4月17日に開催されたボストンマラソンで、初マラソンにもかかわらず3位入賞し、世間の耳目を集めた大迫傑(すぐる)選手。日本人男子選手がボストンで表彰台に立つのは、瀬古利彦氏(現横浜DeNAランニングクラブ総監督)が優勝して以来、実に30年ぶ…

4月17日に開催されたボストンマラソンで、初マラソンにもかかわらず3位入賞し、世間の耳目を集めた大迫傑(すぐる)選手。

日本人男子選手がボストンで表彰台に立つのは、瀬古利彦氏(現横浜DeNAランニングクラブ総監督)が優勝して以来、実に30年ぶりだった。

快挙の達成から時間が空いた5月2日、改めて大迫選手はボストンマラソンを振り返った。

「とりあえず、足がすごくきつかった。終わった瞬間は、次はもういいかな…とさえ思いました(笑)。特にボストンは下りがきつく、ダメージがありました」

2時間10分28秒で3位に入賞した大迫選手。「タイムはともかく、思ってた以上にいい順位だった。そこは良かった」と嬉しさを口にする。

初マラソンの目標は2時間11~12分台だった。「11~12分台を出せば、5~6番には入れるだろうとコーチ(ピート・ジュリアン氏)と話していた」

マラソンに向けたトレーニングを始めたのは2016年10月ごろ。フルマラソンに標準を合わせたのは2017年2月5日に開催された第71回香川丸亀国際ハーフマラソンを走り終わったあとだ。大迫選手のタイムは61分13秒だった。

「練習期間が短すぎではないか」と囁かれることもあったようだが、本人は「練習においても徐々に走る距離を伸ばしていたので、(マラソンへの)練習期間が短いということはなかった」と飄々と語る。

「手ごたえを感じた。(香川丸亀国際ハーフマラソンを)走り終わった段階で、マラソンも走れると思った」

2020年東京オリンピックをマラソンで狙うなら、早いうちに大会で走っておいた方がいい。そう考え、カレンダーをながめて見つけたのが、ボストンマラソンだった。

大迫選手もひとりの人間だ。初めてのフルマラソン。走る前に不安を感じることもあった。しかし、マラソンを走る前、コーチであるピート・ジュリアン氏にかけられた言葉が、大迫選手の肩を軽くした。

「『誰しも42キロを走る前は不安なんだ。それが当たり前の反応だ。走れるかどうか心配。その感覚が正常で、そういうことを考えていなかったらおかしい』と言われ、気持ちが楽になった」


来たる東京五輪について、大迫選手はどう考えているのか。

「マラソンも、トラックもどちらも可能性がある。ただ、マラソンで出場できたら注目度も高いし、いいかなと」

リオデジャネイロオリンピックを終えたばかりの大迫選手に会ったとき、初めて参加した五輪という大舞台であっても「(普段の大会と)変わるところはない」と何度も口にしていた。

では、母国開催である東京オリンピックも、やはりそういった感覚で臨むのだろうか。

「もちろん、周りの注目度などの要素は(他の大会と比較して)変わるとは思うが、自分のやることは変わらない。心に変化がないとは言えないが、なるべくそういった変化がないようにしたい」

大迫選手の大会に臨む姿勢は常に一貫している。どの大会でも、特別視して臨むことはない。リオオリンピックの舞台でさえ、「大きく変わったことはない」と明かした。

日々の走りの蓄積の中で出会う、結果を確認する場所の一つが「大会」で、その後も淡々と走りを継続し、成長し続ける。今回もひとつの舞台として、「東京オリンピック」が現れてくるだけなのだろう。

とはいえ、東京オリンピックに向け目標は掲げている。

「具体的な目標は2、3回とマラソンを走っていく中で決まっていくものだと思うが、やはりメダルを狙いたい」

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航

大迫傑撮影者:大日方航