合い"みたいな雰囲気になった。これは、仮に演出やったとしても凄い演出やと思うんです。だから、俺はいまだに実家へ帰るたびに『あのVHSどこかな?』ってゴソゴソ探すくらい、後世に残したい試合なんですよ」

――その試合が入ったVHSは見つけられていないんですね(笑)。確かにその一戦はすさまじい試合でしたが、抗争が始まったきっかけはすごく些細な出来事でした。

「そうなんですよね。試合の前年の12月、誠心会館の自主興行に小林さんが出場した時に、誠心会館の門下生が控室のドアを閉めず、それを小林さんが注意して門下生を殴った。これを『やり過ぎだ』と齋藤さんが激怒して、そこから新日本と誠心会館の抗争に火がついた。事の発端が控室のドアを閉めたか閉めんかった程度で始まるとは(笑)。ただ、これには別の説もあって......」

道場で目撃した虎ハンターの意外な一面

――別の説とは!?

「門下生がドアを閉めなかったっていう重要なシーンを、小林さんが見てなかったという説です。当時レフェリーをしていたミスター高橋さんが『邦昭、誠心会館の青柳(政司)を激励に来た若いヤツら、扉を閉めなかったぞ』みたいにささやいて、仕掛けさせたっていう話もあるんですよ」

――なるほど。仕掛け人がいたかもしれない、ということですか。

「俺は、小林さんが初代タイガーマスクの宿敵で"虎ハンター"と言われていた時から好きでした。タイガーマスクとの抗争ではマスクを破ったりして、悪いことをする人という印象だったのが、この控室のトラブルを聞いた時は、『そういう"風紀委員"的なところあるんやな』と意外で。のちに、その俺の見立てが間違っていなかったことを象徴することがあったんです」

――どんな出来事ですか?

「俺が若手芸人の時に、新日本プロレスの道場でロケをさせてもらったことがあったんです。当時、俺は山本小鉄さんのモノマネをしていたので、小鉄さんにその許可をもらいにいくというロケでした。すでに小鉄さんは若手選手(ヤングライオン)たちを教えるコーチから外れていたんですけど、"特別コーチ"として久々に道場に来てもらったんです」

――それは貴重ですね。選手たちはピリっとしたんじゃないですか?

「それが、ヤングライオンのみなさんにはお礼言われたんです。あの頃は、柴田(勝頼)さん、棚橋(弘至)さんがまだ丸刈りの若手だったんですが、『僕たち、小鉄さんの指導に憧れてたんで、今日はめっちゃうれしいです』って、なごやかムードだったんですよ。

 そうしたらいきなり、小林さんがバーンと道場に入ってきて、『おぅ、俺のゴルフクラブどこだ?』と。そうしたら丸刈りのヤングライオンたちが『こちらです!』と直立不動になったんです。

 そんな場面は普段だったら絶対に見られませんから、『これはエエモン見た』と思いましたよ。言葉はいかついですが、その時の小林さんの雰囲気は、まさに規律を重視する風紀委員そのもの。しかも俺にとっては『小林邦昭、ゴルフクラブを道場に置いてんねや』という貴重な情報も得ることができて......あれはホンマにいい体験でした」

衝撃を受けた試合結果

――数ある「新日本の道場伝説」に加えたい逸話ですね。試合の話に戻りますが、あらためて齋藤さんとの試合は壮絶でしたね。

「発端は些細でも、試合は『こんなのない』ってくらい、ものすごく面白かった。最初は小林さんが投げまくって、瞬く間に齋藤さんが血まみれになってフラフラしているのに、何回も立ち上がった。俺は、齋藤さんの空手着が血で染まっていく様を『きれいだな』と思っちゃいましたよ」

――確かに、あの時の齋藤さんの気迫は凄かったです。

「試合もルール無用なところがあって、齋藤さんが繰り出した技で覚えているのは正拳突きくらい。それを小林さんの眉間に当てまくるっていう、まさにケンカでした。

 それで、小林さんが負けたのにもびっくりしました。ジュニアでトップを極めた男が、館長の青柳さんに負けるのならまだわかるけど......当時の齋藤さんは『W★ING』の試合には出ていたものの、俺の中では青柳館長の弟子、教え子と思っていたんで、言ってみれば"一般の空手家"。そんな人にトップレスラーが負けた衝撃は、とてつもなく大きかったです」

――しかもリング上だけじゃなく、セコンド同士も殴り合っていましたね。

「一般の空手道場に通っている人がリングに上がった。これは凄いことです。客席も沸騰していてね。振り返ると、あの頃がギリギリ、セコンドも客席でもケンカが起こる最後の時代やったと思います。客席が荒々しかった最後の時代。それがまた、余計に緊張感を生んだんです。しかも、この試合後のストーリーもどんどん発展していくんですよね」

(後編:抗争が決着。試合後の齋藤に長州が「ウチでやれ」>>)