見るからにマウンドに立つ矢澤宏太の様子がおかしい。球速は145キロ前後が出ているものの、いかにもボールが走っていない。投げた瞬間にはっきりボール球とわかる抜け球も目立った。 矢澤にいったい何が起きているのか。らしくないボールの数々を見て、…

 見るからにマウンドに立つ矢澤宏太の様子がおかしい。球速は145キロ前後が出ているものの、いかにもボールが走っていない。投げた瞬間にはっきりボール球とわかる抜け球も目立った。

 矢澤にいったい何が起きているのか。らしくないボールの数々を見て、何度も首をかしげてしまった。



投打で高い評価を受ける日体大・矢澤宏太

 日本体育大の矢澤は現時点で2022年のドラフト戦線で最注目の存在だ。投手としては速球も変化球もずば抜けたキレを誇るサウスポー。野手としても走攻守に一級品の才能を持ったオールラウンダー。「投手としても野手としてもドラフト1位クラスの評価を受けたい」。それが矢澤の描く野望である。

7四球も粘りの投球

 下級生時は野手としての能力が際立っていた。だが、上級生になるにつれ、投手として急成長。今やスカウト陣に「投手か? 野手か?」と悩ませる実力を身につけ、プロでの「二刀流」も現実味を帯びている。

 ところが、今春リーグ2度目の登板となった4月9日の東海大戦。「4番・投手」で先発出場した矢澤は、明らかにマウンドで苦しんでいた。この日、初めて矢澤を見た人がいたら、7個もの四球を乱発する姿に物足りなさを覚えたに違いない。

 試合後の会見で、矢澤は左手の人差し指と薬指にマメができ、思うような投球ができない一因になったことを明かした。

「気づいたら指先にマメができていて、ぷっくりふくらんでいたんです。最初からあまり力が入らなくて、ずっと指先が変な感じのまま投げていました」

 しかも、相手は首都大学リーグを代表する名門・東海大である。優勝争いをするうえで絶対に負けられないプレッシャーものしかかる。投手としても打者としても主力の矢澤は、その責任を一身に背負っている。

 だが、矢澤は出塁こそ許すものの、粘りの投球を見せた。とくに効果的だったのは、タテに大きく落ちるスライダー。ヒザ元にこの球が決まると、東海大の右打者はグリップで腹を切るような窮屈なスイングで凡打を重ねた。スライダーについて、矢澤は「力が入らないのが逆によかったのかも」と振り返る。

 悪いなりに抑える。それは矢澤の大きな進化を物語っていた。いい時はいいが、悪い時はとことん悪いのが「投手・矢澤」の高校時代からの課題だった。日本体育大の辻孟彦コーチは、矢澤の高校時代についてこう語っていたことがある。

「僕は矢澤が高卒でドラフトにかかるものとばかり思っていたんですけど、最初に見に行った試合は荒れ放題でした。フォアボールはイニング数以上に出していましたし、点も結構とられていて。その代わりバッティングはホームランを2本も打っていて、最初は『バッティングのほうがいいかな』という印象すらありました」

 そんな不安定さが評価を落としたのか、高校時代の矢澤はプロ志望届を提出しながら指名漏れの憂き目にあっている。日本体育大進学後は辻コーチと二人三脚で体づくりに取り組み、リーグ戦期間でも先を見据えて厳しいトレーニングを続行。小手先に走ることなく、じっくりと実力を養成してきた。

打者としても見せ場

 そして大学最終学年を迎え、矢澤はまたひとつ脱皮しようとしている。7回までに136球もの球数を要し、2失点(自責点1)とまとめた投球について、矢澤はこんな実感を語った。

「悪いなりに、右バッターにも左バッターにも大事なところでインコースに投げきれたのがよかったと思います」

 打者・矢澤としても、この日は見せ場をつくった。1打席目はファーストゴロに倒れ、開幕節の2試合で記録した7打数連続安打の記録は途絶えた。だが、この凡退で「ラクになった」という矢澤は、次の打席でセンター前へポトリと落とす2点適時打を放つ。さらに50メートル走5秒80(光電管測定)の快足を飛ばして二塁を陥れた。

 7回で降板したあとはライトのポジションに回り、2対2の同点で迎えた8回裏には決勝点となる押し出し死球を受けた。

「自分が決めてやると思いながら打席に入ったんですけど、踏み込み気味にいった右脛に当たってラッキーでした」

 投手としても打者としても、内容としては物足りないパフォーマンスだったかもしれない。だが、矢澤は結果を残し、チームは勝利した。この事実の重みを理解しているからだろう。矢澤はこんな実感を口にした。

「調子は全然よくなかったんですけど、リーグ戦は結果が大事なので。その点はチームが勝てたのでよかったです」

 プロ野球選手でも、年間通して絶好調の日など数日あるかないかと言われる。いかにして状態が悪い日に、最低限の仕事ができるかがプロでの成否を決めるといっても過言ではないかもしれない。

 アクシデントにも屈しなかった矢澤は、またひとつ高い壁を乗り越えた。この先も心技体に壁を越え続けていけば、2022年ドラフトは「矢澤ドラフト」と呼ばれるはずだ。