「ウマ娘 プリティーダービー」では、そのストーリーのなかで、元ネタとなっている競走馬の史実とは異なる、ifの物語がいくつか紡がれている。ウマ娘たちの能力の限界を追い求め、トレーナーすらも実験素材として研究対象にすることを厭わない研究者キャラ…

「ウマ娘 プリティーダービー」では、そのストーリーのなかで、元ネタとなっている競走馬の史実とは異なる、ifの物語がいくつか紡がれている。ウマ娘たちの能力の限界を追い求め、トレーナーすらも実験素材として研究対象にすることを厭わない研究者キャラとして描かれているアグネスタキオンの物語もそのひとつ。



アグネスタキオンは最後となったレース、皐月賞でも圧勝した

 ゲームではリリース当初から育成ウマ娘として実装されており、星1つながらその高い能力による育成のしやすさから、ゲーム序盤から多くのプレーヤーが重用していたはず。また、育成ストーリー内で皐月賞のあとに、今後について『出走するかどうかの約束はまだできない、いいね』と強い語気でトレーナーに主張する。そのあとが史実と異なるifにあたり、後に、何故彼女がこうした研究者キャラとなったのか、彼女の口から理由が明かされていくことになる。

 史実のアグネスタキオンも、ズバ抜けたプロフィールと能力の持ち主であった。父は当時をときめくリーディングサイヤーであったサンデーサイレンス、母は桜花賞馬アグネスフローラ、祖母はオークス馬アグネスレディー、ひとつ上の全兄アグネスフライトは日本ダービー馬という目も眩むような血統。調整がやや遅れたものの、2000年の12月、3歳(旧表記)新馬戦を難なく勝利すると、続いて出走したGIIIラジオたんぱ杯3歳S(阪神・芝2000m)で一気にその評価を固める。

 出走メンバーには、同じ舞台のエリカ賞(阪神・芝2000m)をレコードで圧勝してここに臨むクロフネ、2戦2勝でGIII札幌3歳S(札幌・芝1800m)を勝利したジャングルポケットの名前があった。人気はこの3頭に集中したものの、エリカ賞が評価されたクロフネが単勝1.4倍で、アグネスタキオンはジャングルポケットとともに2番手評価に甘んじていた。

 しかし、ふたを開けてみると、好位追走から横綱相撲を試みながらも伸びを欠くクロフネと対照的に、アグネスタキオンはその外を悠々と回って、最後は2着に追い上げたジャングルポケットに2馬身半差をつける圧勝。しかも、クロフネが記録した2000mのレコードを0秒4更新してみせた。そのクロフネも3着に敗れたが、伸びを欠いたわけではなく、前走自身が記録したタイムと0秒2差で走っており、4着以下にはさらに5馬身の差をつけていたように、勝ったアグネスタキオンがケタ違いだったにすぎない。事実、そのあとジャングルポケットもクロフネも、日本を代表する競走馬となっているのはご存知のとおり。

 年が明けて、21世紀最初の年となった2001年から、日本の馬齢表記が現在のものとなった。

 その新3歳になって、アグネスタキオンはGII弥生賞(中山・芝2000m)から始動する。早くからこのレースで走ることを明言していたため、対戦を避ける陣営も多く、8頭立てのレースとなった。当日は初の不良馬場となったが苦にすることなく、2着のボーンキングに5馬身差をつけ、単勝1.2倍の支持に応えた。

 ここまでの勝利と、前述の血統構成、特に全兄のアグネスフライトが前年のダービーを制していることから、俄然クラシックへの期待は高まっていくことになるが、ここへ、若駒S(京都・芝2000m)、GIIIきさらぎ賞(京都・芝1800m)と無敗で勝ち上がってきた、同じ長浜博之厩舎、同じ渡辺孝男氏所有、父も同じサンデーサイレンスのアグネスゴールドが、遅れてきたライバルとして台頭。

 弥生賞の2週後に行なわれた皐月賞トライアルのGIIスプリングS(中山・芝1800m)も勝利して、同厩舎同馬主の無敗対決がGI皐月賞(中山・芝2000m)の焦点となるが、スプリングSの翌日、最大のライバルとなるはずだったアグネスゴールドは右前脚の骨折が判明し戦線離脱。

 最大のライバル不在で迎えた皐月賞は、弥生賞よりも多いフルゲートの18頭が出走したのにも関わらず単勝1.3倍の支持を集めると、好位5番手の位置から、難なく抜け出して勝利した。この勝利によって、いよいよシンボリルドルフ以来の「無敗の三冠馬」への期待が不動のものとなっていく。

 しかし、皐月賞から2週間後、今度はアグネスタキオンが左前脚の屈腱炎を発症。屈腱炎といえば「走る馬ほど罹りやすい」と言われる疾患。ウマ娘作品中の「エンジンばかりが立派で機体が脆かった」というセリフはここへとつながってくる。

 ダービーを回避し、復帰に向けて休養に出されるが、その道も断念。8月に引退・種牡馬入りが発表された。ifの物語とは異なり、アグネスタキオンの競走馬としての物語はここで終わりを告げる。

 その年のGIは、ジャングルポケットが日本ダービーとジャパンCを、クロフネがNHKマイルCとジャパンCダートを、弥生賞で下したマンハッタンカフェが菊花賞と有馬記念を制し、アグネスタキオンに敗れた馬たちが席捲。それらの勝利は、結果的にアグネスタキオンが改めて評価されることにもつながった。

 種牡馬としても、サンデーサイレンスの後継として大成功を収め、リーディングサイヤーとなった2008年は、ディープスカイが自身の果たせなかった日本ダービー制覇を果たし、ダイワスカーレットも有馬記念を勝利するなど産駒が大活躍。作中でもダイワスカーレットはアグネスタキオンを慕うよき後輩として描かれている。

 アグネスタキオンの現役時から20年余。競走馬の健康管理は大きく進歩した。それはまさに作中で研究者キャラとしてのアグネスタキオンが求めたものだ。2頭の2歳チャンプに3頭の無敗馬が顔を揃えた今年の皐月賞もその賜物だろう。