ケンドーコバヤシ令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(1)後編(前編:新日本vs誠心会館の発端となった控室のドア事件>>) ケンドーコバヤシさんが、プロレスの名勝負を語り尽くす連載の1試合目に挙げたのは、1992 年1月30日の新日本プロレス・…

ケンドーコバヤシ
令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(1)後編

(前編:新日本vs誠心会館の発端となった控室のドア事件>>)

 ケンドーコバヤシさんが、プロレスの名勝負を語り尽くす連載の1試合目に挙げたのは、1992 年1月30日の新日本プロレス・小林邦昭と誠心会館・齋藤彰俊の"果たし合い"。前編では、そのきっかけとなった控室のドア事件、小林の意外な一面を振り返ったが、後編では抗争決着の瞬間と、そのあとの「見事な流れ」を熱く語った。



小林邦昭との試合後にマイクを持った齋藤彰俊

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――まさかの小林さんが敗れた一戦から、新日本プロレスと誠心会館の抗争は拡大していきました。

「そうですね。ただ、俺はこの時、すごく腹が立っていた人物がいたんですよ。誠心会館の館長、青柳政司さんです」

――それはなぜですか?

「この抗争が勃発する前、青柳館長は新日本サイドにいた。そんな中で"控室のドア事件"が起きて弟子たちが決起したわけですが、館長は新日本サイドにいるのに、弟子たちも可愛い......そんな煮え切らない態度を取り続けていたんです。だから当時の俺は、『どっちかに決めろよ!』とイライラしてしまって」

――態度がどっちつかずになっていましたね。

「新日本と誠心会館の真ん中で仲裁するみたいな感じでしたね。新日本に不満もありながら、弟子たちには『小林の気持ちもわかる。ドアを閉めなかったお前らも悪いだろう』という姿勢だったから揉めたりもして。ただ、その優柔不断さにイライラしながらも、俺は『館長にもいろいろあるんやろうなぁ......新日本からのギャラは、道場の運営に回してるんだろう』とか、勝手に考えていましたよ」

――青柳館長の煮え切らなさが、社会の厳しさも教えてくれたんですね(笑)。

「結果的にそうなりましたね(笑)。俺がそんな複雑な思いを抱えているなか、小林さんと齋藤さんの再戦が組まれたんです」

「小林はつらいやろな」

――初対決から3カ月後。1992年4月30日の両国国技館ですね。試合は、ギブアップかKOのみで決着がつく特別ルールでした。小林さんは進退を、齋藤さんは誠心会館の看板をかけて戦いました。

「この試合、俺は小林さんを直視できませんでした。その試合前の2月に『小林さんの敵討ちだ!』と息巻いていた小原道由さんを齋藤さんが返り討ちにして、新日本に2連勝。ファンの間でも『こいつ、凄いぞ』と人気が出てきていたし、『また小林が負ける姿を見たい』という空気になっていましたから」

――齋藤さんはマスクもよかったですしね。

「本当に凛々しい人で、イケメンでした。憶えているのは、ヤンキーの格好をした高校時代の写真が、格闘技雑誌で発掘されたこと。チャラチャラしていない硬派なヤンキーという感じで、その記事では、同じくプロレスラーになる同級生の松永光弘と『ブイブイいわせてるヤツをやっつける』といった秘話を明かしていた。『相手が何人でも、俺たち2人が揃えば大丈夫』と言っているのが、『ビー・バップ・ハイスクール』のヒロシとトオルみたいでしたよ」

――そうして過去も注目されるほど人気急上昇中の齋藤さんに、今度は小林さんが挑む形となりました。

「人間には、上の立場にいる者が転落していくところが見たい、という意地悪な感情があるじゃないですか。あの試合は、そういうムードが確かにあったんです。だから僕は、小林さんが3カ月前とは違う立場に追い込まれたと感じていて、『小林はつらいやろな』と直視できなかったんです」

――試合は、初戦を上回る大流血戦になりました。

「凄い試合で、俺の心配をよそに小林さんがリベンジを果たした。この時は両国と千葉ポートアリーナ2連戦で、2日目の5月1日には青柳館長と越中(詩郎)さんが対戦。追い込まれていた青柳館長が、越中さんのドラゴンスープレックスで負けて完全決着となりました。それでやっと、煮え切らなかった青柳館長が立場を決めたんです。『誠心会館側につく』と」

揉めごとをエンタメにする「猪木イズム」

――館長がやっと覚悟を決めた瞬間でした。

「でも、それよりもドラマチックだったのは、小林さんがリベンジを果たした試合が終わったあとです。新日本の現場監督だった長州(力)さんが、齋藤さんの控室を訪れて『よくやった』と肩をたたき、『ウチでやれ』って言ったところですね」

――そこから、齋藤さんは新日本に本格参戦することになります。

「こんな見事な流れがありますか? しかも、そこから反選手会同盟、平成維震軍へとつながるわけですから。控室で偶然起こったケンカを、骨太なストーリーにしてしまうダイナミックさ。当時、見ているほうは『来週はどうなんねん?』って、毎週テレビにかじりつくしかありませんでした。

 こういったことは、今の時代でもあると思うんですよ。なんとなく『人間性が合わへんな』とか、『こいつとは仲良くなれない』って感じることが。唯一、今のプロレス界に不満があるとするならば、そういったものをぶつけ合っている感じが足りないところですかね」

――興奮と熱狂は、本気の感情がぶつかった時に生まれますよね。

「芸人の世界でもありますよ。楽屋で『こいつら、ちょっと揉めたな』って」

――そこから長い抗争に発展することもあるんですか?

「僕と千原ジュニアさんのトーク番組『にけつッ!!』で、俺らが立会人になって何個かそういうのを"処理"してます。例えば、アンガールズの田中(卓志)とロッチの中岡(創一)、スピードワゴンの井戸田(潤)とバイキング小峠(英二)が揉めた時も俺らが終わらせました。揉めごとをエンタメにする。『にけつッ!!』という番組は、あの頃の新日本を目指しているんです」

――猪木イズムですね!

「まさに、『すべてをビジネスに変えろ』という猪木さんの思想です。

 ただ、こうして話していてあらためて感じますが、新日本と誠心会館の争いが生んだ熱狂はすごかった。俺は抗争が激化するにつれて誠心会館勢に惹かれていった感があります。敵地に乗り込んで、自分たちを応援する声もないのに『こんだけ頑張るんや』と。だいぶ心を動かされましたね」

――確かに、あの必死さは見る者を惹きつけるものがありましたね。

「その原点が、あの大田区体育館で行なわれた小林さんと齋藤さんの果たし合い。新日本がすべてを受け入れて、『入場曲なし、全試合終了後の特別枠で果たし合いをやろう』という演出に決めたのがいいですよね。その、ガチでやったる感が」

――控室のドアを開けたか、閉めたかというのがきっかけなのも、どこかリアルですよね。

「小林さんのその時の対応は本気の感情だったと思いますけど、演出を考えて『派手に怒ったほうが盛り上がる』と瞬時に思ったのかもしれない。その真相はわかりません。いずれにせよ、この一連から学ぶとすれば、『火種は控室にある』ということですね」

(つづく)